ユネスコ本部(パリ)のホームページから日本語に翻訳して転載いたします。
「ニュース記事の中のユネスコ事務局長」
ニューヨーク タイムズ (2000年3月5日 日曜国際版)
ユネスコ贅肉を落とし改革の兆し(バーバラ クロセット 記者)国連発 3月5日
国連機関という家族の中で、ユネスコは長い間「甘やかされた子」であった。上級職(即ちパリ本部の)は常にちょっとした政治的なコネで、簡単に手に入れることができた。この我侭な子の利己的な習性を抑制しようと切望した改革者たちが現れては、跡形も無く消えていった。
新しい考えを携えた新事務局長、日本の松浦晃一郎氏が昨秋選出されたとき、彼はいかに困難な事態であるか自分ではかなり認識していると考えていた。彼はそれまでの5年間、日本大使としてパリに駐在し、ユネスコ世界遺産委員会議長でもあった。
「しかし中に入ってみると、管理の誤りは私が思っていたよりずっと深刻なものだった。任命も昇格も多くの場合気侭な人事なのだ」と彼はインタビューで語っている。彼のオフィスだけでも資格審査なしに政治的に任命されたアドバイザーが20人もいたのだ。 彼らはまもなく解雇された。
東大4年の後、ハヴァーフォード・カレッジを1961年に卒業した法律家であり経済学者である松浦氏は、正式名「国際連合教育科学文化機関」なるユネスコの執行委員会と職員に対し断固たるスピーチを行った。
彼は2500名の職員からの不平不満を受け付けるウェブサイトを開設した。
「それで分かったことは多くの人たちが私の予想以上に意気沮喪させられていることだった。 値する人ではなく、値しない人が報われているということ、それが共通の話題だった」と彼は述べている。 部局によっては外部の監査を受けることを拒むところもあり、内部監査体制は弱体で殆んど無いに等しいことを彼は知ることとなった。英語、フランス語、スペイン語を流暢に話す62歳のベテラン外交官松浦氏はスペインのフェデリコ・マイヨール・サラゴッサ氏の後任である。 マイヨール氏は加盟国から要求された多くの政治的な任命を不本意ながら行ってきたことで非難されているが、「国際情報の新秩序」を創り出そうとするユネスコの努力を握りつぶしたという点では、12年間の在任中特に賞賛された。この新秩序を作ろうという試みは、報道機関の自由な言論を妨げるものであると見ていた国が多かったのである。
1984年、この情報に関する提案とユネスコ上層部における不当な管理がきっかけで、米国はユネスコから脱退した。英国とシンガポールがこれに倣ったが、英国は1997年トニー ブレア首相のもと復帰することとなった。 1995年クリントン大統領はユネスコに対し再加盟の用意があると語ったが、政府行政官たちの話によれば再加盟するような金は無いということである。
松浦氏はこの春まとめる予定だと言う改革案で、アメリカに復帰する気を起こさせたいと望んでいる。
ニューヨーク国際平和アカデミーの会長であり、元カナダ外務省国際機関担当官でもあったデビッド・マロン氏は懐疑的である。
「深い傷を負った組織の方向転換を行うのに松浦氏は苦しい闘いを強いられるだろう」と彼は語っている。
「ユネスコの問題は歴代の事務局長が事業計画を軽視し職員数を増やして、ユネスコを個人的任命機関に変質させてきたことだ」とマロン氏は言う。 「以前我々は皆ユネスコの目標が何か知っていたものだ。今は世界遺産以上のことは誰も知らない。重要な仕事は識字、教育、主要な文化遺跡、文化的課題に関することであり、高度の科学水準を促進する為のフォーラムとしての役割である。今一体誰がユネスコに科学に関しての意見を求めるであろうか?」
松浦氏はアジア人として初のユネスコ事務局長である。 ユネスコ設立は1946年だが、「以来世界は変化し続けており、我々は其れと共に変化しなくてはならない」と松浦氏は云う。主としてヨーロッパの視点から文化を捉えているユネスコ(630ある世界遺産の半数以上がヨーロッパにある)に必要なことは、世界遺産の決定基準となる現在の条約には必ずしも当てはまらない自国の史跡、自然、文化を保存したいとするより貧しい国々に対してもっと援助の手を差し伸べることだと彼は云う。
「発展途上国の要求に留意することなく単に先進国間の知的協力を推し進めることだけで満足しているわけにはいかない。条約は有形のものだけを対象にしていて、技能、音楽、伝統、言語といった無形のものは対象としていない。」と松浦氏は語った。
知識とコミュニケーションを通して平和を促進するためにユネスコは設立されたと語る松浦氏はそのことを非常に具体的な形に表そうと計画している。ユネスコはすでに植民地時代のハバナの復旧、カンボディアの伝統絹織物業の再現など多岐にわたるプロジェクトに係ってきた。
松浦氏は教育を大いに推し進めようとしている。ボリビアからは高等教育制度を作る手助けをして欲しいとの要望を受けているし、ハイチはあらゆるレベルの学校教育に関するアドバイスを求めている。しかし最大の仕事はオルセガン・オバサンジョ大統領が基本的な学校制度の立案をユネスコに要請しているアルジェリアとなるだろう。 「1億2千万の人口を抱えた国があり、その教育は荒廃している」と彼は語った。
(目黒ユネスコ協会 宮本美智子訳)