講演:在日ハイチ共和国大使 マルセル デュレ閣下
通訳:秋枝シュザンヌ氏
2月25日(月) 18:30-20:30 守屋教育会館 参加者 約70名
主催:目黒区教育委員会 主管:目黒ユネスコ協会
色彩豊かなハイチの絵画に囲まれ、大使館寄贈のハイチコーヒーの香りが馥郁と漂う中、大使のお話が始まった。
大使は外交官としての最重要な役割は「出身国ハイチと任地日本との間に文化の橋・友愛の橋を架け、双方向の交流に努めること」とのお考えのもと日々外交活動を展開。その夢の実現の一つが映画、題名
“Haiti, Coeur Ballant” (ハイチ、心の高まり) 日本語題名「ハイチに日はまた昇る」の制作であり、間もなく完成し今夏公開予定とのこと、その一部を第一号観客としてお見せ下さった。 以下講演概略。
ハイチの文化 は複合的で、土着のインデイアンの文化、ヨーロッパ文化、アフリカ文化の3つのルーツを持ち、言語の上ではフランス語とクレオール語、宗教の上ではキリスト教とヴードウ、社会的には都市と農村というように二重性を持っています。ハイチの文化の心は何よりも民衆の中、街の通りの中、農村山村の家々の中、土埃の中、そしてしばしば貧しさと悲惨さの中で生きてきたものです。すべての偉大な芸術作品同様、文化の底には苦しみがあります。「ハイチそのものが芸術作品である」と言われる所以でしょう。 壁に、歩道に、タクシーの扉やボンネットに、町中に絵が溢れています。フランスの偉大な作家であり評論家であったアンドレー・マルロオはハイチの絵を高く評価し「ハイチは人々が皆すべて芸術家であるただ一つの国」と言っています。
音楽もハイチ文化の中で最も興味ある表現の一つです。カライブの音楽のほとんどすべてはハイチにその起源を持つものです。コンパからラシーヌ、トウルバドウールからヴードウの音楽に至るまで、音楽の特徴はアフリカから来た多くの種類のリズムにあります。
ハイチの宗教 ハイチの人々の90%がヴードウ信者で、80%がカトリックだとよく言われます。85%が仏教で80%が神道だという日本といささか似たところがあるようです。ヴードウはハイチの70%の人々の毎日の生活の中にあり、文化の魂をなしているといえます。
ハイチの歴史 1804年、今から198年前、ナポレオンの強力な軍隊を破り世界で初めての黒人の共和国ハイチが誕生。ジャン
ジャック デサリンヌ他独立の勇者・民族の英雄たちは全世界に向かって、「今日から自由は一つの名を得た。その名はハイチである。」と宣言しました。この独立宣言は奴隷制度の終わりを告げる鐘であり、ハイチが世界の歴史、文明に対してもたらした貴重な貢献といえます。この革命は巨大な人身売買が行われるただ中に遂行されました。4世紀の間に1400万人が売買され家畜や動物のように船底に押し込められて運ばれ、200万人以上のアフリカの兄弟姉妹が大西洋横断中に死亡しました。この革命はこの卑劣な売買を廃止させることに貢献したのです。
現状とお願い 2004年1月1日独立200周年を迎えます。不幸にして大部分の人々が 未だ貧困と無知の中に生きています。非識字者の数は60%。20世紀においてさえ400万人以上の人が教育を受けることが出来なかったのです。1%の人々が国民総生産の60%を支配し、1万人に一人の医者しかいません。子供の死亡率は12%にもなります。
2004年までにハイチの子供たちすべてが基本的人権を尊重され、教育を受け、保健のサーヴィスを受け、少なくとも一日に一回の食事を受けられるよう映画「ハイチに日はまた昇る」を活用し、募金活動等を推進して参りたいと考えています。皆様の暖かいご協力を心からお待ちしております。そして、2004年1月1日のハイチ独立200周年に大勢の皆様がお越し下さることを希望しています。
写真上・右からデュレ大使、秋枝シュザンヌ氏(仏語通訳)、加藤会長 大使が手にする木彫作品他かなりの数のプレゼントが抽選で聴衆に。写真下・沢山の絵に囲まれた会場 講壇上の油絵は目黒ユネスコ協会加藤会長に贈呈された。 取材・原田(富)
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