ユネスコ新聞第1号へ 会報20号 会報21号(このページ)
平成13年3月31日
発行/佐野ユネスコ協会 発行者/荻野高次 編集/編集委員会
事務局/佐野市堀米町3698−4 亀田宮吉方 TEL0283−23−3345
「主な内容」 | |
講演会「川の風物詩」開かれる | ユネスコチャリティーコンサート「音楽のたま手箱」 |
龍江院とエラスムス像について | 講演「唐沢山城から佐野城へ」 |
関東ブロックユネスコ活動研究大会 | 寺子屋運動学校キャンペーン |
文化教養講座 | トピックス |
都市のスプロール化に伴い、川が織りなす自然の情景や川にまつわる風物が消えていく中で、10月28日(土)城山記念館に全国の一級水系109を踏破した川歩きの達人・岡村直樹氏を招き、川をとりまく各地の話題を語ってもらった。
(1)橋をロマンを・・・・・飛び石から永久橋ヘ
(2)水 田・・・・・日本的景観・特に棚田の働き
(3)日本の四季と川・・・・川が持っている楽しさ
2000年10月28日、城山記念館で「川の風物詩」と題してお話する機会を得たのは望外の喜びであった。4年ほど前、全国の1級水系の全ての109を踏破し、今また性懲りもなく2級水系巡りの旅に明け暮れている身だが、その過程で見聞した風物を、100枚ほどのスライドを使って紹介した。
日本には大小とりまぜて3万の川が流れいる。世界にも類のない「川の国」である。川は山のふところ深く生まれ、樹々のつくる影の下を走り、草の根をそよがせ、細々とした流れが集まって身を太らせ、山里を縫い、平野に躍り出て、やがて海に注ぐ。その水は蒸発して元に帰り、雨となって再び山肌に浸透していく。この運動を何百、何千年とくり返してきた。絶えざる循環、無限の律動のうちに、限りある身の人間は、時に慰めを見い出し、時に恐れに近い感情を抱いたろう。はるか遠く、神代の昔から川のほとりに生を営みつづけてきたわれわれは、全身を耳にして川のつぶやきを聴きとろうと努めてきたはずである。唱歌『春の小川』を愛唱してきたことが何よりの証しであろう。
われわれが長く主食としてきた米も、川から水を引いた国でつくられてきた。空梅雨や夏の日照りは、農家にとって脅成である。日照りがつづき川が枯れれば、すがるような思いで天に雨を乞うた。長野県上国市の別所温泉で行われる「岳の幟(7月15日に近い日曜日)は、広く知られた雨乞い行事だ。この祭事の奥深くに流れているのは、「親水」というよりは「敬水」の観念であろう。
講演会に先立って菊沢川をご案内いただいたが、その美しさには目を見張った。かほどの川を残しているからには、佐野市民は「水を敬う」謙虚さを忘れていないに違いない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この日は講師の岡村氏を佐野市が誇る清流菊沢川を案内した。まず田島町では町内を巡らしてある堀を島田嘉内氏の先導により見て歩き、川に頼った往時の生活振りに思いをはせた。
この後、菊沢川の湧水源に近い菊沢町の蟹ケ島橋より上流を歩き、まだ残っている自然の流れをしばし見入つた。
佐野ユ協・自然科学委員会(委員長岡部菊次郎)が中心になって、現状の秋山川と菊沢川を知るため流域と水系並びに水質、水棲生物調査が始まった。特に昨年の8月22日の子供クラブを中心とした秋山川の水生生物観察会では、場所の設営やビデオの制作にあたり、環境学習の一助を果たすことができた。
本テーマについては1999年下期の露木賞の助成事業になっているため、現在までの成果については報告書にまとめて提出した。
なお菊沢川については上流の美路川(田沼町小見)の清流化の進み具合をみながら並行して水質や水棲生物調査を行い、市民の要望の高いミヤコタナゴの放流やホタルの復活に取組んでいきたい。特に田沼町小見から佐野市の菊川町にかけては自然が残っている場所であり、地域の町内会や小・中学校にも呼びかけ行政の協力も得てクリーン運動の実施やビオトープ(多様な動植物が共存して生息できる良好な空間)を創り出すことを進め、豊かな自然を次世代に引き継ぐようにしていきたい。
ユネスコチャリティーコンサート
音楽のたま手箱開催
佐野ユネスコ協会音楽委員会ではかねてから計画していた定期コンサートが実現しました。音楽委員会としては過去5回にわたって安佐新人演秦会を開催してきましたが、それとは別に気軽に音楽を楽しめるコンサートを定期的に開きたいという趣旨で、1年おきの新入演秦会の間に半年に1度程度の間隔で、比較的小さな規模のコンサートを、ということで準備してきました。平成12年10月22日市内「ログハウス」において「クラシツクから美空ひばりまで」と題して、出演者にユネスコ会員でもあるヴァイオリンの神山みどりさんとピアノの岩崎法子さんを迎えて第1回のコンサートが開催されました。お茶とケーキを楽しみながらリラックスした雰囲気でクラシック音楽の生演奏が聞けるサロンコンサートということで評判も良く、1回目としては大成功でした。会場に置かれた募金箱にも多くの寄付が集まり、売り上げの一部と併せてユネスコ活動にも貢献できたと思っています。
次回第2回は足利出身のソプラノ歌手浅野幸江さんをお迎えし5月20日同じ会場で開く予定です。プログラム内容が決まりましたらあらためて御案内いたしますが、音楽のある街づくりの為に今後ともご協力をお願いいたします。
(岩永 記)
「新春をジャズで」
2001年新春の集い行われる
2001年新春の集いが、角半会館にて、1月28日行われた。
今年は、ノースリッジ・ジヤズクラブの皆様を招き、なつかしい演奏とともに始まりました。開倫ユネスコ協会、林明氏の協会設立についての話、小林康夫先生の寺子屋運動の学校キャンペーン報告、半田好男先生のネパール識字活動近況報告がありました。
今年も募金に協力し、なごやかに閉会しました。
(尾花好恵 記)
慶長5年(1600)3月、豊後国(大分県)臼杵沖に漂着した1隻の帆船があった。オラング船リーフデ号である。船には、のちに徳川家康の外交顧間となったウイリアム・アダムス(三浦按針)、東京・八重洲の語源となった、ヤン・ヨーステインらが乗船していた。
1598年6月、極東に向け5隻の船隊がオラングのロッテルダム港を出帆した。だが、マゼラン海峡を経る長い航海の末、目的を達したのは、リーフデ号のみであった。苦難に満ちた航海は、乗員11O名のうち、24名が生き残ったことからも分かる。しかも、船は浦賀ヘ曳航され、燃やされてしまったのである。船の元の名は「エラスムス号」といった。船尾にエラスムス(1466~1536)というオランダの著名な神学者の木造が飾られていたためである。
足利郡上羽田村(現・佐野市上羽田町)に龍江院という寺がある。かつて、観音堂内に大黒様のような帽子をかぶり、異様な容貌の木造が押し込められていた。村びとはその風体から「アズキトギババア」と、半ば怖れて呼んでいた。正体が判明したのは、大正8年(1919)、足利の丸山源八(瓦全)によってであった。問題は、一体だれがいつ持ち込んだのか、ということである。
この地は、江戸時代初期から旗本牧野氏の知行地であつた。初代成里が伊予守に任官し、御持筒頭となった慶長8年(1603)であつた。鉄砲を取り扱う役目柄リーフデ号の乗員と知り合い、像を譲り受け、菩提寺である龍江院に密かに運んだものと思われる。
(京谷博次)
昨年5月13日『唐沢山城から佐野城へ』と題して講演会をさせて頂きました。当日はイラストを多用し、往時の佐野城の姿を推定しながらお話を致しましたが、今回は紙面の都合もあり、その概要を記載したいと思います。
まず佐野城の名称に関してですが、市教育委員会が指定した史跡の名称がその名であるため佐野城を使用いたしますが、福地家所蔵の「必々也帳」や慶安4年(1651)の「下野一国」にも春日岡城と記載されている以上、この名称がより相応しい気がします。しかし、当時の人々がこの名で呼んでいたかは分かりません。現在我々が市役所に行く場合、「佐野市役所へ」とは言わず「市役所へ」と言うように「お城」あるいは「春日岡のお城」とでも呼んでいたかもしれません。
次に佐野城の城郭遺構を成立させた背景として、一応大まかではありますが唐沢山城について触れておこうと思います。城郭事典等で唐沢山城を引くと書かれている藤原秀郷築城説はまったくの眉唾であるのは、周知の事実としてその築城年代については出土する遺物等から佐野盛綱の頃、すなわち16世紀初頭とするのが適当かと思われます。それ以前の佐野城は高崎寿先生の御研究に示されます興聖寺城が妥当と思いますので、佐野市が唐沢山城を使用したのは1500年頃から1600年頃の約100年年間ということになるでしょう。その間上杉・後北条(ここでは簡単にそう表現しますが)両勢力の境界に位置したためか双方の先端技術を取り入れる結果となり、最前線で磨かれて独自の発展をしてきました。また16世紀末には豊臣系の石垣が導入されるなど、ひとつの城跡でこれほどバラエテイに富んだ城郭遺構が見られる城跡は他にはないと思われます。
佐野城はその数々の技術を背景に築かれました。現在ではその姿が失われているものの10年以上にわたる発掘調査や種々の資料から往時の状態が明らかにされつつあります。個々の遺構についてはここでは触れられませんが、堀底までが深くなる所では幅が狭く、浅くなるところでは幅が広くなるなど独自の工夫が成される水濠を外堀とし、その内側に家臣団屋敷や馬場などに使用されたと思われる大きめの曲輪や腰曲輪・帯曲輪を備え、空堀である内堀により区画された主要部分は曲輪を縦に連ねた連郭式と呼ばれる縄張りを成しています。本丸は全て石垣で築かれていたと想定され、建物には礎石が使われていました。大型の井戸もあり、そこへの通路には石畳も用いられていました。佐野城は慶長7年(1602)の築城から同19年(1614)の廃城まで僅か12年の存在期間にも拘わらず完成度は高かつたものと思われます。
また、図に示されますように秋山川を西の境とし浅沼城・観音山・東山を結ぶラインを東の境として、石垣の石を切り出すと同時に城下町周縁部の防御施設を築くなど、城下町の総構えを成立させました。また、佐野城が築かれる以前にこの地にあつた奉日岡山惣宗寺を裏鬼門である南西隅に移転させて出丸としての役割を担わせ、鬼門である北東には八幡神社を勘定し、城下町周辺部惣宗寺同様出丸的に諸寺を配しました。中心部においては京都lこ範を取った基盤の眼状の町並みを整備し、佐野城や城下町が火災に襲われる危険性を考慮して、当初風上である城の北西で操業していた天命鋳物師達を城の南側に移住させることなど、まさしく佐野の都市計画の原点がこの400年前の城下町にあったといえるでしょう。
今回の講演を通じて城山公園を城跡として、区画整理によつて町並みは急激な変化を見せていますが、市街地の原型が佐野城の城下町であつたことに思いを寄せながらいつも歩きなれているこれらの場所を、今までと違った眼で眺めて見ることも時には必要かもしれません。
土浦市亀城プラザ文化ホールで2000年度関東ブロック・ユネスコ活動研究大会が、11月4〜5日に開催された。当日は1都5県のユネスコ会員が集い、開会式、講演「自然との共生」 ・分科会と1日日の日程が進められた。
分科会は、(1)「総合的学習へのユ協としての対応」(2)「国際交流の現状と課題」(3)「世界遺産活動の具体的取り組み」(4)「ユネスコ協会の財政の問題」の4つに分かれ、事例発表と討議が行われた。
総合的な学習とは |
1998年の中央教育審議会の答中で「ゆとり」と「生きる力」の育成が強調されたのを受け新設されたのが「総合的な学習の時間」だ。 各教科を関連づけ学習全体を統合するのが目的で、2002年から実施する。(高校は2003年実施)。内容は各校の創意工夫にゆだねられるが、課題として国際理解、情報、環境、福祉、健康の4領域が例示された。小学校では3、4年生で年問105時間、5、6年生では110時間が充てられる。 |
第1分科会ではまず茨城県教育庁指導主事の中野美紀先生から「総合的学習とは」ということで基礎的な講義をいただいた。そのねらいとするところは
(ア)自ら学び、 自ら考える力の育成
(イ)学び方やものの考え方を身に付けること
また学習活動の特色は「総合的な学習の時間」の内容や名称は、各学校の創意工夫によつて決定しますが、その認定に当たっては次の4つの課題が相互に関係することになります。
(ア)横断的・総合的な課題
国際理解・情報・環境・福祉・健康を核とした学習活動など
(イ)児童生徒の興味・関心に基づく課題
(ウ)地域や学校の特色に応じた課題
(工)その他
生き方、命の大切さを考える学習活動など
総合学習は、学校内での定型的な授業に促われる事無く、ボランティア活動や体験学習、異年齢集国による学習・地域の人々の協力による指導体制等々が考えられているという。
事例発表として佐野ユ協の同部理事が、過去18年間活動が続けられてきている佐野ユ協子供クラブの最近の活動状況について、スライドとプロジェクターを用いて詳細な報告がなされた。
子供クラブの活動の中でも(1)川の水生生物の観察や天体観察等の自然科学に関すること。(2)外国人との交流による国際理解、募金活動やフリーマーケットによる寺子屋運動やネパール識字活動等の国際協力活動、(3)音楽鑑賞等の文化体験はユネスコ活動の趣旨に沿うものであり、協会の役員スタッフや学校の教師との協力によってうまく運営がなされ、行事が消化されていることを説明された。
そして佐野ユ協では、協会で作製したビデオやスライドを学校でも活用できるようにPRし、行政機関や各種団体等との連携を図りながら、地域の教育力を総合的学習に生かせるように努めていくということで結ばれた。
最後に助言者の望月浩明先生より指導をいただき、以下の4点についてまとめられた。
1.民間協力のための人材バンクを作ること。
2 学校にユネスコ活動をPRするために、総合的学習の教材を作ること。
3ユネスコの関係者自身が総合的学習についての研修やトレーニングを積むこと
4ユネスコは学校と地域のコーディネート役、またつなぎ役として学習してほしい。
今回関ブロ研究大会で第1分科会・テーマ「総合学習へのユ協としての対応」で実施例を提案いたしました。
佐野ユ協では子供クラブを通してグローバルな視点を持った子供の育成に真剣に取り組んできましたが、他県の方々との活発な質疑応答やご意見から高く評価されたものと確信いたします。
今後は提案内容の実践にあたりましては、小・中学校との連携を図りながら会員の皆様のご協力も得まして推進していきたいと思います。
本年度も市内小・中学校の寺子屋運動学校キャンペーンは大きな成果をあげました。本運動にご理解とご協力をいただきました、市小・中校長会や関係教職員の皆様、そして多くの児童生徒の皆さんに心よりお礼申し上げます。
今回のご協力の内容は下記の通りです
●募金額 | 116.448円 |
●書き損じ葉書 | (3.320枚) |
(切手交換額) | 143.120円 |
●未使用テレホンカード | (45枚) |
(手数料等差引分) | 17.000円 |
●使用済みテレホンカード | 4.042枚 |
なお、ご協力下さった学校には、日本ユネスコ協会連盟・小島仁会長から感謝状が届けられました。
キャンベーンに参加した出流原小
神山健太郎くんのお話し
ぼくたちの出流原小学校では、世界寺子屋運動に参加し、児童会が中心になって募金・書きそんじはがき・テレホンカードを集めました。みんなに協力してもらった募金などが、少しでもこの運動に役立てばうれしいです
本年度も教養講座は会員の輪番制講師によって、各分野の知識を深めることができました。次年度からの講座については、内容や実施日時などを検討し、充実したものにしたいと思います。
今までの実施内容は次の通りです。
第10回(’99.6.18)「佐野市内の地形、地質」 同部菊次郎
第11回(’99.8.20)「身近な薬草と話題のキノコ」 小野 正弘
第12回(11.19)「食事と健康維持について」中村信
第13回(’00.1.21)「味覚と食品保存」 亀回 宮吉
第14回(’00.2.17)「音楽アラカルト」 岩崎 法子
第15回('00.5.19)「染め物談義」
(’00.6.24)実習「手染めアート」 神山与志子
第16回(’00.7.21)「野菜作りの楽しみ」 加藤稔
第17回(’00.9.22)「音楽のなぞ解き」 山口滋樹
第18回(’00.11.17)「BSデジタルとIT革命」 北山亨
第19回(’01.1.19)「英語時代?」へそ曲がり外国語入門 松村清
第20回(’01.3.16)「青いバラを求めて」 小林森治
今回文化教養講座にてデジタルテレビについてお話しする機会を頂いた。昨年12月より、BSデジタル放送開始に時期を合わせてでしたので興味を持って聞いて頂けたと思います。
40年前の自黒放送テレビからカラー放送に変わる時には、白黒でもカラーでも見られるように放送信号の共用化を行った。しかし、今般のデジタル放送は従来型のテレビでは見ることが出来ない放送界の大革命である。今後5年の間には、この新しいテレビが主流になるものと考えられます。
近頃、話題のデジタルテレビやパソコンなど新しい家電製品が街の電気屋さんで見られるようになった。テレビのデジタル化の後は、パソコンとの融合である。テレビには、パソコンの機能が未だ入つていない。
新世紀を迎えて、テレビはまだまだ進化の道を歩み続けるようである。
◆ 乾山を偲ぶ茶会、城山記念館で開催
尾形乾山は、元文2年(1737年)75歳の時、佐野に招かれて作陶生活を送り、多くの作品を残したとされる。
寛保3年(1743年)江戸で死去した。享年81歳。墓は、東京都豊島区西巣鴨の善養寺にある。
乾山の命日月にあたる6月17日(日)に、乾山・茶会実行委員会の主催による「佐野乾山を偲ぶ茶会」が予定されている。
◆ 越名河岸保存、研究会発足
越名河岸は関東三大河岸の一つに数えられ、渡良瀬川から利根川を経て江戸との間に大量の物資が行き交っていた。また、人々の往来も多く、江戸の文化人も多数佐野を訪れている。
しかし明治になって、他の交通機関が発達するに伴い、河岸は衰退した。
歴史のある河岸跡を整備し保存するため、この度、河岸に関心のある有志による「越名河岸保存・研究会」が発足することになった。
◆ 開倫ユネスコ協会(足利)誕生
学習塾、「開倫塾」(本部、足利市堀込町 林明夫塾長)に勤める講師約50人が「開倫ユネスコ協会」を設立し、1月27日の日ユ連中央委員会で認証された。
今後は、同塾の生徒にも呼びかけて「世界寺子屋運動」にも積極的に協力していくという。
◆ 「大唐西域壁画」完成に至るまでを収録したビデオの貸し出しについて
平山郁夫画伯(日ユ協副会長)が20年の歳月をかけて制作に打ち込んだ奈良・薬師寺の玄奘三蔵院「大唐西域壁画」が本年元旦よリー般に公開されている。この壁画は平山画伯が画業の支えとなった玄奘三蔵への崇敬と感謝の念の集大成といえるものである。この完成に至るまでの過程を収録した記念のビデオが東京台東区谷中の「寺内遊神堂(表具店)」から当協会寺内智子副会長に提供された。このビデオをご覧になりたい方は、事務局(Tel.0283−23−3345)までご連絡下さい。
◇本号では”川”と”城山”を特集しました。菊沢川、秋山川の自然や佐野城山の城跡は佐野の町のたからものとして大切にしていきたいものです。
◇いよいよ来年は佐野ユネスコ協会設立30周年を迎えることになります。記念事業など皆様のご意見をお待ちしております
(亀田 記)