公開講座
“世界の危機遺産の現状、
そして国内の世界遺産登録をめぐって”

 
この公開講座は、5月20日に開催された総会後に行われました。講師は工藤父母道氏(プロジェクト“ワールド・ヘリティジ”総括)です。

 工藤先生は鎌倉ユネスコのメンバーで、日ユの評議員である。世界遺産の調査や保全の支援に長年取り組む第一人者として知られる。1990年当時、日本は世界遺産条約の未批准国だったため、関係省庁に働きかけ、92年にようやく批准された。世界遺産という言葉は広まったが、何のための世界遺産登録なのか、よく理解されていないのが残念、と前置きを述べ各国の危機遺産の現状や国内の実例をスライドを使って話された。

オブス・ノール盆地(モンゴルとロシア)

 アジアで唯一の2カ国の国境をまたぐ一つの世界自然遺産。モンゴル最大の塩湖がある一帯は、砂漠から氷河まで中央アジアの主要な生態系が凝集。冬はマイナス55度にもなり、数年前の大寒波では、牛の尾が凍って折れたという話にびっくり。この地の遊牧民の子供たちが寄宿する小学校で不足する暖房器具の購入費を鎌倉ユネスコが支援し大変喜ばれた。

ハンバーストーンとサンタ・ラウラ硝石工場群(チリ、危機遺産)
 2005年世界遺産登録と同時に危機遺産となった。肥料や爆薬の原料の天然チリ硝石は20世紀前半まで世界中に輸出されていたが、その後、化学工業の発達で衰退。工場や労働者街などの建造物は崩壊しゴーストタウン化。この産業遺産を守り残し伝えようと設立された民間の博物館財団に、鎌倉ユネスコからの支援金も手渡され保全に役立つこととなった。

アイールとテネレの自然保護区群(ニジェール、危機遺産)
 サハラ砂漠にあるこの遺産は、民族紛争のために保護管理が放棄され危機遺産に。写真は炎天下、わずかな現金を得るためにヤギのチーズを買ってもらおうと旅人を待っているトゥアレグの女性。

 この地に裕福なアラブ人たちが最新の銃器を持って密猟に来る。目的は短剣の柄にする絶滅危惧種のアダックスなどの角を得るため。

フィリピン・コルディリェーラの棚田群(フィリピン、危機遺産)
 イフガオによる棚田群は、自然と人が織り成す代表的な文化的景観の一つ。外部との途絶で土着の伝統が長く守られてきたが、近年、完結した自給自足の地域生態系が崩れ始める。近代的な教育、新たな文化や情報の流入は、一方で比較をもたらし、便利さとモノの豊かさの追求が始まり、伝統文化の崩壊をまねくという矛盾を抱える。若者は町へ出て後継者は不足し、棚田は高収入となる野菜畑へと転用され、その維持が困難な状況に。

サンガイ国立公園(エクアドル)
 アンデス高地からアマゾン源流域への道路開削が自然破壊をもたらし危機遺産に。しかし、国際社会の圧力で工事は中止。同様に、風化や砂に埋没の危機にあったオマーンの「バハラ城塞」やマリの「トンブクトゥ」のように、国際協力と支援により状況が改善され、危機遺産から脱した例もある。

知床(日本)
 さて、私たちの足元ではどうか。登録に際し評価にあたった国際自然保護連合は、知床を象徴するフラッグシップ種として絶滅危惧種のトドの生息地であることの重要性を強調した。

 しかし、そのトドは地元で捕殺され、飲食店で出され、土産物屋や空港で缶詰になって売られている。もし世界遺産「九寨溝」で、同じ絶滅危惧種のパンダを缶詰にして売っていたら国際社会はどう受け止めるだろう。知床は世界遺産としての価値は十分あるが、その現状はおよそ世界遺産にふさわしくない。

紀伊山地の霊場と参詣道(日本)
 例えば高野山の根本大塔。実は新しく再建されたもの。何が世界遺産の構成資産なのか、誤って伝えられているケースも多い。大辺路の長井坂では、登録後の過剰整備により古道沿いの植生が大きく刈り払われ、本来の雰囲気を損なう事態に。伊勢路・八鬼山では、"世界遺産登録反対"の書き込みが立木になされた。住民への十分な説明や理解を得ることなしに、登録を進めたことに問題がある。
 世界遺産は、地域おこしや観光振興のためにあるのではない。遺産の価値をより高め、更なる保全を目指すためにあるのだ。私たちの絶えざる努力が求められている、と結ばれた。(鴇澤)