「ひろば」(会員の声を掲載しているページ)より・・・

今思うこと
渡利 晴夫
手を出したが、65も過ぎるとそろそろ絞らねばと思う。ユネスコを創ったときも、大根一本買うのだって文化だ、という庶民の感覚で立ち上げたつもり。これにならい、「日本唱歌保存連盟」と「麦秋忌の会」を二年前に創設。
 双子のように仲良く、車の両輪よろしく、発展を図る所存です。共に面倒な会費などもなく、早や参加会員も三百名を超えん勢い!
 誰でも知っているこれはと思う歌二百曲をセレクト、未来永劫、楽しく歌い継がん。映画「麦秋」からその名を頂き、小津安次郎をしのぶ名もないファンの忌日祭。

パラグアイの人々
清水 洋
 僕は、2度、合計5年間、南米のへそパラグアイに住んでいた。国旗の図柄が裏表で違う世界で唯一の国。国土は360度地平線で、背中にこぶのある白い牛たちがのんびり草を食んでいる。
 国は貧しく貧富の差も大きいが、人々はのんびりマテ茶を回し飲みしながらアサード(バーベキュー)に舌鼓をうち、アルパ(竪琴)に聞きほれている。格差どうのこうのと目を吊り上げることもなく、与えられた運命に身をゆだね、家族、アミーゴ(友人)を大切にし、屈託のない人生を楽しんでいる。金のある国が幸せとは限らない。

阿仏尼と紫陽花
米村茂光
極楽寺の月影の谷に住み、家の角に、十六夜日記の阿仏尼の碑が建ってます。花木類も少ないので、紫陽花の苗木を3年前に3株ほど植え水をやり、春には花が咲く事を楽しみにしていた。ある日曜日、大勢の方が阿仏尼の碑を見ていかれた。朝水をやりに行くと、無残にも踏み倒されたいた。小さな木だったので存在感が無く、来られた方も気付かなかったと思い、成長する迄責任をもって養護すべきと添え木と囲いをした。今春、元気な葉が出てきて倍位に成り、小さな蕾も見えてきたので、5月には花が咲くと楽しみにしています。

経験がくれるエネルギー
島田 裕
 14歳の夏、久保ツユ子さんに誘われて鎌倉ユネスコの皆さんと一緒にブラジルへ行った。あれから8年、僕は大学の研究室での生活を始めている。そこでの生活は僕にとってハードなものだ。毎日早朝に起床して深夜帰宅する。先生や先輩の会話にはまだついていけない。渡される文献は僕の苦手な英語で書かれ、内容も難しい。他に何もできずに一日が終わってしまう。それでもそれが苦にならないのは、8年前に「学べること」がどれだけ幸せなことなのかを知ったからだ。あのブラジルでの経験が今もまだ僕の中でものすごいエネルギーをもって輝き続けてくれている。


「ワカイチカラ」

鎌倉 真音
 鎌倉ユネスコは、その活動の評価が高いと聞く。実際のところ、元気に明るくバイタリティーのある活動をよく目にするし、活動の幅も広い。ところが、である。このような活動には、いつもワカモノの姿が見当たらない(ちなみに私は25歳です)。会員数で見ても、ワカモノ世代の人数は少ない。
 鎌倉ユネスコのような地域密着型のコミュニティは、その構成員の世代幅の広さなどがとても大事であり、また大切にすべきものであると思う。積極的に活動に参画し、ワカモノ発信の取り組みや活動もしていきたい。いろんな経験を積み、これまでの成果もきちんと引き継いでいけるチカラを蓄えたいと思う。鎌倉ユネスコにユースの発足を望みます。
 皆様どうぞよろしくお願いいたします。

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