文明との出会い
宮崎 彩
私が始めて遺跡に出会ったのは7歳の時でした。引っ越したばかりのメキシコで、テオティワカンの太陽のピラミッドを目前にした時の感動は忘れられません。古代の空気が息づく『死者の道』を真直ぐ突切った先にある古代神殿の頂上で、私は体験したことのない文明の偉大さを感じました。しかし、世界で着目される遺跡はほんの一部にしか過ぎず、多くの途上国では文化の保護が難しいのが現状です。そのような状況を改善したく、遺跡保護に携わりたいと考えるようになりました。鎌ユでは市民の力で踏み出す第一歩に参加したいと思っております。
『コメの価格』
東島 隆治
四月中旬のテレビ・新聞がコメの国際価格の急上昇と、それによるアジアのある国での食糧不足への抗議の暴動を伝えていました。価格上昇の原因の一つは石油不足の対策として穀類をバイオ燃料の製造に使うだろうとの思惑のようです。 1968年のローマクラブの警告以来心配されていた事がアジアでのコメの値上がりと言う形で現れて来ました。重い買物をするときは車で行きますが、そのことが食料不足に繋がっているだろうと思うと心が重くなります。多くの地球市民が平和に固有の文化の生活を続けられるよう小さいことから工夫せねばとおもいます。
「世界遺産」を通して
斉藤 紀子
9年前、円覚寺で、鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会のシンポジウムが催された。その基調講演で平山郁夫先生が、「世界遺産は世界平和のためのものである」とのお話をされた。私はこれに感銘を受け、以来ひたすら今日まで活動を続けてきた。が、最近、日本ユネスコ協会連盟評議員の工藤父母道先生のお話をうかがい、鎌倉も「世界平和」について、「危機遺産」について何をなすべきか、何が出来るのかを考え、もっと積極的にそれらに取り組んでいくべきだと考えている。
ご縁は広島ユネスコから
植原 映子
80歳の母がピースボートで世界一周しました。「周航生」に広島でベート―ベンの「第9」を歌う人がいました。母のお供でシンフォニーを聞きに行った時、原爆資料館で、鎌倉ユネスコ協会の絵葉書を買いました。マンチェスター大学でのワークショップで使おうかとパソコンに入れた時、出典を入れ忘れて困りました。
運良く広島ユネスコ協会の山本隆信さんという方が、私の窮状を聞いて、自転車でわざわざ売店まで駆けつけてくださり、平山郁夫画伯の笑顔が表紙の絵葉書を送って下さったのです。(それは「日本からののお土産」として、50部を外国の人々に配りました。とても好評でした。)私は、この山本さんのご親切と、奇しくも故栗野鳳先生をご存知だった山田雅子さんが絵葉書販売の担当者であったご縁で、鎌倉ユネスコに入会させていただきました。鎌倉ユネスコの「みんなで力を出し合っている」姿がとても好きです。
心は身に添わず
中村 藤一郎
もう夏。この春の桜は寒暖差が激しかったせいか、花がきれいで長く咲いていたように思えた。
「吉野山梢の花を見し日より心 は身にも添はずなりにき」
平安時代、吉野山に庵を結んだ西行法師が、山を覆うように咲く桜に、心は身体から離れてしまった、と詠んでいる吉野山を尋ねる機会があった。
全山3万本と言われるシロヤマザクラは順に上に開花していくので長く楽しめる。開花期、山すそから人でごった返す。せかせかと行く人波の中で、西行のもうひとつの歌を思いだしていた。
「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」
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