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チェンマイはバンコクから約700q離れたところにあるタイ第2の都市です。
チェンマイはタイの北部に位置し、バンコク王朝に吸収されるおよそ600年間、ランナー王国の首都として栄え、独自の文化を発展させてきました。
今でも、チェンマイの人は「コン・ムアン」(北タイの平地に住むタイ族)と自分達を称し、600年の歴史を持つチェンマイに誇りと愛着を持って暮らしています。
私は、このチェンマイに恵泉女学園大学の「長期フィールドスタディ」と呼ばれるプログラムで半年間滞在し、チェンマイ大学でタイ語を学んだ後、およそ2ヵ月間、チェンマイ市内のワット・ゲートという地域で体験学習を行ってきました。この恵泉女学園大学のプログラムは、自分の興味のあるテーマに沿って、実際に現地の住民や活動の主体となる人々とコミュニケーションをとり、今何が問題にされ人々はそれと向き合っているのか、人々を取り巻く環境を観察することによって、教室の枠を越えた学生の想像力や積極性を高めるプログラムが特徴です。
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ワット・ゲート地域とは
私がおよそ2カ月間暮らしたワット・ゲートと呼ばれる地域は100年前の川の交易で栄えた特徴を持っています。バンコクから流れるチャオプラテート川の支流であるピン川は、チーク材を運ぶ航路として栄え、様々な文化や人をチェンマイに運んで来ました。
ワット・ゲート地域はこのピン川沿いに位置し、今でもその当時に建てられた、中国人の商館やイギリス人の屋敷など、チェンマイの中でも独特の町並みを保有しています。また、タイの仏教徒以外にも、交易の時代にやって来たイスラム教徒、シーク教徒、キリスト教徒などの子孫がそれぞれの文化を持ちつつ、交易の時代の歴史を共有し合いながら暮らしています。
このような、文化の十字路としての歴史を持ち、チェンマイ市内でも独特の町並みを持つワット・ゲート地域ですが、今住民たちは、歴史ある町並みを失ってしまう問題に直面しています。
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保存か開発か
「自分たちが過ごしやすい場所。今ある自分たちらしさを守りたい」。これは、ワット・ゲート地域で町並み保存運動を展開する住民が発した言葉です。チェンマイ県が制定する都市計画の中では、ワット・ゲート地域は文化保存地域ではなく、商業地域に指定されています。
これは、容易に町の開発を推し進め、住民たちの町並みを奪うことにつながり兼ねません。実際にワット・ゲート地域には、神聖な仏塔よりも高いビルが2層立ち並び、住民たちの文化的景観を脅かしていました。しかもそのマンションに住む人々は、ほとんどが、日本人の長期滞在者だそうです。ある時、住民が「なぜ、日本の高齢者は自分の国に住まないの?日本は居心地が悪いの?」という質問を私に投げかけ、言葉に詰まったことがありました。
ワット・ゲートの町並みで育ってきた住民にとって、町の景観はただの空間の一部ではなく、自分たちの記憶をつくってきた己の一部でもあります。その記憶が今ある自分たちらしさをつくり、自分たちらしくいられる居場所をつくってきた。しかし、その居場所が脅かされそうになったとき、住民たちは上記のような言葉を持つようになったのではないでしょうか。 |
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歴史的町並みを守ることとは
ワット・ゲート地域は、都市の開発から自分たちの地域の町並みを守ろうと運動するチェンマイの中でも異色の地でした。私は、毎日この地域を歩き周り、ワット・ゲート地区の文化や人を知り、また地域の行事や町並み保存の会議などに参加し、なぜ人々は歴史的町並みを守るのかについて考えてきました。それは、単に古いものや美しいもの、伝統を守るのではなく、自分たちらしく生きる権利を守ることにつながることをワット・ゲート地域の運動から考察しました。歴史的町並みを守ることは、今まで当たり前にあった地域の記憶を共有し、自分たちの地域のあり方を形成しようと試みる「形成運動」であると、住民たちと過ごすことによって改めて実感することができました。
ただ変化に流されるのではなく、文化を通して自分たちらしさを守るとき、住民たちに新たな力が生まれる。ワット・ゲート地域の運動はタイ社会に新たな風を送り込んでいました。 (蓮見朱加) |