|            熱を持つ 
          宮田奈々 
          私は遺跡に熱を持っていました。その姿を目にしただけで激高するのです。肌は波立ち、時に涙しました。 私は遺跡に片恋のごとく熱を持っていたのです。しかしながら、熱というものは恋心と同じく移ろい冷めゆくものです。月日が忙しくも安定した日常の底へと、私の熱を沈めていくのです。私はそれが嫌でした。あのころの興起を取り戻したい。私はまだあの情熱を覚えている。  
           鎌倉ユネスコへの入会により、まどろんでしまった私は決起し、片恋を実らせる一歩となるでしょう。それまで、私は熱をもつ。 
          中尊寺に想う 
            山崎泰弘 
            三月初旬、雪の積もったままの中尊寺参詣。その日は好天だった。本堂参拝後、金色堂へ。藤原四代の御遺体に手を合わせながら須彌壇等拝観。外へ出るや否や、突如大雷鳴と激しい雨。忽ち川の如く流れる
          。宛も寄せ手の鎌倉の大軍が轟然と来襲したよう。芭蕉の「五月雨の降り残してや光堂」とは此の事かと勝手に合点。満州での敗戦後の敵兵による掠奪破壊と照らして鎌倉の将兵たちよ、よくぞ残して呉れましたとの念。わが祖先のもののふ振りや心根を誇りとしたい。世界遺産登録保留に落胆の声も聞くが、世界の人の心に響くことを信じる。 
          ニューヨーク210丁目の夕暮れ 
            小澤美智子 
          マンハッタン島の北、ハーレムもコロンビア大学も越え、210丁目の娘のアパートで楽しい滞在をした。 司馬遼太郎さんが書いたインウッドの森のあたり。広大な森に続く公園が散歩道。司馬さんが夢想したように、インディアンの末裔がひょっこりいないかと見回しましたが、それらしい人はいません。静謐な池、なだらかな丘、ひっそりした道、誰も座っていないベンチ。ハンバーガーの牛肉のトラックが地球温暖化を促進しているらしい。そんな事が嘘みたいな森。夕暮の皆が家路に急ぐなつかしい時間をいつも森で過ごした旅行をそっと帰ってからも想いだしている。 
          アルゼンチンタンゴ 
            畠中清松 
             私は古希でアルゼンチンタンゴを始めた。もう一年位になるがハマってしまった。立つこと歩くことが出来れば幾つになっても年齢と体力に応じた踊り方が楽しめること。心と感性で踊るもので酸いも甘いも知り尽くした人生経験豊かな人ほど真価を発揮出来ること。踊りをとおして多くの人と人との出会いが生まれること等私を虜にしためくるめく魅力でいっぱいである。 
           アルゼンチンタンゴとの出会いは私の残りの人生を二倍もいや三倍も楽しいものにしてくれた。特にプラチナ世代の方々にはぜひともチャレンジされることを心からお勧めしたい。 
          緑保全ボランティア 
            小野則子 
        私の家の前にある広町緑地では今年も天然のゲンジボタルがたくさん飛び交い、観察、調査のたびに豊かな自然の恵みに感謝しています。長年の市民の保全運動が実り、鎌倉市が保全を決定した広町緑地の保全・維持・管理は、現在、市民ボランティアが行っています。私もその一員として自然観察・調査と森の手入れの活動をしています。六年後に「都市林公園」として一般に公開される市民の憩いの場となるのを心待ちにして、日々ボランティア活動に励んでいます。みなさまも自然に親しんでみませんか。  |