「第64回日本ユネスコ運動全国大会in東京」に出席して思うこと

地球温暖化を始めとする環境危機が大きな社会的関心事となっている時に、「あなたが明日の地球を創る」という、一人ひとりに呼びかけるスタイルの大会のテーマ設定そのものがまず良かった。

そして何よりも、次世代を担う青年会員達自身がその問題を真剣に考え、大会副題「失われた"勿体ない"の精神を再び」を、うまく工夫した創作劇を演じて巧みにメッセージを発信したことが素晴らしかった。

シンポジウムでは、元日本ユネスコ国内委員会事務総長の永野博氏をモデレーターとして、日本ユネスコ協会連盟評議員の林美紀子氏より環境問題に対する地域のユネスコ協会でのアクティブな色々な取り組みの事例が、また宮城教育大学副学長の見上一幸氏より体験学習を通して進められてきた環境教育の事例がそれぞれ紹介され、この大会テーマをどのように具体化するかについて良い示唆を得た。

 今大会で参加者に最もインパクトが大きかったのは、当シンポジウムにもパネリストとして参加された国連大学副学長・安井至氏による基調講演であろう。安井氏は、
環境問題をその行き着く先である人類全体の持続可能性問題の視点から論じるべきであると主張された。世界の最貧国の国民にとっての持続可能性はまず極貧状況から抜け出すことであり、そのためには環境保護よりも開発を優先せざるを得ない。

日本ですら、エネルギーと食料の自給率が極めて低い厳然たる事実から、我が国の持続可能性にとっては、環境を優先する余りそれらをトレードできるだけの経済成長を止めることはできない。最近のバイオ燃料と食料高騰の連鎖など、世界は今や、資源は無限にあって労働力と資本が足らないことを基本前提として展開してきたこれまでの「経済学」では処しきれなくなっている、とのシンポジウムでのご発言を非常に重く受け止めた。(石田)


持続可能な開発
(SD=Sustainable Development)
 7月9日、洞爺湖サミット最終日の今日、連日新聞の一面を飾ったG8首脳陣の写真とサミット首脳宣言を目にしつつ、改めて本大会のテーマが、持続可能な開発であったことの意味を考えさせられた。この必然性は、とりもなおさず現代における開発活動の殆どが持続不可能なものであり、それがユネスコの目指す世界の実現を危うくしているということへの認識に因る。

 「地球の未来と持続可能性に取り組む科学技術の今」−安井至氏による基調講演は、ユネスコの視点から見た環境と社会の危機的状況を端的に語り、開発の功績による生活水準向上、同時に生まれた様々なリスクとの間で先進国に住む私達が抱えるジレンマを提言するものであった。

私達の生活に身近な事象としてあげられた例には、旅客機が一度のフライトで排出する大量の温暖化ガス、環境にやさしいという謳い文句で売られているプラズマテレビの多大な電力消費などがあった。しかしながら、今の私達にこれらの利便性を捨て去ることは到底できない。更に語られた、社会が発展すると出生率が低下し、人口が減少すると、各言語の存続が危うくなるという連鎖は、人が生活に便利を求めて進めた環境開発が、同時に人が何世紀にもわたって培い、発展させてきた文化の要である言語を脅かすことになりうるという衝撃の事実を突きつけた。

バベルの塔の例を挙げるまでもなく、人口の減少、言語の消失は、開発活動そのものを脅かすにとどまらず、その意義すら危険に晒すものである。
 前例を見ない地球的規模の問題が山積するなか行われたG8サミットにおいて各国首脳が見せた苦悩、各議題への積極性を欠く宣言内容は、今の私達が直面する問題の多様さ、複雑さ、深刻さと対応の難しさを示している。

SDは、いまや一日も早く徹底されなければならない課題であるが、抜本的な対策の提案は、安井氏の言を以ってしても語られることはなかった。しかしながら、これら時事問題がサミットに先駆けて本大会において語られたこと、民間団体として、当該問題への社会の関心を促し、協会としての姿勢を示したことは意義ある行為であるし、またユネスコに賛同する私達が、あらためて現在と未来の活動について共に考える、得がたい機会であったといえるだろう。 (小西)

<ユネスコ運動推進員認定式の模様>

ユネスコウkんどう推進員認定式(鎌倉から3名)
鎌倉から3名が認定されました

 
 

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