鎌倉ユネスコに入るきっかけ
安川 健人
私は、今年の春まで9年間、鎌倉ケーブルテレビのキャスターの仕事をしてきました。
番組のゲストとして、平山郁夫会長をはじめ、様々な分野で活躍されている鎌倉ユネスコ協会の会員の方にお越し頂き、お話をうかがってまいりました。皆さん素晴らしい方々ばかりで、「自分もお仲間に加わりたい」との思いで今年の初めに夫婦で入会させていただきました。ユネスコ憲章前文の「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という言葉を胸に、ユネスコの提唱する「国際社会における規範」を広げるお手伝いをさせて頂きたいと思っております。
怖い話
神澤 貞臣
昭和31年の冬、私は小学5年生の時、父から広島、長崎の原子爆弾の話を聞いた。この爆弾から逃れる方法は無いと教えられた。地中に穴を掘って生活してもX線は透過する。鉛のシェルターを造り、その中で生活しても、水も空気も土も食べ物も、あらゆる物が核で汚染され続けるから、生き延びても一時の事で、助かる見込は無いと。
怖かった。トイレを我慢している時の様な切迫感が襲ってきて、何ヶ月も私を悩ませ続けた。だが、いつしか麻痺してしまった。
今の恐怖の世界を救う為に全世界の子供にこの怖い話をしてあげよう。彼らが大人になって、核兵器廃絶を達成する事を期待して。
幸せの橋渡し
矢部 基子
渡利さんに誘われ創立当時から10年位理事をしました。花の活躍の場もあり今でも感謝してます。理事役もあまり役に立てないうちに家族、私の健康の都合で今は会費会員になりました。
現在、結婚相談というお世話おばさんになり毎日忙しい思いです。男女平等、同権と言われ十数年。これに私は疑問を感じるようになりました。白馬の王子様を求めて縁遠くしたり、落馬したりしているようです。社会現況を手にとるように分かります。格差社会は結婚難を表しています。男女は同質ではありません。良き国家、良き家庭は良き男女の出会いから始まります。
人の生きざま
川辺 和雄
サラリーマン最後の宴会の帰りに、東京駅、山手線の階段から、滑り落ちて右足ひざのお皿を骨折して、五十日間の入院生活を経験しました。"神さまのいたずらか?"という思いもしました。よりもよって定年の意義ある日の、その帰りに!入院して気づいたこと。病院は大多忙。私の受け持ちの整形外科は手足の患者が6割、腰のヘルニア関係が残り4割。それにしてもお年寄りの患者の何と多いことにびっくり。反面教師として、鎌倉ユネスコのご婦人たちの元気さにはいつもびっくりさせられます。人の生き方とはさまざまですね。
ユネスコ精神
吉田 祥子
インターネツト等の急激な進化に躓くたびに「えっ!こんなはずでは」何かが違う。スピ−ドが大切な時代とはいえ、思いを豊かに表現する手書きは通用しなくなったのか、思いやりの気持ち、支え合う連帯感さえ希薄に思えた鎌倉ユネスコ。9月6日の研修会「おやっ!何かが違う」熱い議論を戦わせたわけではないが、そこには温もりがあった。
国際交流バザーに参加した生徒たちへの思いやりあふれる手紙であり、生き方考え方に誇りを持って地道に活動を続けている会員の姿。やっぱり「ユネスコ精神」は健在なんだ。嬉しかった。現実を単純に慨嘆してはいけない。読み直し学んだ60年史。若い世代にも過去と向き合うことの大切さが、実感として伝わったのではないだろうか。
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