ハーイ、こんにちは

鎌倉ユネスコ協会第2代会長
   佐藤 美智子さん

かくも美しく、かくも聡明な女性は稀であろう。誰しもが、ほんの短い初対面の対話で感じるのがテーマへの理解と決断の驚くべき速さと確かさだという。
その佐藤さんが珍しくも、ためらわれたのが鎌倉ユネスコ第二代会長就任を要請した折であった。
思いもかけない平山郁夫会長の急逝で、会員誰しもが悲嘆にくれ、しかしその後任には平山会長が深く信頼を寄せ後事を託された佐藤副会長をおいて他に無いとの想いで一致。が、佐藤さんからご承引の回答をいただくには2ヵ月の時を要した。
「平山先生が会長であられるからこそ、私は副をつとめさせていただいている」が日頃からのお考えであることを熟知していた会員が待つなかで、ようやく承諾のお返事をいただけた際の、たったひとつの条件は「平山夫人が名誉会員をお引き受けくださるなら」であった。平山美知子夫人のご快諾を得ての結着となった。
国宝・鎌倉大仏高徳院を守る寺庭夫人としての佐藤会長の起床は午前5時。身を清め仏さまにお線香お茶を供えて大仏さまに参拝。
雨の日も雪の日も。天候によってさまざまに景色を異にする大仏さまを「お傘もささず、ありがたいこと」と仰ぐ。外国からの要人来院への接遇をはじめ、夫人のカレンダーは年内ほとんど埋まっている。
小さい頃から絵を描くことが好きだった。芸大で油絵を学ぶ日を夢みた頃もあった。母上の奨めでピアニストを志した女学生時代も。
そんな夫人が高徳院に嫁したのち平山郁夫画伯から絵の指導を直に得ることになったのは当時のご住職夫人であったお姑さまの奨めによった。26歳、日本画との初の出会い。背にお子さまを負い徹夜してでも創作に熱中。春の院展に四年連続で入選した時期もあった。
いまは絵筆をとる時間がない。描きためた数十点の作品で個展をとの声が周辺ファンから上がっているが「もっと描きため推敲してから」とお許しは出ない。
三代のご住職に仕えた夫人は、現在のご住職でご子息の孝雄師を「いちばんこわい存在。そして人間として立派。とくに底辺の人たちのことを常に考えている点を尊敬しています」と。慶応義塾大学教授で民族学考古学専攻の、その孝雄氏が特別顧問として力を注いでいるNPO「鎌倉てらこや」と鎌倉ユネスコとの接点を求めて、いま佐藤新会長のもと、会員たちは新しい展開を期して燃えている。(文:尾花、写真:鴇澤)

 
 

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