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多文化主義のパラドックス

「多文化共生」は、ユネスコ憲章に賛同して日々、活動している私たちにとっては、疑う余地のない目標であり、昨年の第65回全国大会in横浜でも大会テーマとされた。一方で、それを支えるイデオロギーである多文化主義は「パラドックス(二律背反)」を抱えていると言われている。この指摘に私たちはどう向き合えばよいのであろうか?
代表的には、関根政美著“多文化社会の到来”(朝日選書)がこの指摘をしている。当著書では、多文化主義の「パラドックス」は、文化的多様性を私的生活領域では認めるが公的生活領域では認めない「リベラル」から、一歩進んで公的生活領域でも文化的多様性を認めようとする「コーポレイト」へと、レベルが上がるにつれて顕著になると、典型的な多民族国家であるオーストラリアの社会の観察を通して結論づけている。多文化主義であるゆえの移民・難民あるいは先住民族への手厚い種々の支援施策は、多民族からなる国家の社会統合のためであるが、同時に主流国民の間に反動的ナショナリズムを強めることになって、結果として社会の分裂を促進する、というのがその理由。
より過激に、「欺瞞」とまで言っているのは大澤真幸著“ナショナリズムの由来”(講談社)。その900ページ近い大作は、東西冷戦終了後にグローバリゼーションが世界中を覆いつつあるこの時に、なぜ世界各地でナショナリズムが新たに勢いを増しているかを考察している。その中で、文化の違いによる人種差別を克服するはずの多文化主義が、人々に他の文化(の人種)に介入しない形で共生し合う道を選ばせて、結果として互いが他の異文化の人種から隔絶するアパルヘイト化、という最悪の人種差別に向かわせるのは「欺瞞」であると。
上記の全国大会で基調講演をされた前文化庁長官の青木保氏の場合は、“異文化理解”(岩波新書)を著された直後に米国9.11同時テロが発生したことに強い衝撃を受け、「異文化理解」から更に踏み込む必要を痛感されて、その続編として“多文化世界”(岩波新書)を急遽、著された。当著書は、アイザイア・バーリンの主張に共鳴して、異文化を理解するだけでは「文化相対主義」に留まることが問題であり、異文化の間に人類としての共通の認識を築こうとする「文化多元主義」に至るべきであると論じている。
多文化主義の「パラドックス」も「欺瞞」も、その現実の現れとしての悲惨な民族紛争がこの世界から無くならないことも、結局、人類がそこまで至り得ないことから生じるのであろう。少なくとも、ユネスコ憲章に則り知的並びに精神的連帯を目指す私たちは、「文化多元主義」を求める者であることを確認し、その輪を拡げていくことに努める者でありたい。
(石田喬也)

 
 

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