開山1300年の
古刹襖絵にとりくむ
佐藤隆良氏
『小田急百貨店藤沢展』
個展会場の正面に据えられた、柔らく暖かい光を放つ干し大根の大作「冬日向」、その光に引き込まれるようにして会場の中へ。
そこは春の陽だまりのようにこの絵、あの絵から光が満ち溢れるふしぎな空間「四季の中のひかりたち」佐藤隆良作品展のテーマそのものの世界が拡がっていたのだった。
『画家を目指して』
故郷福島で小学2年のとき、台風で被害にあった自分の家を描いたら先生が褒めて下さり、その時画家になると決心なさったとか。
高校卒業後、牛乳配達をしながら辻堂に住み、20歳の頃、神奈川県展に応募。油絵の具に墨を混ぜ出品した絵が奇しくも日本画として入選、日本画家として出発することに。28歳のころ知遇を得た小泉淳作画伯から平山郁夫画伯を紹介いただき、生涯通じての恩師と仰ぐことになる。平山画伯のご推薦で前田青邨画伯の会でご指導を受ける。1981年の院展入選後は、数々の賞を受け、2001年には日本美術院特待に推挙され、現在に至る。
『ご縁をつなぐ絵はがき』
昨2010年春、地元鎌倉長谷寺で「祈りのひかり」展が開催された。この個展がご縁で12月の小田急展が実現。長谷寺展のときの絵はがきが一人歩きして、そのご縁で14年後には開山1300年を迎える千葉鋸山の「日本寺」(曹洞宗)の襖絵に取り組むことになったとのこと。
この奇縁には物語りがある。というのは、長谷寺展での出品作に魅せられ、その絵はがきを持ち歩いていた男性があるお茶席でその絵はがきを披露なさったときのこと。ご覧になられた御夫人が日本寺現住職のお母様。「自分の寺の襖絵を描いてくださる方を長いこと探していましたがやっとお願いしたい方にめぐり会えました」と。
こうして、氏は仕事場を鎌倉から日本寺に近い館山に移し、十数年かけての画業に取り組むことになった。
『平山先生への思い』
「このたびの日本寺とのご縁は平山先生が天から糸を手繰って下さったように感じる。先生は薬師寺の玄奘三蔵院「大唐西域壁画」の完成に50歳から20年をかけられた。僕は60歳から、光栄なことです」と。
かたわらには最高の理解者である伊代夫人が、氏に劣らず謙虚な風姿で控えておられた。氏がまだお若い頃、氏の絵には「光が射している」と支えてくださった方が伊代夫人の知人とか。「館山に移っても鎌倉ユネスコの会員はやめません」の言葉も嬉しかった。
(文:岡野周子 写真:尾花珠樹)
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