世界のポリスマンを自称する米軍の教育機関でイスラム教の聖地やイスラム教徒の一般市民に対して無差別攻撃が容認される授業が行われているという記事(朝日新聞2012.5.18朝刊)を読んでショックを受けた。私たちのユネスコ活動は、民族、宗教、文化、信条を乗り越えて、多様な文化を認め合い、共生の社会を実現することを目指している。そこで今回は基本的なことを知識としてまとめてみる。
ムハンマドは最後の預言者
聖書に出てくるアダム、ノア、アブラハム、モーゼなどはキリスト教では重要な預言者とされるが、イスラムでは最後の、最も優れた預言者とされるムハンマドは神性をもつものではなく、神の言葉を予言した人であり、人間を越えた存在ではない。これはキリスト教徒がイエスを「神の子」と呼ぶのとは大きく違うところである。
6つの信と5つの行
6信とは「神」(アッラー)、「天使」、「啓典」、「預言者」、「来世」、「神の予言」を信じることで、特にアッラー、預言者ムハンマドを信じることを重視している。5行とは、信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼をおこなうことで、礼拝は義務として1日5回、夜明け、正午過ぎ、午後、日没後、夜に祈ることを言う。まず、水による浄めをおこない、顔と手を洗い、濡れた手で頭をこすり、両足を洗ってから祈る。断食は毎年イスラーム暦の第九月(ラマダーン)の日の出から日没まで、一切の飲食を絶つこと。巡礼はメッカのカーバ神殿と聖地に詣でることである。
その他、天国に行くために、生活規範として、結婚、遺産相続、売買、契約の遵守、利子の禁止、困窮者の庇護、賭け事の禁止、アルコールや豚肉などの飲食物の禁忌など、日常的な礼儀作法が定められている。
イスラム教徒は、神のおきてを忠実に守る人が多く、貧者に対しては施しをおこない、金銭に対して利息をとらない人々である。そして現実にはテロ集団を恐れ,おののいている人びとである。それならば、アルカイダを中心とするテロ集団の動きの原因は何故なのか、考えてみたい。
イスラムを無視した世界の歴史
日本で世界史を学ぶとき、ムハンマド(570〜632)の出現、その後にペルシャ、さらに十字軍の派遣からサラセン帝国の動きなどは学ぶが、世界史の中心はヨーロッパである。さらに不幸なことに、列強の植民地政策時代にはイスラムは支配する側にはいなかった。第一次、第二次と続いた世界大戦では舞台には現れず、戦後の国際連合の中では脇役であった。
1979-89年のアフガニスタン侵攻は[無神論の大悪魔]ソ連とイスラム陣営の戦いであり、ビンラディンは22歳の大学生でありながら参戦している。彼は富裕層に生れながらも貧困、国際的不平等に同情して立ち上がった。その後、ソ連に代わって教敵としてキリスト教、ユダヤ教勢力の欧米陣営対イスラム原理主義タリバンへと変化し、文明の対立にまで大きくなってしまった。そして2001年アメリカ同時多発テロへ進んだ。
振り返るとこのような対立の原点はイスラエルの建国(1948)だったと思う。
これからはユネスコの出番
イスラエル建国から64年の月日がたっている。これは無視できない。イスラエルが平和を求めるならば、周辺の国々の状況を把握して、平和を求めるためには共生の道を歩むことしかない。平山郁夫初代会長がエルサレムに、イスラエル、パレスティナ、両方から入る事が出来る、さらに周辺の若い人たちに開かれた大学の構想を持っておられたが、まさに共生の道の表現であったと私は考える。
(鴇澤 武彦)
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