ユネスコ講座「いま、平和を考える」
 
2001年12月 1日(土)        中目黒青少年プラザ
主催 目黒区教育委員会   主管 目黒ユネスコ協会

                       講師  目黒ユネスコ協会顧問 田島 重雄氏
 
 私は、世界はどのように動いてきているか。その中で国連、ユネスコ、日本がどのように動いてきているかを歴史的に要約してお話をし、アフガニスタンの問題を考える場合の参考にして頂きたいと思います。
 
 私は、昭和18年12月1日ちょうど58年前の今日に当たりますが、農学部農学科の学生でしたが、学徒出陣第1号で入営しました。北朝鮮の羅南(ラナン)で3カ月間一兵卒として本当に辛い訓練を受けました。その後試験に合格して、軍の食糧自給を計る陸軍の主計幹部候補生として、満州の新京(長春)とシンガポールの経理学校に行き、卒業後、軍の後方部隊員として、丁度インパール作戦の終わったビルマ中部戦線で食糧増産の軍務に従事しました。生死の境を何回も潜り抜け、なんとか復員できました。そのような経験があるものですから、私は戦争或いは平和ということには、非常に敏感な訳です。
 軍隊から帰って、一応、北海道庁、そして、北海道大学を経て帯広畜産大学に勤務しているうちに、文部省から、パリのユネスコ本部に農業教育科学部という新しい部ができるので行っていただけないかという話があり、ユネスコに行った次第です。人にはまた留学ですかと言われましたが、1967年ユネスコに勤務することになりました。それまではFAO(食糧農業機構)でやっていることなのですが、ユネスコとして初めて農業関係の仕事を立ち上げるため奮闘し、ともかく部をひとつ作ってうまく活動し始めたところで帰ってきました。その後ユネスコ、FAOの依頼で、東南アジア中心に活動し、国際協力にあたってきました。農業開発に取り組みながら、平和について絶えず考えてきた訳です。
 
 本日は資料の中の1に載せましたが、日本人が戦争直後に平和というものをどう考えたかということを先ずみてみたいと思います。その例として2、3年前に出た「平和万葉集」の中に、日本人が戦中戦後に作った和歌、戦死して兄や父が帰って来ない、或いは残されたお母さんが頑張っているというような歌がたくさん収められていますので、それをご紹介します。どのように生きるかということで、戦争を体験した人達の思いが率直に歌われています。
  沈黙は共犯なりと呼びかける声凛々と櫛田ふき子百歳
  地の茨一億一千万個とぞ 地雷踏む子のあるなこの今
  宗教と人種の壁の取れたらば 生きやすからむ平和なるらむ

 もう戦争はすまいという日本人共通の感覚が、ちょうど憲法の戦争放棄、或いは国権の発動としての戦争は行なわないという憲法の基本に合致している訳ですね。そういうことで出発しています。
 
 戦後のその後の動きはどうなっているか。世界はどう動き、日本はどう対応してきたか。これを資料の中の2にまとめてみました。
 資料の中の3として、以上の「戦後世界の歩み」についてどう考えるか。皆さんにもご意見をお聞きしたいところですが、時間の都合もありますので、私の方で要約してみました。
 例えば東西冷戦、或いは途上国の独立、そして途上国の独立援助に伴う代理戦争、第3世界の連帯、南北対立。国交回復(例:日本・中国)、東西ドイツの統一。またECからEUとなったように、主権国家の壁が大分薄められてきました。私も去年12月、3週間程ヨーロッパへ行きましたが、パスポート、ビザを検査するところが殆んどなかった。来年といってもあと1ヵ月後の1月1日から、貨幣もユーロに統一されます。このように超国家的な社会ができつつあるのが1つの傾向だと思います。冷戦はなくなり、南北対立は薄められましたが、こんどは民族的・宗教的不満が拡大し、内戦・テロが起き難民が発生してきました。それに対し難民を救済する機関の創設ということが政治上の課題として出てきました。経済上では、GATT(国連貿易開発会議)等により、貿易自由化を進め、途上国その他の経済発展を図ってきました。一方経済発展の陰に資本・金融の集中いわゆるマネーゲーム、投機等の問題が出てきました。世界中が経済至上主義・経済合理主義追求一本槍になり、地域社会文化の背景を無視して事を進める動きになってしまっています。今の日本の農業でもWTO体制でものすごく苦しんで、自然条件の差異のために日本の農業は全部なくなって、食糧は全部輸入するという危険性があり非常に難しい状況にあります。経済合理主義はいいけれど、それぞれの国の特色あるものがなくなってしまうのではないかと思います。

 世界の安全保障については、最初は冷戦構造から、NATO、ワルシャワ条約機構を作るといった集団防衛、日本ならば2国間の安保体制、個別防衛力或いは攻撃力の強化、最近のインド、パキスタンでは、両国が攻撃力を高めていますから、今はパワーバランス(勢力均衡)によって平和が保たれている状態です。日本においては、憲法上の制約から攻撃用の航空母艦は持たない、爆撃機はもたない、防衛費もGNPの1%を超さないというように、軽武装・専守防衛体制になってていますが、核、ミサイルといった問題では、アメリカに頼らざるを得ないという非常に苦しい状態にあります。また国内テロ対策も考えなくてはなりません。サリン事件は日本が初めて起こしてしまったわけです。化学兵器の問題です。アメリカで起きている炭疽菌による生物兵器も問題になってきつつあります。さらに軍縮の問題があります。核実験禁止、核拡散防止条約、戦略核兵器制限、生物兵器禁止、化学兵器禁止、対人地雷禁止条約、武器輸出登録制度。いろいろ国連を中心として軍縮体制或いは暴虐的な野蛮な兵器はやめようということをやっています。その中で注目すべきことは、対人地雷禁止条約の出発点は、英国の若い女性のボランティア活動だったことです。ベトナム、カンボジアで地雷を踏んで多くの人が足をなくしたこと、対人地雷は残酷だというところから出発したものです。ボランティア活動が取り上げられて、初めて国際条約にまでなったという、我々にもできるんだという、我々の活動に対する大変励ましになる出来事だったと思います。

 世界の人権・環境・教育・文化について、国連その他の活動で、一番良かったことは、南アフリカ連邦のアパルトヘイト(人種隔離政策)をなくしたこと、国際婦人年を設けるなど女性の地位向上、国連環境会議、また地球温暖化防止条約についても、アメリカを除いてですが京都議定書の日本を含めての各国の批准というように、進み出しました。教育関係でも、成人教育、初等教育、世界識字運動、国連大学、生涯学習も発展してきて成果を上げている。殊に我々ユネスコ協会連盟が行っている世界識字教育運動が非常に伸びてきている。これは大変嬉しいことです。
 世界の歩みも、悲しむべき現象もあるけれど、一方プラスの面、たくさん弱点を持ってはいますが人智の粋を集めた国連或いはユネスコが中心になってプラスになってきた面も相当にある。希望が無い訳ではないということです。ボランティア活動で成功した対人地雷禁止条約のように、私は、世界識字教育運動がボランティア活動から始まって世界を動かす時が来るのではないか、という明るい希望と夢を持っています。
 
 次にユネスコを含む国連の活動の成果とその限界についてですが、あまり期待してもがっかりする面もなきにしもあらずですが、そうでもありません。国連の平和に対する貢献、これについては、既に述べたとおりです。
 国連の限界は、常任理事国が中心になって国連を作ったものですから、常任理事国に拒否権があるということ、これが大きな問題です。ベトナム戦争、コソボ紛争等拒否権の行使により国連の議題にできなかったことがたくさんありました。また対応に時間が非常にかかるということもあります。
 日本の政策の問題点としては、今まで消極的対応であったということです。内閣が変わる度に施政方針演説に国連協力が出る。しかしこれは国連で決まったことに対して協力するという姿勢で、先進国に属する日本のような国の取るべき政策ではない。新しいことを積極的に提案し、説得して参加してもらうというのが普通の国なのです。それがいきすぎるとアメリカによくみられるように、全部自分で決めて皆に倣わせようとする姿勢、これはいけませんが、提案し説得するという積極性が欲しいと思います。いま日本の武器輸出登録制度の提案にみられるように、多少積極性が出てきています。国連は自分達のものだというふうに考えて日本人の考えた良いことは、どんどん提案していくことが必要です。平山さんが、ユネスコ親善大使として活躍されているようにです。軍事的な貢献のできない日本にとっては、経済や文化の積極的貢献が必要ですそうでないと日本はただ乗りばかりだということになります。この前の湾岸戦争では、日本は130億ドルを供出して何も感謝されなかったという辛い思い出があります。これはタイミングが非常に遅かった。アフガニスタンでは、大変早く世界にも受け入れられた。単にアメリカを満足させるというだけではなく、テロはいけないんだという世界の流れに素早く対応できた。アメリカは、数千人殺されて今かっときているところですが、先を見る国ですから、いずれ反省はあると思いますので、その時に改善点を日本が積極的な提案をするということもいいのではないかと思います。
 
 日本の国際貢献の改良させるべき点は、日本の国際協力は、外務省とJICA(日本国際協力事業団)がやっているというように、官庁的或いは形式主義的なことが多いわけですが、もっと草の根・NGOの活用を図るべきではないか。日本の民間活動は、遅く出発しましたが、いま急速に追いついています。ペシャワールの会とかその他何百という民間組織が活動し、それに政府がお金を出している。きめの細かい活動、小さな活動も求められていますので、そういうところに我々ユネスコ協会の活動する道があるのではないかと思います。
 次に長期的な活動が足りない。或いは総合的なアプローチに欠けている。私は、文部科学省、農水省から時々仕事を頼まれますが、両方が平行して同じようなことをやり始めたりします。官の中の協力、或いは官民、NGO間の協力も必要ではないかと思います。先日も日本ユネスコ協会が難民救済の募金をペシャワールの会に贈ったようにです。
 
 最後に、個人として、社会人として、国民として今後いかに対応すべきか?ということです。私がユネスコ本部におりまして一番感じたのは、日本人は信用があるということです。どんな面で信用があるかというと、いったん決めた事は、責任感を持って緻密に確実に実行するという面で大変信用がある。ただ新しい問題については非常にスロー飛びつくのが遅い。決まったことに協力する。私も随分文部省なり農林省にパリから連絡しましたが、さっぱり乗ってきてくれない。緒方さんがいくようになって、或いは小渕さんが総理大臣になって大分良くなったようです。総理大臣がユネスコの人事に関心を持ち、日本出身者を事務局長に推薦するとかです。私が行っていた頃は、離れ小島に流された僧俊寛といったような寂しいものでした。日本からの大使と毎年1回会食するのですが、ユネスコ内部の状況などは、何も聞かれない。東京からの指令をそのままやりますから、対応がうまくいかず、行き違いが多かったように思います。

 日本人の個人的な弱点は、なんといっても、自分の能力をコミュニケーションできない或いは発表できないことです。これは世界中に有名になっているのではないかと思います。私など東南アジアの行き先で多少説明したりすると、へえーとした顔でみられ、香港やシンガポールの人かとよく間違われたものです。2番目に国際的視野の問題があります。今日は服部先生にアフガニスタンの歴史について良いお話を伺ったわけですが、日本の歴史、文化についても一通りの知識を持っていないと、国際的に尊敬されないということを感じています。3番目には、積極的なアプローチが必要だということです。
 
 日本はいま平和を楽しんでいる、平和に溺れているといった面が見られます。いろんな面で生活が崩れてきています。幼児から高校生までで、生活習慣病などどんどん増えている。また親が子供を殺す、子供が親を殺すといったこともあります。いろんな面で狂ってきています。一方においては国際的な地位、活動を考えなければなりませんが、日本も大変だと我々も少し緊張感を持つ必要があるのではないかと感じております。勝手なことを申し上げましたが、私の今日のお話は、これで失礼させて頂きます。

資料        「いま、平和を考える」    目黒ユネスコ協会顧問 田島 重雄
 
1.終戦直後の日本人の平和意識・覚悟(「平和万葉集」より抜粋)
   死に向かい飛び立つ若き兵士らの 白きマフラーの眸に消えず (近藤幸男)
   女らがここに身を投げし喜屋岬 記念碑ひとつ波の音聞く   (岩井直子)
   帰り来ぬ兄の噂におよびし時 無言となりて席を立つ父    (三浦綾子)
   幸あれと幸子と名つけ往きしまま 帰らぬ父よ死地さえ知れず (横須賀幸子)
   戦争に父奪われし子の嘆き 消えることなき長き戦後史    (滝沢教子)
   戦争に夫とられて寡婦ながき 母の一生よ石蕗の咲く     (中川みつ子)
   戦争に生き残りたる一人にて 平和の灯火守りてゆかむ    (染谷陽子)
   沈黙は共犯なりと呼びかける声凛々と櫛田ふき子百歳     (中村美智子)
   地の茨一億一千万個とぞ 地雷踏む子のあるなこの今     (日野きく)
   宗教と人種の壁の取れたらば 生きやすからむ平和なるらむ  (内田アツ子)
 
2.戦後世界の歩みと日本の動き
   1945 国際連合憲章発効
   1946 ユネスコ憲章発効
   1947 関税と貿易に関する協定(GATT)採択
     1947 日本国憲法発効(主権在民、象徴天皇、戦争放棄)
   1948 ベルリン封鎖(東西冷戦激化)、第1次中東戦争
     1948 日本ユネスコ協会連盟発足
   1949 欧州12ヵ国がNATO結成、中華人民共和国成立
   1950 朝鮮戦争勃発
     1950 日本・警察予備隊設置
     1951 日本・ユネスコとILOに加盟、対日講和条約・日米安保条約調印
     1952 占領軍総司令部廃止(独立回復)、日華平和条約調印
   1953 朝鮮休戦協定調印
     1954 防衛庁設置、自衛隊が発足(軽装備・専守防衛)
   1955 ワルシャワ条約機構発足
     1955 第一回原水爆禁止世界大会広島大会の開催(民間運動・政府支援)
   1956 アメリカ・ビキニ環礁に初の水爆実験(第5福竜丸被爆)、
      第2次中東戦争
     1956 日本国連加盟承認
     1957 日本・国連に核実験禁止決議案提出
   1958 第1回アジア・アフリカ会議(インドネシア・バンドン)
   1959 カストロ・キューバ革命に成功
     1960 新安全保障条約改定強行採決(6月自然承認)反対闘争激化
   1961 東ドイツ、鉄のカーテン構築、非同盟諸国首脳会議(ベオグラード)
   1963 部分的核実験禁止条約締結(米英ソが大気圏、宇宙空間、水中の実験禁止)
   1964 国連貿易開発会議開催(121ヵ国)、米空軍ベトナム爆撃開始
   1967 ヨーロッパ共同体(EC)と東南アジア諸国連合(ASEAN)成立、
      第3次中東戦争
     1967 佐藤首相が非核三原則を発表
     1968 東大紛争の発生、年内に全国115大学に波及
   1971 バングラデシュ独立、中華人民共和国の国連加盟(台湾の追放)承認
     1971 沖縄返還調印、環境庁の発足(公害行政一元化)、イタイイタイ病の原因認定
   1972 生物兵器禁止条約(日本を含む79ヵ国調印)
     1972 日本・中国 国交回復の共同声明(田中・毛沢東)
   1973 第4次中東戦争勃発
   1974 インド初の地下核実験
     1974 佐藤栄作ノーベル賞受賞(沖縄の平和的返還に成功)
   1975 ベトナム臨時革命政府が全国支配
   1978 初の国連軍縮特別総会開催
   1979 イランにホメイニ革命、米国・中国 国交回復(台湾と断絶)
   1979 アフガニスタンにクーデター、ソ連軍事介入
   1980 米国が対ソ穀物禁輸、
      国連緊急総会アフガニスタンからの外国軍隊撤兵決議
      イラン・イラク戦争勃発
   1982 国連環境計画特別会議がナイロビに開催される
   1982 米ソ戦略兵器削減交渉開始
   1983 北朝鮮・ラングーンで韓国要人暗殺
     1984 防衛費・GNP比率1%問題 しばしば国会の議題となる
   1986 ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故発生
   1987 大韓航空機ビルマ沖にて消息を絶つ
   1988 ソ連・アフガニスタンから撤兵
   1989 天安門事件(死者数万人?)、ベルリンの壁崩壊
   1990 ソ連共産党独裁放棄(大統領制・市場経済導入)
       東西ドイツ統一条約調印、湾岸危機発生(国連経済制裁決議)
   1991 湾岸戦争勃発(同2月他国籍軍地上戦開始。2月末日攻撃終了)
      ワルシャワ条約軍事機構の解体、ユーゴスラビア内戦突入(クロアチア対セルビア)、ソ連邦解体、独立国家共同体成立(11ヵ国構成)
   1992 EC諸国EU条約に調印、国連カンボジア暫定統治機構が発足
     1992 国連平和維持活動法(PKO協力法案)成立、8月施行
        PKO法による第1号(自衛隊施設隊600名カンボジア派遣)
   1992 ガリ国連事務総長「平和への課題」発表
      (予防外交、平和創造、平和構築、平和維持)
   1992 中国・尖閣諸島を領海法に、
       12月インド:ヒンズー・モスレム衝突 、死者1,000名
   1993 EC統合市場発足、国連化学兵器禁止条約(130ヵ国調印)
   1993 北朝鮮・国際原子力機関(IAEA)を脱退、
      ミサイル「労働1号」日本海に発射
     1993 環境基本法成立、世界文化遺産指定(屋久島、白神、法隆寺、姫路城)
     1994 ルワンダに難民救済のため自衛隊派遣(空輸派遣隊118名)
     1994 世界文化遺産指定(京都清水寺、平等院など)
   1995 世界貿易機関(WTO)発足
     1995 地下鉄サリン事件発生
   1996 包括的核実験禁止条約採択、南アフリカ連邦・人種差別法撤廃・新憲法採択
   1996 中国台湾の総統選挙に際し、M11ミサイル2発を台湾沖に発射
     1996 ペルー日本大使館左翼ゲリラに占領される。(1997・4解決)
   1996 対人地雷全面禁止条約採択:関係NGOのICBLはノーベル賞受賞
   1998 インド・パキスタン地下核実験、北朝鮮ミサイル「テポドン」三陸沖に着弾
   1999 NATO・ユーゴスラビア・コソボ空爆、東チモールに国際軍派遣
     1999 北朝鮮不審船日本領海侵犯、防衛指針法成立
   2000 韓国大統領初めて北朝鮮訪問(統一問題討議)
   2001 同時多発テロ事件ニューヨークに発生
     2001 テロ対策特別措置法、自衛隊法改正
 
3.以上の「戦後世界の歩み」をヒントに考えてみよう。
  1)世界政治の動向は?
    東西冷戦、途上国の独立、代理戦争、第3世界の連帯、南北対立、国交回復(例:日本・中国)、統一促進(ドイツ)、ECからEUの成立 (超国家的)、民族的・宗教的不満の増大(内戦・テロの要因)、難民の発生、経済・軍事制裁
 
  2)世界経済の動向は?
    GATT−Uruguay Round―WTO、国連貿易開発会議(貿易自由化へ限りなき前進)、資本・金融の集中、マネーゲーム、生産の合理化、失業者増加、貧困解決の希望喪失(テロの背景)
 
 
  3)世界の安全保障
    冷戦(集団防衛)、二国間安保条約、個別防衛力強化、国内テロ対策? 軍縮、核実験禁止、核拡散防止、戦略核兵器制限、生物兵器禁止、化学兵器禁止、対人地雷禁止条約、武器輸出登録制度、平和維持活動(PKO)、NGO活動の活発化とその役割公認
 
  4)世界の人権・環境・教育・文化などの動向
    アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃、女性・子供の人権尊重 国連環境会議、地球温暖化防止条約  世界成人教育会議、世界識字教育運動 世界文化遺産保護運動
 
4.国連(ユネスコを含む)の成果とその限界
  1)国連の平和に対する貢献
  2)国連の限界
  3)日本政策の問題点
 
5.日本の国際貢献の内容・性格は、今後どうあるべきか?
  1)日本の貢献の内容・性格
  2)日本貢献の限界
  3)改良進歩させるべき点
 
6.個人として、社会人として、国民として今後いかに対応すべきか?
  1)日本人の美点・特色
  2)日本人の弱点・改善点

                                                                    以上
 
文責 中村 正 研修活動委員会