ユネスコ講座「いま、平和を考える」         2001年12月 1日(土) 中目黒青少年プラザ
                   主催  目黒区教育委員会   主管 目黒ユネスコ協会
                   講師  服部英二先生(麗澤大学教授・目黒ユネスコ協会顧問)
 
    [テロと報復、憎しみの連鎖を断ち切れ−文明のひずみ是正を]
 
 今回の同時テロに焦点を当てて「9月11日は世界が変わった日と言われているが本当にそうだろうか」「このようなテロの背景はなにか」「この事態に即して日本は何をすべきか」について考えを話したい。
 
 初めに今全世界の注目の的であるアフガニスタンについて話しておいた方が良い。
仏教が紀元前 500年ガンジス川のほとりで生まれ、その後一時小さな宗教集団(原始仏教)ローカル色の濃い新興集団として約 2世紀生き延びた。紀元前 3世紀アショカ王が仏教の守護者となり強烈な布教活動を行い、インドのほぼ全域、インダス川上流カシミールの西ガンダーラまで広めた。各地にアショカ王の碑文がある。シリア、エジプトまでも使者を送った。その興隆もアショカ王の死後一時衰退し、次の興隆は紀元 1世紀の終りガンダーラに入ったカニシュカ王による。初めは武闘派だったが仏教の教えに触れ感銘し庇護者となった。
 
 大きな文明の出会い
 そのガンダーラの地で仏教と北から来たイラン系民族の宗教ゾロアスター教、そして、西から来たギリシア文明(ヘレニズム)、もう一つインドのバラモン教(釈迦入滅後 500年経った仏教の中に復活してきた)が出会った。ヘレニズムとは国際版ギリシア文明である。前 4世紀マケドニアのアレクサンダー王が遠征してガンダーラに来てギリシアとガンダーラの間に帝国を築いたが 1世紀で潰れ、大部分はイラン系のパルチア国となった。しかしその子孫は残り、シルクロード、天山への入り口のバクトリア国にギリシア文明が残った。今のアフガニスタンの北東部、すぐ隣がパキスタンのガンダーラだ。
 この 4つの大きな文明の流れの出会いが大乗仏教を生み出した。大乗仏教は世界的な宗教となってシナ、日本に伝わって行く。もし、この出会いが無ければ、仏教は一つの地方宗教として終わったのではないかと考えらる。紀元 2世紀大乗仏教の誕生をもって世界が出会った瞬間だった。これは中央アジアに起きた歴史的大イベントであった。
 
 大融合
 大乗仏教が初めて仏像を作る。これはギリシア(ヘレニズム)の影響だ。それまで仏教は仏陀を形象化せず、チャクラ(円盤)、仏足跡などを象徴としていた。この出会いが無ければ仏は形にならなかったのではないか。ガンダーラ、ジャジャラバード、カブール、仏教西端のバーミヤンには大仏があり 4〜 6世紀には何百という洞窟に仏像が安置され多数の僧侶が住んでいた。
 7世紀、中国の長安から天竺(ガンダーラ)に経典を求めてやって来た玄奘三蔵はバーミヤンで「黄金の燦然と輝く大仏を拝した」と言っている。 7世紀の大仏は金色に輝いていた。石の上に金鈑が貼ってあった。これはギリシヤ彫刻の影響で、現在残っているギリシヤ彫刻(ミロのヴィーナスなど)は白い大理石で美しいが、本来はすべて彩色されていたのだ。 エジプトも然り。長い年月を経て剥げ落ちたのだ。あれ程の立像の大仏は世界のどこにもない。しかも 5世紀には出来ていたと思われる。奈良の大仏より古い、しかも、岩璧に彫られた形態からして、大乗仏教が更にイランの古代オリエント文明に出会っていたことを示している。西方で岩壁に巨大な像を彫ったダリウス 1世なんかの影響だろうと思われる。
 
 今のアフガニスタンはどうなっているか
 ジャジャラバードについて、いろいろ聞いていられると思うが、1点だけ話しておくことがある。以前ユネスコ本部にいて、シルクロード総合調査計画を立案していて作家の井上靖氏に会った時、氏が 「発掘したら、ひょっとしたら天使が出てくるかもしれないですよ。それがジャジャラバードです」 と言われた。もし本当に天使が出てきたとしたらどういうことか。それはキリスト教もそこまで来ていたことになる。すごいことなのだ。そのような貴重な場所が、今、毎日空爆に晒され、戦火に晒されている。非常に悲しいことだ。ほんの30年前までアフガニスタンは桃源郷だった。豊かではないが農家があり、家畜が山々を歩き、所々に泉が湧き、果実栽培が盛んな、そんな平和な国だった。
 
 30年前に何が起こったのか。
 1979年は衝撃的な年だ。冷戦はアフガニスタンやパキスタンなどが起こしたのではない。超大国が起こした。米ソが二極構造となり恐怖の均衡によって平和を維持する。どちらも、あまりにも怖くて原爆を使えない状態が平和と考えた時代。その最中の1979年に事件が集中した。1979年は大きな革命の年だった。
1. 1月ベトナムのカンボジア侵攻により猛烈な数の難民がタイ国境を越えて逃げた。
  そのことを直前に予知したので日本ユネスコ協会連盟にカンボジア難民教育計画を即時にスタートさせた経緯がある。
  その年内にユネスコ・コーアクション特別プロジェクトとしてスタート。
2. ソ連軍アフガニスタン侵攻。
3. ホメイニ師が亡命先フランスから帰国しイラン革命を行った。
 イランに極端なイスラム原理主義の政府が出来てアメリカは断交。孤立して更に原理主義を深めて行く。後年アメリカの支援を受けたイラクがイランを攻撃。一方アフガニスタンではムジャヒディンが立ち上がってソ連と戦い、まさかと思われたがアフガニスタンがアメリカ製の武器で10年後 (1989年)ソ連を追い返した。ムジャヒディンは現在の北部同盟を結成したが、すぐその年から権力争いが起こり、 4〜 5年の間破壊、略奪、虐殺、強姦が相継いだ。この内戦により沢山の難民がパキスタン側に避難し、難民都市と言っても良い難民キャンプには土で作った家が累々と並んだ。1984年訪問した際のユネスコの教育援助の申し入れに対し意外なことに「ユネスコの教育援助は要らない」という回答。「学校はすでに何百とある。サウジアラビアが援助して建ててくれた」とのこと。立派な建物で10代の少年たちが勉強していた。ただし、完全にコーランだけを教える学校すなわちマドラサだった。そのコーランで育った学生たちがすなわちタリバンで、1994年アフガニスタンに帰ってカンダハルに根拠を構えた。
 
 彼等は今のタリバンのイメージからは考えられず、非常に質素で清潔で秩序を守ってコーランの教えの通りに行動した。その噂が燎原の火の如く広まり、民意を掴み 3年にして全アフガニスタンがオマル師率いるタリバンの勢力下に入った。この所が報道の注意すべき点だと思う。現在、日本は西側にいて、アメリカの同盟国であるという意識が強いので、日本のメディアも一方的な立場で情報を流している。例えばカブール解放で人々が喜んでいるシーン、タリバンに女性が苛められている映像等々。しかし、私たちは常に公平な目で判断しなければいけないと思う。

 私がタリバンと会ったのは20年前、彼らは10代の子供たちで、すべてを判断することは出来ないし、人々は硬直化し組織化が大きくなればなるほど、それを維持するために鉄の規制を課すということがあるから現在のタリバンについて言う資格はないが、全体的に感じていることは、世界は冷戦が終り、1991年の湾岸戦争後、それまであった緊張関係が崩れ、平和のようなものが訪れた。すなわちパックス・アメリカーナという一極性高気圧、権威は超大国アメリカにしかない状態になった。それからの10年の時間は問題の時間である。その間に一つのゆるみがあった。
それは、人間には一人一人に本能があるということに関わっている。
     一つはプラス------ 建設・エロス(生)の本能
     一つはマイナス---- 破壊・タナトス(死)の本能
 一定期間平和が続いた時に起こりやすいことは、人間の本性に根差している破壊の本能の噴出だ。文明を築いて来たのは「理性」でありプラス本能を助け、マイナスを抑えて来た。

 いま起こっていることは、明らかにその理性が一時的に姿を消したということだ。少なくとも9月11日以後1か月位は明らかだ。世界のリーダーたるべき米大統領でも理性を失った言葉を頻発した。「復讐 Vengeance 」(報復 Revenge よりも強い)キリスト教精神から遠いキリストが禁じた言葉で、あってはならないことである。この Vengeanceを行うと悪の憎しみの連鎖を引き起こすことになる。しかし、この言葉によって何時の間にか戦争が正当化されるという時代が来た。「精神の同質化」という現象が世界的に起こったのだ。少なくとも先進国のうちで。だれも反対出来ない状況が出現。つまり、90% の人がブッシュを支持することが 2か月間続いた。
 一方、イスラム陣営、中国、ラテンアメリカ等数十か国の人々はこの事件に手を打って喜んだ。世界は二極分化した。大きな危険性を将来に残した。精神の同質化は批判精神を封じ込める口実になる。例えば戦争直前、開戦後の日本やナチの台頭してきた頃のドイツなど。必ず破局的終末を迎えている。

 いろいろな意見があることが貴く、一つの均衡をもたらす。それが同一の意見だけになった時は非常に危険だ。いろいろな文化の多様性こそ宝だ。これがユネスコの立場だ。アメリカのように言論を尊ぶ国でも、平和運動をやった女子学生が暴行されるという事態が起こる。また、ターバンを巻いているだけでアラブとは全く関係のないシーク人(ヒンドゥ教から出た一派)が殺されるなどの事件が数知れず頻発している。楽観出来ないのは、この戦争は出口がない所へ来ているということだ。ここで仮にラビンが掴まって処刑されたとしても、タリバンが崩壊しても戦争が終わったわけではない。アフガニスタンが再び果てしない泥沼の内戦に入る可能性が高い。また、もし、ラビンが処刑されたら、新しいテロリストが弔い合戦を生み出す可能性を秘めている。テロリストは姿が見えない。従来の戦争では敲し難い敵だ。それに対する報復は「姿を見せるテロ」これが現状だ。イスラムの人に限って悪く言われている風潮がある。日本においてもイスラムのことを知っている人は少ない。私が約20か国のイスラムの人々と話して感じたことは、同じ人間、敬けんな清潔な人々だということだ。怖さを伴うイメージはどこから生まれたのか。これを考えてみなければいけない。
 
 イスラムは大文明だ。ちょうど奈良時代にパックス・イスラミカ(イスラムの平和)があった。東のバグダッドを中心とした巨大なイスラムの平和があり、それが中国に至りシルクロードの担い手になっている。シルクロードは唐時代( 7〜 8世紀)に最盛期を迎える。シルクロードの商人はペルシャ人で,イスラムは 8世紀初めには上海、広東、長安に至りイスラム寺院、モスクまで出来ている。東西文化交流をやったのはイスラム人(モスレム)なのだ。中国人が旅をしたのではなく、西から来たモスレムたちが旅をした。
 もう一つ、彼等は古代ギリシヤを発見した。アラビアにおける12世紀ルネッサンスだ。
そこで、ピタゴラス、アリストテレスなどの教えが伝えられ、それが13世紀にラテン語に訳されることにより、やっとヨーロッパの学問がスタートした。
 このようにイスラムの人類史に果たした貢献は素晴らしいものなのだ。ところが、それらが教科書から抹殺されているという事実がある。このような歴史の歪曲がバックグラウンドにある。それに対する恨みがずっとイスラム社会の人々の中にある。アメリカのような巨大な価値が現れて世界を圧倒しようとする時、底辺にある恨みがテロに繋がったと言える。
 
 日本は何をすべきか。
 テロリズムに対して毅然とした態度をとることは絶対必要だ。しかし、それは直ちにアメリカと同調することではない。巨大な独善主義に走っているアメリカ、更に西欧諸国と違う立場があってよい、例えばG7諸国の中で日本の他は全部キリスト教国であることに気付かれることと思う。非キリスト教国としてキリスト教国(ユダヤ教も含め)とイスラム教国との中間の立場をとれる国が日本なのだ。この二つの間に文明間の対話と「互敬」を呼び掛けることが日本の本当の役割だと思う。                         

文責 清水嘉男研修活動委員長