ユネスコ文化講座 「地球環境と21世紀の社会」
   主催:目黒区教育委員会    主管:目黒ユネスコ協会
   講 師  渋沢寿一氏  [特定非営利活動法人] 樹木・環境ネットワーク協会専務理事
   日 時  平成13年 6月15日(金) 19:00 〜 20:30
   会 場  緑が丘文化会館
 
 初めに、ユネスコに因み、世界遺産に登録されている飛騨の白川郷についてお話します。
 私は長い間、白川郷の合掌造りの建物が世界遺産なのだと思っていました。多分皆様の中にも、そう思っている方が大勢いらっしゃると思いますが、実は、白川郷の集落に生活している人々の生活そのものが世界遺産とお考えいただいて良いと言えます。白川という飛騨の山深い、耕地の少ない所で、縄文時代からあの生活が続いています。当時はもちろん合掌作りではなく、立穴住居でしたが2000〜3000年に亘って、ずっと遺跡が続いていて人々の生活が、永続していたことを示しています。過疎の集落で「何故2000年も続いたのか」これが今日の話題です。そこに住んでいる人の、ものの考え方が2000年続かせたのだと思います。自分たちの食べる僅かな食料以外は、全て山に依存して生きている。徹底的に山を利用する方法を知恵として持っていた。どうやって山を利用したかというと、元金には手を付けずに利息だけを利用する。 1年間或いは10年間で元に戻るという自然を利用して来た。「自然と共存」「自然に優しい」という言葉が昨今騒がれていますが、自然と共に暮らしてきた生活は、日本にはどこにでもあったのです。周りの自然環境、そして、どういう木が山に生えているか、どういう労働力によってあの家を作ることが出来たのか、どういう社会を人々が築いたのか。見事な共同体の仕組みが出来て、しかも、あの自然を徹底的にうまく利用していく知恵が集積したからこそ、世界遺産になったのです。その部分を日本人はもっと誇ってもいいのだと思います。
 
(レジメに沿って)
  1.各国の環境NGOの苦悩
 三年前エクアドルで大地震があり大きな被害を受けましたが、国家財政が破綻しているので神戸のように国や民間が金を出して町を再生することが出来ない状態でした。そこで、世界中の環境NGOに声をかけ、ノウハウを持ち寄ってお金をかけないでエコシティとして再生させようとする会議がありました。ITの発達した現在、インターネットで広く世界に呼び掛けようというものでした。
 会議の後のシンポジウム、エコ宣言に続き、最後のレセプションになっても、会場は全員が絶望感で声もない状態でした。「このままでは、人類はあと50年持たないだろう」「次世紀まで生存出来ない」というのが殆どのNGOの現場に携わっている人達の考えだったのです。これは、「地球の環境破壊が進んでいるから」「CO2 など環境のアンバランスが起きているから」などと言う具体的な悩みではなく、絶望している共通のこととは、「人間の欲望を押さえられない」ということなのです。20世紀を作ってきた西洋科学文明の社会は「欲望を押さえる」というシステムを持っていないのです。今までダイレクトメールで一週間かかって買えたものが、IT革命によってクリックすれば、その場で発注出来るという便利さが得られる。確かに消費は増えるがなにが得られるのか。頭の中の欲望というマーケットを延々と広げていくシステムなのです。大量生産・販売で自動車業界を席巻したT型フォードが1927年にGM車に負けて生産を中止しました。GMはデザインとクレジットで売り、デザインに飽きさせ、お金なしで手にすることが出来るというマーケットを作り出したのです。このマーケットは実は現実の生活にあるのではなくて、頭の中にあるマーケットなのです。頭の中のマーケットは無限です。それをどんどん大きくし、消費を拡大する。これが近代技術文明の発展の構図だったのです。今は不況です。どうやって豊かな国にするか。そこに出てくるのは、やはり消費を拡大する案しか出てこないのです。
 エクアドルの会議のレセプションで一人のアメリカ人が「もう一度日本の鎮守の森を中心とした里のシステムを勉強しよう」とスピーチしました。「日本人は、人間は自然の中の一部であり、八百万の神と言ってどこにでも神様がいる。自然の一部として生活し、徹底的に利用し、元金には手を付けず、自然に敬意の念をもって接し、自然を神と崇め、なおその中で自制していくシステムを作ってきた。このシステムを世界中のNGOは学ぶべきだ」というものでした。この発言は絶望感に満ちていた会場を蘇らせ全員が大拍手で賛同しました。しかし、昔は勤勉で自然と共に生きてきて尊敬された日本人も、現在はエコノミックアニマルと言われて冷たい目で見られています。
 
  2.地球環境の現状
 (レジメに沿って世界の人口、平均寿命などについて話された後)
「水」。中国の黄河は現在年間 290日間流れていません。原因は上流で水を取ってしまうからです。少数民族を追い出して漢民族を移住させて開墾させたり、イスラム族が山羊を連れて入ってきて草を根こそぎ食い尽くして砂漠化させるなどが原因で、水の取り合いも起こっています。アラル海は殆ど干上がり大穀倉地帯も塩分で真っ白の状態になっています。世界中で水不足が起こっています。環境問題というのは、自分たちの生命を循環させるという問題です。人間は他の命を食べると言うことです。この行為は人類が生まれてから何ら変わっていないのです。命を長らえて死んで、土に帰りバクテリアの餌となる。これを延々と繰り返してきました。これは文明が発達した今でも全く変わっていません。すなわち、自分たちは物を食べなければいけない。すなわち、他の生命を作らなければいけない。そのためには、水が必要です。特に植物を作るためには絶対に水が必要なのです。今から30年ほど前に「緑の革命」ということが一時騒がれました。稲で言うと IR8.小麦でも多収性品種が作られ、従来の何倍もの収量が取れました。これで世界の食料不足は問題解決と思われましたが、現在、発展途上国でその品種で作っている所は恐らく一か所もないでしょう。それは何時の間にか無くなったのです(稲の IR8の子孫は残っていますが)。何故かというと多収量の品種は沢山の水と肥料が必要だということが分かったからです。これは当たり前のことなのですが、実はそれが分からなかったのです。植物は空気中の二酸化炭素と水と光を自分の葉緑素の中で澱粉に変えていく。その行為は品種に関係なく不変のものです。アウトプットが多いということは、インプットが多いということです。このため、水が無いと作れないということから、世界は一斉に灌漑施設を作るようになり、発展途上国からは植物の品種改良の専門家より農業土木の専門家が求められるという状態だったのです。こうした結果が先程の黄河やアラル海・カスピ海などの現況なのです。それでは、これからどうなるのかですが、「緑の革命」の次は「青の革命=水の革命」と言われ、「水を食わない植物を、遺伝子工学でなんとかして作れないか」と世界の研究者が懸命に取り組んでいますが、たとえ水を効率的に使う品種が出来たとしても、人間の欲望が尽きない限り、これから50年間で増える30億人の人口を養う食料は出てこないのです。
 ソ連邦が崩壊し民主主義・自由主義の時代になり、それがもたらしたものは、これだけ資源を取り尽くしてしまったこと。地球上の 25%の人間が 80%のエネルギーと資源を使っているという現状。この人間同士の不平等が貧困、戦争を生み、環境破壊をしている。これが現在の地球の状況です。つまり、人間が変わらない限り、どんなテクノロジーや科学文明が発達しても、環境問題は決して解決しないのです。じっと我慢していれば科学者が頑張って何年か後に素晴らしいものが出てきて環境問題は一挙に解決するだろうとは絶対に考えないことです。皆さんが変わらない限り環境問題は解決しないということを心にとどめていただきたい。
  3.循環型都市の試み
 農業は環境産業と言われますが、日本の稲作は投下したエネルギーに対して 38%の籾しか取れない。莫大なエネルギーを使つています。そのエネルギー源は全て石油に頼っています。地球の元金を食い潰していることになります。エネルギー収支から言うと環境破壊を延々と続けているわけです。
 1800年後半、江戸の町を見たペルーやモースはエコシステム都市としての江戸を礼讃しています。その頃フランスのパリでは、セーヌ川の船の事故で 200人もの死者を出しましたが、その死因は水死では無く、完備した下水道による汚染で発生したメタンガスによる窒息死だったそうです。それに対し、江戸のシステムは、下肥として近隣の百姓が買い受け、江戸 の人口100万を養う農作物の肥料に還元しました。立派にリユースのシステムができていました。
 現在の日本でも長崎にあるハウステンボスはエコシティーのモデルとして建設され、雨水や使用済みの排水などを、地下のバクテリア層やセラミックフィルターにより完全に浄化し飲料としても使えるようにし、また、ごみも分別を徹底してリサイクル、リユースを図るなど、徹底した循環型の都市機能を作り上げました。バブル期に最高の技術で作った街です。アジアの留学生が見学に来ました。その留学生たちの感想は「ハウステンボスは目標ではなく、夢でしかない。自分の国は貧乏で、こんな施設は絶対に作れない。むしろ、これを見て惨めな気持ちになった」でした。これを聞いて、環境問題はテクノロジーの問題ではなく、自分たちの問題なのではと感じました。オランダは環境について最も優れた国です。ハウステンボスにはオランダからも研修生が来ますが、彼等は小さなバッグを一つだけ持って来ます。それに引き替え日本からオランダに行く研修生の若い女性などは、大きなスーツケースを二つも持って行きます。ものの考え方の違いでしょうか。
 
  4.持続可能な経済モデルとの出会い
 ミャンマーは世界で最貧国の一つです。ある農水省OBの老人が「FAOに出向した時貰った給料30ドルに、貯金の20ドル全部を加えて50ドルを寺に寄付したことは、人生最高の思い出だ」と語ってくれました。これはどういうことでしょうか。ミャンマーの社会はいつも実体経済であり、余力が出ると寺に寄付してしまう。「宵越しの銭は持たなくても生活に困らない」という安心感。金で計り知れない価値です。
 ミャンマーは世界で最も貧しい国と言われているが本当に貧しいのか。これは21世紀の経済問題を考えるのに、ぜひ私どもも考えなければいけないことです。経済が発展するとお金が豊かになる。安心と豊かさが買えるのだと信じてきた。一生懸命働いて豊かになった。日本は世界第2の金持ちの国になった。一人当たりでは恐らく最高の金持ちの国になった。では、本当にミャンマー人よりも安心と豊かさの実感を買えたか。やはり買えなかったのでしょう。そして、欲望は止まるところを知らず、日本は、もっと欲望を増やす、もっと消費が増やせればお金を使って豊かになれるという。まだそれを追いかけているのです。21世紀は本当にそれでいいのか、皆さん、一度考えてください。
 
  5.鎮守の森と里山の風景 
 特別の例ではありませんが、一っのヒントとしてお話します。秋田県中央部、田沢湖の西寄りに鵜養(ウヤシナイ)という集落があります。奥羽山脈の中の盆地で川の最上流にある集落で、かっては湖だったと言われています。ウヤシナイの名のとおり、アイヌ系の人が住んでいたのでしょう。約70戸 250人ほどのこの集落のエネルギー源は、33か所の入り会い林です。全部ブナ、ナラなど広葉樹林で、 1か所の林を全部伐って村のエネルギーとして使用します。一見全くの裸になって自然破壊に見えますが、 3年ぐらい経つと萠芽が始まり、復活してきます。33年目には元の太さの林に戻っていてまさに持続可能なのです。人口が増えない限り、延々と村で使う薪と炭は、その入り会い林、すなわち自然が絶えず与えてくれるのです。また、水は最上流の集落ですから、直接川から堰で引いてきます。暗渠ではなくオープンエアーです。村の中を等高線に沿って流れができ、それに沿って集落ができている。各戸が水を引き入れ飲料、野菜洗いに使い、余った水は裏の池に溜めて暖め、畑に使います。最後に水田に落ちて、オーバーフローして元の川に戻ります。大腸菌の調査の結果、取水口から最後の川まで一か所も検出されませんでした。自然の土の中のバクテリアの浄化システムが、排水を完全に浄化する能力を持っているということです。要するに、自然の処理能力以上に負荷をかけていないのです。それによって、オープンエアーの堰が守られているのです。一番疑問に思ったことは、なぜオープンエアーなのに汚されないのか、ということです。子供もいるのですが、汚すような行為が全く見られないのです。我が家の中学生の息子とこのことについて話したところ、「それは当たり前だ。水がどこから流れて来てどこに行くかということを、そこの子供たちは全部知っている。だから、どこでは泳いでいいけれど、どこではいけない、ということが分かっている。それに対し、僕たちは水道水で、蛇口を捻れば水が出てくる。お金を払えば水道が引ける。お金を払えば排水は下水に流せる。水がどこから来てどこに行くかが分からない。お金を払った分だけ使おうという発想しか出てこない。だから水をキレイにしようとは思わない。彼等はどの水によって自分たちの生活が賄われているかを実感として分かるから、汚さないのだ」と言いました。この実感として分かる、ということは、大変重要だと思います。集落の男たちは全員家を建てることが出来ます。大工が出来るのです。屋根を葺く茅は山中の茅場から女性が刈り取ってきます。女性たちの仕事です。葺くのは男たちです。山の木で簡単なろくろを作り、自分たちで簡単な道具を作ることが出来ます。道路工事なども山の木と粗朶(そだ)とで自分たちでします。お百姓さんたちですから、当然自分たちの食べ物は自分たちで作る。つまり、自分たちで自分たちを賄えるのです。自分の命を賄っている自然の量と質、その中で、どのくらい辛い思いをして労働すれば、自分の命を賄えるかを実感している社会なのです。この社会というのが、いかにモラルや環境に対しての知恵を作ってきたか。
 
  6.持続可能な社会を目指して
 環境NGOの職員へ「自分たちで自然の中で物を取って、口に入れたことがある人」と質問したところ35才以上の人は「ある」と答えたのに対し35才以下の若い人は全員「経験がない。全部お金で買った物」と答えました。今の若い人の自分の命の向こう側にあるのは全部「お金」なのです。息子は「将来、お金持ちになりたい」と言いました。しかし、お金持ちになって贅沢したいというのではなく、「お金持ちになれば、安心して生活できる」ということなのです。お金がない、ということは自分の生活、すなわち命に対する不安なのです。ミャンマー国民の中で、良い会社に入らなければ、食べていけないなどと思っている人は恐らく一人もいないでしょう。本当にどちらが幸せかと言った時、本質はお金ではなく、他の命と向き合っている筈なのです。他の命に生かされて、私たちは生きている筈なのに、現実はお金に生かされている生活になっています。息子は「学校の成績によって良い学校・良い会社に行けない場合の、食っていけないという恐怖感は分かってもらえないだろう」と言います。実際、息子の部屋の中には、生まれてからお金で買わなかった物は、壁に掛かった鵜養集落の老婆から貰った一足の草鞋以外に一つもありませんでした。これくらい、お金と対している異常な世界が出来ているのです。実体経済に対しバーチャル経済(コンピューターなどによる)が既に 320〜 360倍になっています。世界の経済のほとんどを動かしているのです。人間が生きていくために使っている経済では無く、バーチャルの世界の中のお金が世界を支配してしまっているのです。これは果たして、まともな世界なのでしょうか。日本は、経済というものだけで、人間の幸せというものを考えてきましたが、結局、環境にしても、教育にしても重要な問題に歪みを起こしてきました。WTOのシステムだけで、これから世の中が維持していけるのかが、一番重要な問題になっていくと思っています。
 秋田の鵜養集落には古くから山神様を迎えるお祭りがあります。タンボの土でかまどを作り、川の水で湯を沸かす「湯たての神事」です。各戸の家長が持ち回りで当番となります。最近、代替わりした若手(30〜40代)の人たちから「ガスコンロで湯を沸かしてもいいじぁないか。土でかまどをつくるのは迷信じゃないか」という意見が出て、論争になりました。席上一人の老人が「これは農業のやり方の違いだ。昔は朝の陽の光で田の色を見て、その日の農作業を決めた。その判断が出来なければ百姓は出来なかった。そのためには、体調を整えるなどして真剣に毎日取り組んだ」と言いました。自然=山神様という関係は切ることが出来ないことだったのです。今の農業はマニュアル通りにやれば、誰でもある程度の成果を得ることが出来ます。祭りに対する思い入れは全然違う訳です。自然と共存するということは、自然は向こう側にあって愛でたり、眺めたりする世界ではなく、自分たちも自然の一部であることを認識することです。皆さんの身近な自然環境は自分の体です。自分の体は小宇宙です。微妙なバランスの上で成り立っています。人間の体と近くにある植物との境ははっきりしないのです。私たちは地球上の生物の中の一つの細胞にしか過ぎません。これが環境問題です。私たちの体の痛みとアマゾンで絶滅に瀕する種の痛みとは同じに考えられるべきです。秋田の例は、かつては日本の農山村には、どこにでもあったことなのです。異質な歪な暮らしではなく、実際にあった暮らしであることを、もう一度認めるべきだと思います。
 
 「世代と世代が平等な社会」
 かつて75才の木地師に会ったことがあります。 3〜5年毎に山村を渡り歩きブナ材でお椀などの生活用品を作る仕事をしてきました。ブナ材でつくった製品は 100年持ちます。これはブナの樹齢 100年と見事に一致します。コンビニの 100円のおにぎり。この 100円は何の価値でしょうか。時間の面から考えると、包んでいるラップはゴミとして土の中に埋めたら、分解するのに恐らく 500年以上かかります。しかも 1億数千万年前に数千万年かけて作られた石油でできています。ブナの話とまるで逆です。もし時間がコストならば、物凄い値段をあのラップに支払わなければなりません。昔は竹の皮で包みました。殺菌効果もありました。一年で土に戻りました。そうすると、おにぎりはお米など中身の値段です。現在の経済システムには時間の概念は入っていません。原価のない製品は主に2つあります。一つは石油です。掘削費が主で、作られるまでの時間は入っていません。もう一つは木材で、ヒノキは成長するのに 200年かかります。植えてから 6世代はお金になりません。自然の中で植物にしても動物にしても、それぞれの寿命は人間と一緒ではありません。自然界の時間に人間を合わせるには、何等かのシステムを作らなければいけません。エコマネーと言うように貨幣経済の中に時間の概念を入れていけるのでしょうか。
 日本人は「仕事と稼ぎ」という概念を作りました。山村では仕事と稼ぎの両方が出来て一人前なのです。「稼ぎ」とは、自分たち家族が食べていくこと。(百姓・出稼ぎ・賃仕事など)「仕事」は、今はお金にならないが、将来孫子の時代のために、今やっておかなければ、この共同体が維持出来なくなること(山の木の管理・水の堰の管理・祭り・屋根葺きなど)です。祭りは共同体を維持するために共通の感性を持って、一緒のコミュニティーを作るために必要で、これも仕事です。祭りの差配をすることは大変な仕事でした。今はリクリエーションだと思われていて、差配役も「町内会で順番が回って来たからしょうがない、まあやるか」ですが、本来重要な仕事なのです。仕事と稼ぎが両方出来て一人前ですから、私たちが普段仕事と思っている、金だけ稼いでいる人は半人前で、一人前扱いされていなかったのです。町方も全く同じで、コミュニティである「講」の世話とか祭りの世話などは、完全に仕事としてやっていました。江戸時代は江戸 100万都市に50人位しか今で言う都庁職員(警察官も含めて)はいませんでした。そんな体制で何で出来たかと言うと、実組織がガッチリ出来ていたからです。仕事という概念があったから、稼ぎではなく実組織を自分たちでやっていたのです。
 日本人は仕事と稼ぎという概念を作って、集落を維持してきたのです。それが、今は「仕事は全部行政がやるものだ。税金を払っているから行政がやってくれるのだ」と思っています。しかし、行政はやってくれません。何故かと言うと、行政は単年度決算だからです。要するに、1年毎に締めていかなければならない。 100年先の仕事などは殆ど出来ないのです。何世代も先の仕事をこの社会の中で一体誰がやるのか。NPOが社会の中で必要とされる部分は、多分この部分だけだろうと思います。福祉・環境など今は金にならないけれど、何世代か先に必要だということをやっている。今後のNPOが、ちゃんとして出来るかどうかは、この部分の仕事を出来るか、出来ないかにかかっているのです。
 
  「人と人が平等な社会」はどうやれば作れるかについてお話します。
 中国の植林ツアーは地元の人たちに大歓迎されますが、そのツアーの団体が引き上げた後、村人は植えた木を一斉に引き抜いて焚き付けに使ってしまうことがあります。中国内陸部の生活はその位大変なのです。ただ植林をすればいいということではありません。世界中の 25%の人が 75%の富(資源)を使っています。残りの 75%のうち、12億以上の飢餓に直面している人たちは、それどころではないのです。そういう飢餓に直面している人たちが環境破壊をすることを、私どもにとやかく言えるのかどうか。つまり、人間同士の思いやり、そんなものが果たして世界の中で価値として認められるのでしょうか。本当に飢餓に直面している貧しい人たちに私たちはどうやって手を差し延べられるのでしょう、という思いがあります。
 昨年の10月に経験したことですが、新潟県の朝日村の奥三面(オクミオモテ)集落でのことです。この集落は昨年10月 2日にダムの底に沈みました。20年位前に移転の話が出て、15年前に全戸移転が決まりました。新潟県唯一のマタギの集落で民俗学では有名なところです。遺跡の発掘がされ、江戸時代の集落の跡が出てきた後、その下から室町、平安朝、古墳時代、弥生、縄文と続き、最終的には旧石器時代(今から 3万年前)の遺跡が出てきました。同じ所で 3万年間生活が続いていた訳です。それを20世紀に私たちはダムの底に沈めた訳です。ダムの可否はともかくとして。 3万年の総括をして次の時代に残さなければいけないということで、民俗学者、考古学者、県の職員など全員で、村の衆を交えたシンポジウムを昨年10月 1日に行いました。ある調査官が 1万 5千年前の縄文のある集落の報告をしました。「真ん中のストーンサークルを中心に約20戸の縄文の立穴住居があった。各住居の入り口に縄文土器の甕(カメ)が埋まっていた。しかも全部蓋がしてある。一体何が埋められていたのか。土の分析の結果、人骨しかも嬰児が埋められていた。こういう習慣がこの集落で見られ他からも幾つかの例が見られる」という発表でした。その時、一人の老婆が「それは縄文だけでなく私もやっていた。貧しかったから、間引きもあったし、医者に見せられないから、沢山の子供が死んだ。その子供達を自分たちも家の入り口に埋めた」と言いました。「何で家の所に埋めたの?」という問いに対して、「だって家族の声が聞こえなかったら可哀そうだ」と言いました。
 現在、持続可能型社会と言っていて「どういう社会システムを作ったら良いのか」「どういう経済システムを作ったらいいか」とか「政府が何をやるか」「経済が何をやるか」など、それで21世紀を私は考えようと思っていました。それに科学のテクノロジーをどうやって使えるかと思っていました。しかし、 3万年続くということは、そんなことよりも「家族の声が聞こえなかったら可哀そうだ」という優しさだとか愛情とか慈しさとか、人を許すという感情だとか、社会の中では非科学的であって、そんなものは情緒的だと言って20世紀には極力、なるべく触れようとしてこなかった人間の心の感情の部分が、本当は 3万年維持するということに関してはものすごく大きいウエイトだったのではないかと思い至りました。環境問題は多分最後にはここに行き着くと思います。私どもがどれだけ愛情深い生活を送れるような環境を作れるか。愛情とか優しさというものを、社会の中で価値として逃げないで、ちゃんと認めていける社会を作れるか、ということが本当は環境問題の基本だと思います。
 和歌山県の龍神村の村長さんとの話ですが、その村は過疎の村として地方交付税がカットされるといって広域合併を迫られている。しかし村長は最後は独立国になってでも自分たちは合併に応じないと言って周辺から徹底的に叩かれています。その村の小学校の跡地から温泉が出て、そこに温泉センターを作りました。村の年寄り皆がそこで働くようになり、皆は活き活きとしてきた。「昔ここにあった小学校で皆は勉強した。そこに出た温泉で働けて、県外から来るお客さんと接することが出来ることは私たちにとって最高の喜びだ」という話でした。村長さんは「自分も村政をやろうと思って、お金の歳入と歳出でどれだけの施設が出来るのか、としか考えなかったけれど、お婆さん達の幸せそうな姿を見ると本当は自分がやろうとしていたこと以外に、ものすごく重要な部分があるのではないかと思うようになった」と話してくれました。
 今の社会の何をお金が支えているのか。お金が社会を作っているのではなくて、本来私たちが捨ててはいけない、ある社会があって、それが多分21世紀というものの社会像であって、立派な建物や道路でもない、技術文明でもない、政治システムでもない、ひょっとしたら近代科学でもないもの、その中の人間が外してきた心の中のものが、一番支えなければいけない重要なものなのではないか。デジタルなお金というものと心を向き合わなければならない、この異常な世界。しかし本当はそれこそ捨てなければいけないもので、人間の心の中にはもっと豊かなものが残っているのではないでしょうか。
 漠然とした結論しか言えませんが、そういう思いで暮らしてきた人たちが、まだ日本の山村、農村にはたくさん生きています。そういう人たちの声を皆さんに伝えることが私たちNGOの一つの仕事だと思います。興味のある方は、ぜひ「稼ぎ」ではなく本当の「仕事」の部分を体験するために、私どもと共に、いろいろなフィールドにご参加くださると有り難いと思います。
 
                                                      文責   研修委員長 清水嘉男