祝 「ユネスコ運動を拓く」 発刊
 
 

 東京都ユネスコ連絡協議会は、同会結成40周年、日本・ユネスコ加盟50周年記念誌として「ユネスコ運動を拓く」〈全96ページ)を発刊した。(内容については、3月号参照) 都ユ連初代会長は、目黒ユ協を創設された中村誠司氏。私は、都ユ連に関わって約30年になるが、都ユ連事務局長時代(会長は故伊藤昇氏)の二つの事業に触れてみたい。そのひとつ「知事と語る」(1985)で細川熊本県知事(当時)をお迎えした時のこと。プログラムの最後にユネスコ・グリーンタイムとして、音楽学校の青年にビオラとチェロの演奏を聞かせていただいた。なんとその時のチェロ奏者が目黒ユ協のユネスコ加盟50周年記念事業「ユネスコ平和コンサート」(記念誌60P)で、アマデウスアンサンブル東京のメンバーとして演奏されていた。あの時の青年は、桑田歩氏(N響)。さらなるご活躍を祈る。もうひとつは、アメリカのユネスコ脱退の後、その早期復帰のために「ユネスコの普遍性を守るアメリカ市民の会」(1986)を創始されたジョン・フォーブス氏を迎えての講演会のこと。〈記念誌60P)それは、相良憲昭氏の通訳で90人の聴衆と熱く心をかよわせあったひと時であった。同氏やエリザベス・ローズ夫人を始めとして、アメリカの市民は、ユネスコヘの復帰を切に望んでいるに違いない。ユネスコ憲章の前文(記念誌掲載)が脳裏をよぎる。  (会長・都ユ連ユネスコ加盟50周年記念事業実行委員長・加藤玲子)

尚、この記念誌は都ユ連の立場から編集されましが、それは都内各ユ協の歴史でもあり、目黒ユ協の歴史でもあります。是非ご覧下さい。
総会で配布します。その他の希望者は、はがきで申込みください。



目黒ユネスコ日本語教室 2002年 春期コース始まる
 
◇ と き : A 午前クラス
  4/9〜7/18 毎週火・木曜日 午前 10:00〜11:45
       B 土曜クラス
  4/13〜7/13 毎週土曜日 午前10:00 〜11:45
       C 夜 クラス
  4/9〜7/16  毎週火曜日のみ 午後 6:30〜8:15
◇ ところ:守屋教育会館(目黒区五本木2-20-17)他
◇ クラス:初心者〜上級。 他に漢字クラス
◇ 対 象:原則として目黒区に在住・在学・在勤の16歳以上の「日本語に不自由な方」
◇ 講 師:目黒ユネスコ協会 日本語教育担当会員     ◇ 主 催:目黒ユネスコ協会   ◇ 共催:目黒区教育委員会
写真:全クラス合同の開講式風景





 

1ページから続く  脱退理由等、若干の解説を試みました
この項は多数の方のアドバイスを広報委員会がまとめました。ご協力を感謝します
 
       アメリカ と ユネスコ                             

 アメリカはなぜユネスコを脱退したのか。アメリカの公式文書によれば次の通り。
◎「数年間にわたり、我々は、ユネスコ政策・イデオロギー上の力点及び予算・管理の傾向がユネスコの効率を損なってきたことに懸念を表明してきた。こうした傾向は、憲章の当初の原則から次第にかけ離れてきたと言わざるをえない。そしてまた、ユネスコの国際的任務というより、加盟国の政治的目的に奉仕してきたと感じている。」   (米国の脱退通告抜粋・1984.12.28) ◎「1: 脱退する旨の決定は、国務長官の勧告に基づいてレーガン大統領によって行われたものである。
2: その勧告は、以下のような経験に基づいている。すなわち、ユネスコは、その扱うほとんどすべての課題を政治化してきたこと。自由社会、特に自由市場や自由な報道という基本的制度に対する敵意を表わしてきたこと。際限なく予算を膨張させてきたこと。
3: 国務省国際機関局は、米国とユネスコとの係わりにつき、「政策レビュー」を実施してきたが、その結果、我々は米国のユネスコヘの継続的参加は米国の利益にそわないとの結論に達した。」
(米国務省発表のステートメント抜粋・1984.12.29)
・ ・ ・
◎「米国務省発表のステートメントの2」について
ここには三つの理由が書かれています。政治化とは「南北問題」が背景にあり、アフリカ諸国がソ連(当時)の後押しで発言権が拡大した事に対するいらだち、それを代表する「ユネスコの政治家」ムボウ・ユネスコ事務局長を忌避したことと一般的には受け取られています。二番目は「新世界情報秩序」の問題です。今でも世界に発信されるニュースは西側が圧倒的ですが、発言権を確立しようとした新興諸国の願いは1974年の総会から姿を現しています。アメリカはじめ西側の猛反対もあり、議題として成熟せず不完全燃焼に終わりました。三番目はずさんな経営管理です。アメリカは脱退直後自国の「監査団」を派遣して徹底的な監査をしましたが不正は発見出来ませんでした。

◎ 脱退後のアメリカの姿勢
アメリカは脱退後もユネスコにオブザーバー・ミッションを置いています。そして世界遺産保護・政府間海洋学委員会・人間と生物圏計画等、関心の深いユネスコ事業には必要な資金を拠出しています。しかしユネスコ事務局の分担金(当時四分の一)が支払われないので日本の負担が増えています。

◎ 「日本も脱退すべきだ!。」
 アメリカについで日本も脱退したらどうかという提案が当時ありました。ユネスコ国内委員会で民間ユネスコ代表委員がそれを知り、他の委員と協力してユネスコにとどまることに成功したという苦労話があります。民間ユネスコ活動に携わる私どもにとって、傾聴すべき事であると思います。
 
◎ 私たちの願い
 私たちは、アメリカがユネスコに復帰して、世界の平和に貢献することを願っています。アメリカ政府がユネスコに復帰すると同時に、アメリカの民間ユネスコ活動が政府および行政の支援のもとに、更に活発な活動が出来るようにと願っています。この願いを多くの方々と共有し、手を携えて、大きな願いに発展させて行きたいものです。


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