No.199 2003.7.9
第4代会長原田三千夫氏は、宗教、哲学、図書館学に精通された方で、(財)大倉精神文化研究所理事、東洋大学教授、国会図書館総務部長をへて、ご就任当時は、国士舘大学、東京女学館短大等の、ドイツ語、倫理学の教授でいらした。その教授法は、ドイツ語の歌を自らうたいながら教えるというユニークなもので、学生たちの人気の的であったと聞く。 目黒ユネスコ協会は、創立以来14年間の土台の上に原田会長によって新しい風が送りこまれた。それは、青年層への呼びかけであり、積極的に女性の参加をうながされたことである。それでも、1973年の記録をくれば会員数135名(男性77・女性58)であるから2002年度末の会員数の4分の1に満たない。* この時代には、創立15周年と20周年をむかえている。15周年は、ささやかな祝いの会を開き、記念品(陶器の小皿、井高洋成作)を会員及び関係者に贈呈した。そして周年記念企画、ユネスコ大学講座「世界を知ろう」(共催・目黒区教育委員会)を、1969年から6年間継続で開催した。内容は、世界の国々の国民性、教育制度・事情、大都市の環境間題、生活、文化などで、映画、スライドの映写、民族品の展示など立体的な構成で、計40回の講座は区民にも好評であった。このほかに、健康講座(公害・蚊と人間生活・日本の寄生虫など)、教養講座、青年講座、講演会などその精力的な開催回数と内容の多彩さには、目をみはるものがある。中でも、三笠宮崇仁親王殿下による「インダス文明について」の講演(1973・守屋教育会館)は、とくに印象深い。雨もよいの午後であったが、会場の溢れんばかりの聴衆は息をのんで聞き入つた。** これらの活動がみとめられたのか、目黒ユネスコ協会は、1970年の「国際教育年」に際し、永年にわたり教育活動を推進し成果をあげた団体として「文部大臣表彰」をうけた。いくぶん赤茶けたこの賞状額は、いま、事務局の壁面に掛けてある。来し方をみとどけられているようだ。 20周年記念は、目黒区民センターホールで、式典および、「国際理解のすすめ」と題した笹岡太一氏(当時文部省学術国際局企画官)の記念講演、引きつづき朝吹英一氏、広沢園子氏によるマリンバの響きは、高らかに、軽やかに会場を包んだ。祝賀会には、国連大学の母といわれるミセス・ローズ(コロラド・ユネスコクラブ初代会長)、ほか多くの方々をむかえた。司会は、当時、青年グループ代表の平林健氏。そして、教育委員会の助成をうけて「目黒ユネスコ協会・20年のあゆみ」の出版。 国際交流活動が身近なものとなりはじめたのもこの時代であろう。私が東京都より班長として青年の船(総理府)に乗船(1971)。山下邦明氏が日青ユ協の代表として世界青年会議に参加(1972)。勝田朱美さんが海外青年交流でフランスにわたり(日ユ協連主催・1974)、海外青年を受け入れたのもこの時代。また、同年には、アジアのユネスコ国内委員会事務局の方々も迎え、お祭の見物や、守屋図書館(当時平田康夫館長)を訪問した。さらに国内他協会との交流研修も盛んにおこなった。 1973年には、子どもキャンプが実行された。「ユネスコ学校」は、諸事情で1971年に休止していたので、青少年活動の再出発である。 また、この時代には、明らかにいくつかの新しい活動の展開がみられる。第一に「語学の習得とユネスコ国際理解」を目的と定めた「会員研修」である。目黒ユネスコ協会は、教育委員会と共催で1959年より「語学教室」を開催してきたが、原田会長は、その講師依頼にあたり、自ら面接をして決定された。(英字新聞に英会話講師募集の広告を掲載)ユネスコ運動の目的に添つた講師の一人として1972年エレノワ・ゲ・ジャッジ女史をお迎えした。講座終了後、女史のお人柄と、ドラマを観るような講義は参加した教え子たちを魅了し、初めての「会員研修クラス」を誕生させた(世話人:本条八重、加藤玲子他)。現在、10クラス(英・仏・中・伊・ハングル)の「会員研修」の最初の一歩である。当時は、一般の「語学教室」と誤解されないようにと、あえて「モーニングクラス・イブニングクラス」と命名した。 あと三つ、この時代に誕生した活動は、目黒ユネスコ・ショート・ニュース第1号の発行(1973)、第1回ユネスコ・チャリティーコンサート(1974)の開催である。演奏は、浦田陽子、ヨルゲン・フォッグ、クリスティアン・ツァデロック。三つ目は、目黒ユ協が自力で支援活動を開始したことである。前記のコンサートを通じての最初の支援金は、142,000円。これは、日本ユネスコ協会連盟を通じてバングラデシュに贈られた。 まさに、風が吹いた時代であつた。 |
* 2003年3月31日現在の会員数563名(男性154・女性409)他にフレンドシップメンバー177名。
** 殿下のご講演は、「目黒ユネスコ協会20年のあゆみ」に特別に掲載されている。