次代に受け継ぎたいユネスコ美術展の精神
芸術文化活動委員会
 
 ユネスコ美術展、ユネスコ美術講座、チャリティーコンサートを担当する文化活動委員会の呼び名が昨秋から「芸術」を冠して「芸術文化活動委員会」に改められました。なかでも「ユネスコ美術展」は、今年で47回目を迎えるという誇りと歴史を持っています。
 目黒ユネスコ協会の設立から3年後の昭和32年(1957年)、当協会美術部の活動として始まったのがこの「ユネスコ美術展」でした。ユネスコ展の最初のコーナーを飾る作品を毎年出品してくだる陶芸家・井高帰山(顧問)、同・井高洋成の両氏は起案者であった初代帰山氏の名を引き継ぐ方々であり、そろってユネスコ美術展の育ての親とも言うべき目黒在住芸術家なのです。
 当時の民間一般の暮らしといえば、芸術や文化を享受するには程遠く、大学へ進学する恵まれた人も少なく、向学心に燃える若者たちは、昼間働き、夜は夜間部の大学に通うという、思えばすべてにハングリーな時代でした。
 発足したばかりの我が民間ユネスコ団体の中に、いち早くできたのが美術部。目黒区在住の名だたる芸術家30名が当時の部員でした。部員の年額醵金額は360円。美術部担当の理事・横江嘉純(日展委嘱作家)氏の作品の売上金の一部とで展覧会組織し運営したという記録が残っております。
 部員たちは『美術の世界がどのようにしたらユネスコ運動に協力出来るか』という芸術家としての問いに自ら答える作品を制作し、また『美術(芸術)は、言葉と同じように人々の心を結ぶことが出来る』との理念のもとに作品を通して人々に語りかけたのです。
 第一回の展覧会は、渋谷の東横百貨店(現在の東急百貨店)の会場で開かれ成功を収めました。これに力を得た目ユ協は、京都ユネスコ協会に提案して「日本ユネスコ展」を共催。日本橋三越を会場とした展覧会に、なんと14万人の観客を動員し、三越の担当者を驚かしたということです。
 このように著名な美術家の作品発表の場でもあった「ユネスコ美術展」が、昭和40年(1965年)から目黒区の文化祭の参加プログラムの一つとなり門戸を広げることになります。在日外国人、留学生、一般美術愛好家、青年や国内外の子供たちの絵画、国境と世代を超えてアマチュアの 参加の場となったのです。目黒区文化祭への参加は今年で39回目になります。
 現在の目黒美術館が落成して区民ギャラリーが会場として使えるようになるまで、福祉センターや目黒区民センターなどが使われていました。ユネスコ展を愛し、 生み育ててくださった大先生がたが鬼籍に入られ、今年の展覧会をどのように盛りあげようかと、活動委員会は大いに気をもみました。天界から先輩諸先生がたが見守って下さっているかのように、幸いにもそれは杞憂に終わったのですが。
 彫刻家でこの度のステンドグラス講座の指導をされた二森 騏氏、新しく会員となられた黒川朋子氏(日本の伝統的な刺繍「絽ざし」を子供たちに伝え残そうという活動をされる)、次代を担う若手画家たちの参加、才能豊かな目黒のアトリエの子供たちの作品によって、新しい息吹が吹きこまれました。これからのユネスコ美術展は、是非武器に代って世界平和を築く一助となるような、ユネスコ精神を反映させたものにしなくてはなりません。このユネスコ美術展の発案にこめられた精神と歴史を是非受け継いでゆきたいものです。                      
 芸術文化活動委員会 濱田靖子
今年のチャリティ−コンサート・美術展の模様は9ページ参照
 
ショートニュースはつまらない? 
広報活動委員会 
ホームページで実力発揮の英文ショートニュース
 あけましておめでとうございます。ショートニュース新年号をお手元にお届けします。多くの方々が原稿をお寄せ下さり、又多くの方々がいつものように編集や発送に関わって下さいました。嬉しいことです。
 広報活動委員会では、この日本語版のほか、同じ内容の英語版も作成しています。10名ほどの英語に強い会員が翻訳し、ネイティブスピーカーのチェックを経て印刷され、フレンドシップメンバーや各国大使館などに送られています。英語版に止まらず韓国語、中国語、仏語、アラビア語、スペイン語、ロシア語等々の発行がついに実現したというのが委員長の今年の初夢デシタ。
 
 更に、ご存じの方も増えてきましたが、ホームページの制作も行っています。http://www.unesco.or.jp/meguro/又はhttp://www.meguro-unesco.org/ ホームページではショートニュースのバックナンバーが3年分ほどカラーでご覧になれます。美しいカラーにしては経費が安上がりなのがありがたいことです。ユネスコに関する資料、講演会の記録やお知らせもご覧になれます。ホームページの性質上、会員以外の方々のアクセスもあり、活動内容の多彩なことに触発され、会員になりたいとの申込もあります。学生さんが研究の資料としてこのホームページを利用されるケースもあります。最近、ある国内雑誌から「文化の多様性に関するユネスコ世界宣言」(Universal Declaration on Cultural Diversity)の日本語訳を転載利用させて欲しいとのご要望がありました。この宣言は2001年11月のユネスコ総会で採択されたもので、「世界人権宣言」(Universal Declaration of Human Rights)につぐ非常に重要な宣言であるという人もいます。昨年3月京都で開かれた「第3回世界水フォーラム」でも、この目黒ユネスコ協会訳が使用されました。「文化の多様性」を認めないことから多くの争いが生まれている現状を、私たちは直視しなければいけないのではないでしょうか。さて、この人気の高い「文化の多様性」宣言は私どもの英文チーム製作の日本語訳です。どうぞ日・英見比べて是非一度読んでみて下さい。
 目黒ユネスコ協会の英文チーム英訳陣の水準の高さは徐々に知れ渡ってきました。特に最近では、アメリカのユネスコ復帰を報じたNHKラジオ番組の抜粋取材の英訳文(英文ショートニュース201号2ページ)はパリ・ユネスコ本部事務局長・官房特別参与の服部英二氏(当協会顧問)が絶賛されたほどです。多くの方々のご奉仕が私たちの活動を世界中の方々に知らせることに役立っているのです。 
 昨年の暮れに私たちは拡大広報委員会を開きました。一番声高の意見はなんと「ショートニュースはつまらない」でした。目黒ユネスコ協会の活動が盛んで、いずれも魅力的なのに紙面になるとつまらない。編集が平板で工夫が足りない。自己満足な記事が多い等々。それはそれは皆さん、活発な反省というか、建設的前向きの意見というか、腹蔵のない言葉が行き交いました。ナルホド成る程すべてごもっともでした。皆さんのショートニュースを愛する気持が底辺にあることが分かるにつけ、私もやっと胸をなで下ろすことが出来ました。結果として出席者全員が正式に広報活動委員として責任を担うこと、読みたくなるショートニュース作りに努力すること、を決議し会議は無事終わりました。委員会の内輪の話で恐縮ですが、広報活動委員会は今年、必ず生まれ変わることと思います。
 目黒ユネスコ協会はこの秋創立50周年を迎えます。これから始まる50年のうちには世界中が平和になると確信したいものです。ショートニュースが目黒ユネスコ協会の活動を生き生きと伝えることができるように広報委員一同努力して参ります。どうぞ皆さん暖かく見守って下さい。そしてもし宜しければ広報委員になって一緒に活動して下さい。宜しく。                       
広報活動委員長 奥澤行雄

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