私は、10年後ベトナムで恵まれない子供のための支援活動に汗を流している自分の姿を夢見ています。
その理由は、私の海外経験にあります。小学四年生の時に、父の仕事の都合で3年間ベトナムで暮らすことになりました。首都のハノイに住んでいたのですが、当時の現地の様子はそれまで日本の中しか知らなかった私にとって、全く想像のつかないものでした。ベトナム戦争の影響で、手足が不自由になって物乞いをしている人や、道端で品物を売り歩いている人を街ではたくさん見かけました。中でも、特に私の目に焼きついたのは、ストリートチルドレンでした。彼らは道行く人の靴磨きをしたり、お菓子を売ることで必死に生計を立てていました。そんな彼らの瞳は強く、たくましい輝きを放っていました。彼らの瞳を、今でも忘れることができません。自分と歳の変わらない子供が、異国では過酷な状況で生きている、という現状を目の当たりにし、私は衝撃を受けました。
この経験をきっかけに、私は「将来は世界中の困っている人々を助けたい」と思うようになりました。帰国後の日本での生活の中でも、その思いが消えたことがありませんでしたし、むしろ、強くなる一方でした。
そんな中、高校一年生の時に、地元で開催されていた「ワン・ワールド・フェスティバル」というイベントに参加しました。このイベントは、国内外で国際協力を行っているボランティア団体を幅広く紹介しているもので、日本の国際協力のありようを知ることができます。そのイベントの中で、私はひとつの団体のブースに興味をひかれました。
それは、ベトナムのストリートチルドレンの救済活動を行っている「ベトナムの“子どもの家”を支える会」という名の団体でした。思わず目を引かれたのは、過去の経験から、ベトナムという国名に敏感になっていたからかも知れませんが、私が注目したのは、その活動の中身です。ベトナム中部の町フエで「子どもの家」というストリートチルドレンの自立援助施設を開設し、生活が困難な子どもを受け入れ、自立できるよう援助する活動を行っている、というものでした。また、施設の卒業生が自分たちの力で経営している日本料理店も開店している、と活動報告にありました。
驚いた中学生の英会話 
植樹の手助けは、50人ほどの中学生たちでした。その中学生(2年生)が何人も私たちに英語で話しかけてきたのには驚きました。彼等はレベルの高い学校の生徒ですかと聞くと、「いいえ、この村の中学生です」との返事。日本の中学生の英語力にくらべ、英会話ができるそのレベルの高さには脱帽です。上昇志向の大きい現在の中国は、地方の村であってもそこまでの教育熱を目の当たりにした次第です。 式典終了後は、関係者うち揃って郷土料理と土地の酒など盛り沢山の歓迎懇親宴が開かれ、文字通り日中交流の実をあげてまいりました。
その後一行は、ユネスコの世界遺産の一つ「黄山」に登りました。私は以前に訪問していますので失礼しましたが、お天気にも恵まれ、南画そのものの山容や松の美しさを堪能されたとのことでした。
環境面での国際協力 
ところで、今年7月には、わが国の洞爺湖で「サミット」が開かれ、テーマは主として環境問題ということです。“植林”といった地道な環境改善の努力は是非必要ですが、北京オリンピック、上海万博をひかえた中国の経済発展はすさまじい勢いです。その過程の中で引き起こされる大気汚染や河川汚濁、農薬等の公害はまさに日本の昭和30年代の再現といって過言ではありません。水俣病やイタイイタイ病、公害ゼンソクの患者を数多く発生させたわが国の“過ち”を、中国をはじめ発展途上国の国々はもっと学んで欲しいものです。わが国の政府開発援助(ODA)にしても、公共インフラもさることながら、公害防止技術、環境改善協力、環境教育指導にもっと力を入れるべきだと痛感する次第です。
ベトナムで、日本のボランティア団体がこんな形で活躍しているんだ、ということを私は初めて知りました。そして、この活動によって多くの子どもが自分の才能に目覚めたり、将来の夢を持つことが出来るようになっていることに感動しました。
高校では、国際協力に関する情報をたくさん得ました。国際協力を仕事とすることは、予想以上に大変であるということ、一口に国際協力、と言っても、様々な分野の職種があるということ、そして何より、国際協力はこれからの社会に絶対不可欠な存在であるということです。
世界中では、今や子どもに関する問題はストリートチルドレンだけではありません。低賃金で重労働を強いられていたり、兵士となって戦場で戦っている子どももいます。様々な事情で、生きていくことが困難な子どもが大勢いることも事実なのです。そんな現実を知る度に、恵まれた環境で生活しているにも関わらず、小さな不平、不満を口にしている自分が恥ずかしくなります。そして、思うのです。世界中の誰しもが皆、平等に幸せであればよいのに、と。世界中のみんなが笑顔で生きることの出来る社会をつくりたい。この思いが、今の私の夢であり、目標です。
来年4月から大学の国際関係学部に進学の予定で、国際協力に必要な語学力と、幅広い知識を身につけたいです。また、ボランティアのサークル活動などにも参加して、自分の経験をより豊かなものにしていきたいです。いつかは、援助を必要としている現場に自ら足を運んで、自分の手足をフルに使えるような国際協力をしたいと思っています。そのためには、ベトナムで経験したこと、ワン・ワールド・フェスティバルに参加し、感じたこと、これまでに得た知識も生かしていきたいです。これからは、自分の夢を実現させるために、国際協力に貢献できる人を目指して、一歩一歩進んでいきたいと思います。
大阪ユネスコ協会 役員 2008/6 現在
会長 中馬 弘毅 衆議院議員
副会長 山幡 一雄 元大阪市経済局長
山田 忍 関西ピアノ専門音楽学校校長
河田 悌一 関西大学学長
理事 綛山 哲夫 大阪府教育委員会教育長
永田 祥子 大阪市教育委員会教育長
大塚 義文 朝日新聞大阪本社編集局長
芝野 博文 大阪ガス(株)社長
津田 和明 (財)大阪観光コンベンション協会 会長
長 恵祥 (株)大林組取締役副社長
藤澤 誠一 (財)大阪城ホール理事長
室町 鐘緒 (株)三菱東京UFJ銀行名誉顧問
奥田 務 (株)大丸代表取締役会長
柴田 稔 東洋紡績(株) 相談役
石橋 三洋 日本生命保険(相)副会長
堂元 光 日本放送協会大阪放送局長
末岡 祥弘 大阪YMCA総主事
平井 夕紀美 大嶽筝曲学院役員
霞流 良子 北区更生保護婦人会 役員
大川 均 大阪ユネスコ日本語教育代表
(新)吉本 祥生 兵庫中央病院名誉院長
(新)森 一貫 関西外国語大学教授
常任理事 武田 暢樹 大阪ユネスコ協会事務局長
監事 金村 義夫 大阪司法書士会監事
顧問 橋下 徹 大阪府知事
平松 邦夫 大阪市長
金森 順次郎 (財)国際高等研究所 所長
野村 明雄 大阪商工会議所会頭
橋本 守 日本国際連合協会関西本部長
その他 2008
・「ストリートチルドッレンから得たきっかけ」
大阪府立今宮高校 久松 瑞希
・平成19年度『国際理解・国際協力のための高校生の
スピーチコンテスト』最優秀作品
平成20年1月19日に実施
(主催大阪ユネスコ協会、大阪府教育委員会)
環境協力は国境を超えて
大阪ユネスコ協会 会長 中馬 弘毅
中国での植林緑化事業に参加中国
昨年の会報38号でも報告したとうり、私はかねてより中国における「小渕基金」による植林緑化事業のお手伝いをしていますが、今回は大阪ユネスコ協会が担当したプロジェクトの記念式典に、この3月8日から13日まで、武田暢樹事務局長らユネスコのメンバーともども参加してまいりました。
「小渕基金」は、1999年に設立された国際機関「日中民間緑化協力委員会」が日本政府(当時の小渕恵三首相)から100億円の拠出を得て、中国での植林緑化活動を支援するための助成制度のことです。今回の植樹プロジェクトは、中国安徽省寧国市港口鎮山門村という山林地帯で実施され、管理指導は地元の安徽省林業庁が行っています。好天に恵まれ、村の人たちも物見高く大勢集まっての式典でした。すでに広大な土地に苗木が植えられていましたが、セレモニーとしては記念碑の除幕と記念植樹です。