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  3. 2022年度キリバス事業・行事

「気候変動シンポジウム」を開催しました

シンポジウム「共に生きる未来へ」
気候危機最前線の国キリバス共和国の現状から持続可能な社会を考える

2月11日(土・祝)、3年間の「キリバス民間ユネスコ協会設立支援プロジェクト」のまとめとなるシンポジウムを開催しました。会場は、事務局からほど近い、エル・パーク仙台5階セミナーホール1・2。久しぶりの対面イベントの開催でしたが、開催前夜から降り続いた積雪20cm。コロナ対策に万全を期してきたのに、伏兵は大雪とは…。会場参加の予定をオンラインに替えたいという前日の連絡もあり、今回は断念しますという方も複数いたようでした。


仙台ユネスコ協会が、キリバス共和国について学び始めたのは、2018年の「キリバス共和国の現状から地球温暖化について学ぶESD講座」から。ESDは行動変容を大事にする学びです。キリバス共和国のために、地球温暖化防止のために、何か行動を起こしたいとの思いで、2020年、「キリバス民間ユネスコ協会設立支援プロジェクト」を立ち上げました。民間ユネスコ協会として連携・協働することで、気候変動へのアクションを起こすことができるのではないかと考えたからです。3年目にして、キリバス共和国に民間ユネスコ協会設立が実現したことで、3年間の総括報告となりました。


シンポジウムは、3部構成で実施しました。 午前の第一部では、キリバス共和国を11月に訪問した内藤副会長が、写真と映像で報告を行いました。キリバスからも、立ち上げの中心となった南タラワ市のバラニコ・バーロ市長(Mr Baraniko Baaro)以下、3名の方がオンライン参加されました。(Dr Mareko Tofinga NGO団体 Boutokaan te Tarena顧問、Mr Taabia Kabaua 同会長)。新ユネスコ協会の名称は「ツンガルユネスコ協会」。歴史的な意味をもつ名称だそうです。仙台ユネスコからも、揃いの法被で、お祝いと歓迎の気持ちを伝えました。


  • キリバス共和国の国旗。海と太陽と軍艦鳥

  • Zoomで国内各地から、キリバスからも参加。複雑な操作はMCラボの阿部さん

  • 司会が着用しているのが、キリバスの民族衣装「シプタ」

  • 見上会長挨拶。キリバス語通訳は、日本キリバス協会の小野ジョン正雄氏

  • 訪問報告をする内藤副会長とケンタロ・オノ氏

  • 画面はキリバスの標高を表す看板、なんと海抜3m!

  • キリバスからご参加いただいた3名の方々。キリバスでの日本語通訳は、アニータ夢海さん。

  • ケンタロ氏の通訳で、画面を通して交流しました

  • 揃いのユネスコ法被で歓迎する仙台ユネスコ協会の役員

  • 見えにくいですが、キリバスからの画面で皆さんが笑顔で拍手しています

午後からの第二部は、気候変動についての科学的な理解を深め、そこからどう行動するかを考えるという趣旨で、2人の専門家によるリレー講演を行いました。 最初に、気象庁仙台管区気象台 気象防災部 気候変動・海洋情報調整官 福島秀明氏による講演「沿岸域に関する気候変動の観測成果と将来」、続いて東北大学災害科学国際研究所 桜井愛子教授による講演を拝聴しました。20分という短い時間の講演だったにも関わらず、豊富な資料と聞き取りやすい口調で納得させられる内容でした。


  • 福島氏による講演 温暖化のメカニズムを分かりやすく

  • 桜井教授による講演と聞き入る参加の皆さん

続いて行われたパネルディスカッションでは、お2人の講師に、ケンタロ・オノ氏と見上一幸会長が加わり、理事の宮城教育大学 市瀬智紀 教授のファシリテーターのもと、会場の参加者も巻き込んでの話合いがなされました。気候変動が事実として認められ、危機的な状況がすぐには改善されないと言われる中で、緩和や適応策を模索し、少しでも明るい未来を期待したい、そのために必要なことは何か、という流れで様々な提案がなされました。過去よりも良い方向に変化してきたことに、公害の克服がありますが、それは、人々の意識が変わり、社会のシステムが変わってきたから。自分事化するためには人と人との繋がりを大事にする、実際の交流を大切にする、災害の記憶を忘れず伝えていく、社会のシステムを変えていく、情報を伝えるためにSNSを活用する、若い世代から高齢者に伝える等々。一人一人の行動変容を積み重ねることが大事である事を共有してディスカッションを閉じました。


  • パネルディスカッションの様子

  • 雪にもかかわらず、会場にお集まりいただいた方々。
    ありがとうございました

キリバス民間ユネスコ協会設立支援プロジェクトは、キリバス共和国での「ツンガルユネスコ協会」設立を見届けたことで、次の段階に入ることになります。「ツンガルユネスコ協会」は、学校教育への協力や、キリバスの伝統的な文化の継承に関して、仙台ユネスコ協会との連携・支援を望んでいます。キリバスは島嶼国としての課題を抱え、他国の支援に頼らざるを得ない国ですが、人々の精神性の高さなど学ぶべき面が多くある事を感じています。互いを尊重し、文化の多様性を認め合う社会を目指して、連携・協働していきたいと思います。


※シンポジウムの様子は、このホームページ上段のYouTubeチャンネルからご覧になれます。
「報告」「リレー講演」「パネルディスカッション」と3部に分けて編集してあります。 ぜひ、ご覧ください。

見上会長・内藤副会長がキリバスを訪問しました

2022年11月1日から11月11日まで、見上会長と内藤副会長がキリバス共和国を訪問しました。
現地では南タラワ市役所、教育省や各種学校、多くの団体を訪問し、更にはオンラインで交流してきた方々とも面談して精力的に情報交換をして参りました。見上会長が同窓会誌(東北大学理学部)に寄稿した訪問記を一部修正して転載いたします。なお写真は、同行した内藤惠子副会長の提供によります。


<エメラルドグリーンのタラワ環礁>

キリバス共和国の首都機能のあるタラワ環礁の陸地は、多くの木々の緑で長く連なり、鏡に映した逆L字に見えました。200人近くも乗られるボーイング737が、着陸できるような空港はどこにあるのかと思っていると、L字の付け根の角に一方の海岸から他方の海岸まで貫く白く伸びたボンリキ空港の滑走路が現れ、飛行機は滑走路をいっぱいに使って見事に着陸しました。飛行機の離着陸のないときは、滑走路の中央を人や自転車、バイクなどが長閑に横断しているとのことです。
タラップを降りて機外に出ると、11月といえども強い日差しと30℃を超える空気は、赤道に近いことを感じさせます。
空港から車で市内のマネアバと呼ばれる集会所(タコノキ属の植物パンダナスの葉で葺いた大屋根のある、数百人も収容できそうな四方吹き抜けの建物)に向かいました。そこでは南タラワ市長の計らいによる伝統的な歓迎式典があり、花輪を頭に載せてもらい、果汁の満たされたヤシの実を受け、村の代表の挨拶や勇壮なキリバスの踊りがあり、島の伝統文化の一端を知る機会となりました。
このマネアバは、キリバス共和国で最も格式の高いマネアバで、国賓級の歓迎式典もこのマネアバで行われるそうです。


<アネアバ(集会所)での歓迎式典>

そもそも今回の訪問は、キリバスでの民間ユネスコ協会設立を支援するためのややフォーマルな意味合いがありました。ユネスコ(UNESCO)は、ご存知のように国連の教育、科学、文化を担当する機関で、ユネスコ協会はUNESCOの活動を支援するための民間組織です。大戦直後の明日の食糧にも困っていた1947年に東北大学の関係者を中心に仙台で民間ユネスコ運動が起こり、世界初のユネスコ協力会がつくられました。現在、海外のユネスコ関係者の間では、仙台は“民間ユネスコの聖地”として認知されています。ユネスコ協力会の初代会長は佐武安太郎(東北帝国大学総長)先生で、発会通知が当時のUNESCO事務総長であったジュリアン・ハックスリー氏へ出されました。ちなみにハクスリー氏は高名なイギリスの進化生物学者で、教育に熱心な国際主義者でもあり、UNESCOの創設に関わり1946年に初代事務局長に就任しています。また、協力会2代会長の土居光知先生も仙台協力会創設者のお一人で、その後も朴沢一郎先生や永野為武先生など多くの東北大学の先生方が仙台ユネスコに関わってくださいました。しかしこの聖地“仙台”について、仙台市民でもご存知の方は多くはないようです。この歴史のシンボルともいえるのが、佐藤忠良氏の2体のブロンズ像「ブーツの娘」で、一体はパリのユネスコ本部に、そしてもう一体は仙台の榴ヶ岡公園に置かれ、互いに向き合っているといわれています。
キリバスにユネスコ協会をつくるという話は、新型コロナのパンデミックが起こる少し前に、仙台出身で日本キリバス協会代表のケンタロ・オノ氏から仙台ユネスコ協会にありました。オノさんは、少年時代にキリバスに憧れ、仙台市立五橋中学校を卒業すると同時に、自らキリバス名誉領事館に手紙を書き、許しを得て単身でキリバスに渡り、現地の高校に入り、キリバス共和国に帰化したというすごい経歴の持ち主で、前・在日本キリバス共和国名誉領事・大使顧問も歴任されました。現在は、日本キリバス協会の代表として、島嶼国の気候変動に伴う海面上昇の問題を訴えるとともに、キリバスの文化を紹介するために日本全国で活躍されています。ということで今回、仙台ユネスコ協会を代表して、キリバスプロジェクト担当の内藤惠子副会長と会長としての私の二人が、ケンタロ・オノさんの先導でキリバスを訪問することになりました。
キリバス共和国は、1941年から2年ほど日本軍の占領下にあり、特にタラワは激戦地であったようです。環礁西端の街ベシオには、日本人兵士の慰霊碑や戦車や大砲が残っていました。人々は日本にとても親しみがあるように感じました。


<太平洋戦争の痕跡・慰霊>

このキリバスは、気候変動に伴う海面の上昇で、国連のSDGsでも広く知られるところです。SDGsでは問題を自分のこととして取り組むことの重要性が指摘されています。日本とキリバスの学校が互いに交流を通じて友人になることによって、日本の児童生徒がキリバスの海面上昇を自分ごと化できると考えます。UNESCOには、ASPnetとよばれる世界の学校間ネットワーク(日本ではユネスコスクールと呼ばれる)があり、互いの国のユネスコ協会がユネスコスクールを支援しようと考えており、すでにそのような形で日本とキリバスの学校間交流が進んでいます。
訪問してみて、タラワの標高が3m以下で、陸地の幅が数百メートルしかないことを知り、海面上昇が深刻な問題であるということを容易に理解できました。島々を串刺しするように、中央を左右2車線(旧イギリス領のため車は日本と同じ左側通行)の舗装道路が走り、その両側には海岸まで家1軒分程度しかスペースのないところも多くありました。また課題は海面上昇だけでなく、生活に必要な淡水は雨水を溜めて使用していて、石灰分も多く硬質で、衛生的にも問題がありそうです。


  • <海面上昇の問題>

  • <海岸浸食の問題>

<土壌や水の問題>
<プラごみや廃車・廃船処理の問題>

しかし、南タラワ市のバーロ市長の話では、最も重要なことは教育だということでした。高等学校での中退率が高く、教育の質の向上が望まれ、日本と先生同士の交流を望むとのことでした。このほか、教育省、小学校や高等学校、教員養成学校、JICAやユニセフの事務所、KiriCANなどの団体等を訪問し、課題について意見を聞き、民間ユネスコとしての使命を新たにしました。


<バーロ・南タラワ市長を訪問して意見交換>
<キリバスの小学校>
<Sacred Heart Collage>

到着して二日目の晩、アノテ・トン前大統領のお宅に招いていただきました。
トンさんは今は政治から離れておられるものの、何度も日本を訪問されたことのある親日家で、この国をリードしてきた懐の深さと誠実さを感じました。お宅の庭では月明かり下で木々の白い花の浮かび上がり、そこにテーブルが準備され、はじめにカバという飲みもので歓迎を受け、話しをしながらヤシの実でできた器で4杯ほどいただきました。カバはショウガの仲間の植物の根から作られたもので、やや青臭い匂いと飲み終えると舌に苦みが残り、間をおいて舌に痺れを感じ、丁度歯科での麻酔が切れるときの感覚でした。
キリバスでは、アルコールは飲むと気が高ぶるので争いが起こることから避けられ、気持ちの沈むカバを飲むとのことでした。飲み過ぎると腰が抜けて動けなくなるということですが、幸いそこまでの経験はしませんでしたが、利尿作用があるらしくトイレが近くなって困りました。暫くして、庭のテーブル席から場所をマネアバに移動して、たくさんの親戚の方々も集い、「ボータキ」と呼ばれる心づくしの歓迎会を開いてくださり、「伝統的」な食事には、キャッサバ、タロイモ(里芋の味)、パンの実のフライ(パリパリして美味しい)、椰子ガニなど、珍しいものがたくさん出されました。まずは客からと料理を先にいただいて、客が食べ終わるまで迎えた側は待つのが習わしとのことで、思いの行き届いた歓迎会に心から感謝したい気持ちでした。
この「ボータキ」は、その後もいろいろな団体からご招待に与かりました。そこでは各家庭がプラスチックなどの容器に料理を入れて持ち寄り、少しずつ取り合っていただくのですが、魚やエビ、パンの実など現地の食材を生かした料理がずらりと並び、そのどれもが日本人には合った味で、いずれのボータキの食事も美味でした。


<ボータキ(歓迎会)>

キリバス滞在中、私たちは南タラワ市内の閑静なシャワー付きのホテル(木造の二階建て)を宿としましたので、少し申しわけない気持ちで飲み水や歯磨きにはペットボトルのミネラルウォータ(輸入品)を使い、朝はトーストやオートミール、インスタントコーヒーや紅茶での簡単な食事ができましたし、料理も注文できましたので、特段困ることはありません。
街では、道路わきにいろいろと露店が出ています。ただ互いに既知の土地柄のこと、店らしい看板もなく、見やすい場所に商品を並べてあります。衣類を売っている店か、一般の家の洗濯物か分からないような光景もありましたが、地元の人に不都合はないようでした。日差しの強い炎天下で、ビニール袋に入った野菜や魚がつるしてあり、袋の中は大分温度が高いように思いました。驚いたのは大きなカツオが数匹、屋台の上に並び、太陽の強い光にすっかり表面が乾燥してしまっている光景でした。


<街の様子(露店など)>

飛行機から見えた美しい光景の中に立てたと実感したのは、船で環礁の北方へ向かい、1泊した北タラワの海岸でした。
ここでの風景は忘れられない体験となりました。強い光の下でサンゴ礁の上に重なる海の色、さらに潮がゆっくり引いて現れる白砂の浜、さらにその潮が水平線まで引いて眼前にまぶしく広がる純白の砂浜は幻想的な世界でした。しかも、刻々と変わる日没や日の出の光景は、カメラに収めることも難しいほど美しい風景でした。夜は満天の星空を期待したのですが、残念ながら月の明るさに隠れてしまいました。この日の宿泊は、パンダナス葉でできた屋根のある高床式の小屋で、壁はなく、中央に蚊帳が吊られており、海を渡る風がとても涼しく、ゆっくりと休むことができました。


<様々に変化するラグーンの風景>

さて、現実の世界では今、キリバスをはじめ太平洋の島嶼国は、アメリカや中国など大国の間でホットな地域といえます。日本もこれまでの在フィジー日本国大使館による兼轄を変更して、新たにキリバスに大使館を開設するとも聞いています。大国の勝手で穏やかな人々の生活が壊されたり、利便を求める人間の欲望の結果の温暖化によって、島が海に沈むことがないように協力したいと思います。


民間ユネスコ活動紹介の動画(キリバス語版)をYouTubeにアップしました

キリバス共和国に民間ユネスコ協会が設立されることになりました。
仙台ユネスコ協会は数年前からキリバスと環境問題や国際交流を通じて様々な取り組みをしてきた縁もあり、11月に見上会長と内藤副会長がキリバスの市役所や教育機関を訪問し、民間ユネスコ運動に関する説明を行います。その時に使用するキリバス語の動画が出来ましたのでご紹介します。今後は日本語バージョンや様々な切り口から紹介する動画も作製する予定です。

第3回、第4回動画作成編集会議を開催しました

9月2日(金)に第3回、10月6日(木)に第4回動画作成編集会議を開催しました。
提案のあったコンテンツが多岐に亘るため、11月のキリバス訪問時に使用する動画は焦点を絞りキリバス語バージョンで作成し、その後別バージョンも作製することとなりました。
第3回編集会議報告書」、「第4回編集会議報告書」はキリバス・プロジェクトの「作成資料」カラムに格納しています。

7月26日(火)第2回動画制作編集会議を開催しました

民間ユネスコ運動を理解してもらうために動画を作成することとなり、6月24日(金)に第1回目編集会議を開催しました。
第2回目編集会議はより具体的にコンテンツ詳細と今後の進め方を検討し、11月までに完成を目指します。
第1回目編集会議報告書」、「第2回目編集会議報告書」は、キリバスプロジェクト・ページの「作成資料」カラム内に格納しています。

青年部が仙台ユネスコ紹介映像を作成しました

キリバス×仙台文化交流会動画の姉妹編として、青年部がキリバス共和国のユース向けに紹介動画を制作しました。

日本の四季、若者の日常生活、文化、青年部会員からの動画メッセージの4編構成、青年部会員が撮りためていた写真で編集しました。
編集を担当したのは、仲代表をリーダーに高校生チーム。仙台ユネスコ青年部らしさが溢れた魅力的な動画が完成しました。キリバスの若者たちの感想を聞きたいですね!

鹿折小学校の児童が、キリバスのコロナ禍支援の募金活動をしました

キリバスのWar Memorial小学校と交流学習をした気仙沼市立鹿折小学校の児童が、キリバスのコロナ禍支援の募金活動をしました。
全校児童や教職員に呼びかけた他、気仙沼ユネスコ協会や教育委員会のご協力もいただき、その収益の贈呈式を、鹿折小校長室で行いました。日本キリバス協会のケンタロ・オノ氏に、児童代表から直接手渡されました。

第2回運営協議会を開催しました

キリバスプロジェクトの外部評価委員会であり、キリバス民間ユネスコ協会設立支援委員会として位置づけている「運営協議会」を開催しました。会場(事務局)とZOOMのハイブリッドで行いましたが、遠隔地であっても専門の委員委嘱が可能であることから、オンラインのメリットを活かした協議会となっています。2021年度活動報告を行い、委員の皆様には、それぞれご専門のお立場からのご提言をいただきました。

キリバスユネスコ国内委員会に寄贈マスク等が届きました