NO.170 
                    「楽しさ」はどこからくるの?

目黒ユネスコ協会会長 加藤玲子

  深く澄みわたり、そして重厚な音色のヴァイオリン、朝枝信彦氏。ひかえめに真摯に、嬉しげにピアノにむかう田中創青年。一本のタクトに瞳をこらし真剣にハーモニーをつくりだそうとする東山小の児童たち。そして、わんぱくざかりのこの子等60人を統括される永末紀恵先生。「ユネスコ・平和コンサート」は「音楽の楽しさを子どもたちに… 」とお忙しい演奏活動の間に、ユネスコ運動を通じて活動をしておられる朝枝信彦氏の

開演前の東山小学校特設管弦楽クラブの練習風景

熱い想いと、予てから東山小のオーケストラを区民に聴いて欲しいとの願いから実現した。客席は、幼な子からその両親、高齢者まで多くの人々で埋まった。外国人と日本人が共に過ごす場面も得難いが、世代を越えて一つになれるチャンスも、これまた貴重だ。みんな、みんな「楽しさ」を共有した。ご来賓も数多くお見え下さったが、ユネスコ運動にも深い理解を示された平尾眞教育長は図らずもこの日任期を終えられた。多くの方がたの支えがあったからこそと、あらためて感謝したい。 こもごもの思いのうちに、そのひと時が過ぎた。 時、2000年9月30日。

 その半月前、日ユ協連は、各地域のユネスコ協会の実務担当者研修会を東京で開催した。嵐の中の2日間。沖縄から北海道まであいつどい、明日にむけての意見を交わした。私は、責任者のひとりとして出席したが、全国約300の団体がみな「ユネスコ協会」と名のりながら、地域性、創立経緯、規模、支え手により、活動になんとさまざまな個性のあることよと、改めて感じた。それは、色彩が豊かであるとか、それぞれ特徴があるとも言えるが、当然のことながら同じ方式が、すべての協会に通用するわけではない。この会議の間に何度か目黒ユ協の合い言葉を思い出した。『楽しくなくちゃぁユネスコ運動じゃない』 と。

  「楽しさ」は、他からあたえられるものだけではない。自分から創り出すものでもあろう。悩みも、憂いも乗り越えて、またみんなで情熱を注げるユネスコ活動が展開できれば幸いである。10月3日、目黒ユネスコ協会は46年目の誕生日を迎えた。創立当日の亀谷了名誉会員(現目黒区名誉区民)の「日記」(創立40周年記念誌掲載)をめくりながら、先達の夢が少しは、実現できたかとひそかに思う。わが協会の課題は依然として多いが、会員各位のますますのご協力と、この地域からの、さらなる「楽しさの発信」をとひたすら願う。 

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