NO.179
2001.8.8

今、もどかしく、ユネスコの心を思う
芦 田 順 子

 『痛いよ、痛いよ』自転車で通りかかった道端で、 5,6才の男の子が顔をしかめている。止まって聞いてみると、そばの草の中に死んだ蝉を見つけ、取ろうとして草の葉で指を切ったという。見ると人差し指の腹を 1pぐらい切って血が出かかっている。いつもバッグに入れているバンドエイドが今日はない。家は近くだというので「早く帰ってお母さんに言いなさい」というと、「家に帰っても、お父さんもお母さんもお仕事でいないから」と知らないおばさんの私に何とかしてといった表情で見上げる。ふっと見ると少し離れたところにガソリンスタンドがある。走っていって事情を話し、1枚のバンドエイドを手にし、子供の元へ。早速指に巻いてやる。半泣きだった顔が途端にニコニコ。きちんと「ありがとうございました」とお礼の言葉が言える。
 今、私は地域で、少年少女と関わることの手伝いをしている。
S子は17才。中学卒業後、新宿の飲食店でアルバイトをしている。小さい弟や妹もいる家庭があるが寄りつかず、友達の所を転々としている。何回か会って話を聞いている中で、家庭で一緒に食事をしていなかった風景が浮かんできた。
 M雄は14才。中学生のままで現在少年院にいる。面会した話の最後に彼は、家族といつも同じ食卓でご飯を食べたかったのに…とつぶやいた。
 不況、不景気と言われる昨今、親は生活を考えて暮らすことに夢中で、子供はついてきてくれるものと信じている。一昔前なら親がいなくても他の家族や近所の人々のつながりの中で、十分どの子も揉まれて、なんとか逞しく育っていったのかもしれない。しかし、核家族、隣は何をする人ぞ、のスタイルが多い都会生活の中では、子供は無力なのだろう。S子やM雄の問題は、それだけで解決するものではないだろうが、家族が共に食事をするという当たり前のことは案外大事なことと思える。そこから心が触れ合うのでは?冒頭の指を怪我した男の子も、指の痛さより今おきた自分のことをだれかに聞いてもらいたいだけだったのかもしれない。

 子供の頃、故郷の神戸の街で外国人と擦れ違うとき、そのだれもがニコニコと微笑んでくれ、子供心に嬉しかったことを思い出す。少し大きくなってからは、後ろから追い越す人の "Excuse me"とか"Before you"も。このごろ目にするアメリカ人はさほどでもない。やはり経済事情の関係かと思っていたら、ニューヨークから夏休みで帰ってきている友人が「日本と違うよ、向こうではね…」と私の神戸の頃の経験と同じことを言って感激していた。

 今年も終戦記念日を迎えるこの時期、決して新しく戦争を起こしてはならないと、あらためて誓わなければならない。「戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない。…」このユネスコの心をこれから成長していく子供たち・青少年たちに伝えていく具体的な方法は思いつかないのだが、まず、相手の気持ちをキャッチすることから始めたい。
 ニコニコの往復が交わされるようになるまで。 
                                                              国際支援活動委員長
 2ページへ