NO.180

2001.9.12 
ユネスコ50年に想う
斎藤 孝
 
 1951年 6月21日わが国がユネスコに55番目の加盟国として承認されてから今年は50年目となる記念の年である。
 ひと口に50年というが、その重みたるや単純には考えることはできない。だがユネスコ加盟というビッグ・ニュースそのものを全く覚えていない。よくわからぬまま見過ごしたのかも知れないがとにかく覚えがない。僅かに記憶にあるのは、そのころの日本は前の年に勃発した朝鮮戦争の影響が政治・経済をはじめ社会の各面に大きな影を落としていた。日比谷交差点を前線へ向けて送られる米軍戦車が何台も通過していた。太平洋戦争が終り、やれやれと思う間もなくまたいくさ、しかも隣国でのこと、平和への希望が薄らぐ思いが心を暗くした。
 社会的には戦争によって特需が発生して、それまでの滞貨が急速に減少し、いわゆる糸偏景気などが起こった。この時のことを経済界の大物某氏は「朝鮮の人たちには悪いが、この戦争のおかげで日本経済は助かった」と国際感覚に欠ける発言をして顰蹙をかった。
 このあとサンフランシスコで対日講和条約が結ばれ、漸く日本は占領下から独立して「もはや戦後ではない」社会が実現することとなるが、その社会も高度成長を経て近年になって多くのかげりが表面化している。
 21世紀は、環境問題ひとつをとってみても、長い努力を積み重ねなければならないことであろう。ユネスコに日本人初の事務局長が就任した。日本はこれまでにも増してユネスコへ大きな影響力を持つ国となった。この力を今後どのようにユネスコの理想実現へ生かして行くか、掛け声だけが大きい国とならぬよう試されていると思う。
                             ユネスコ学校運営委員長 
   

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