・・・憎しみの連鎖を断ち切れ・・・
服部英二
 今世界を大きな「負の意志」が覆っている。フロイドの述べたタナトス(死の衝動)である。テロは厳しく罰せられねばならぬ。しかし更に大切なのはテロの原因を究明することだ。それなくしてテロの根絶はあり得ない。それどころか更に拡大する怖れがある。
 
 ただちに「報復」を叫んだ米大統領に寄せられた90%の支持率は実は怖い数字だ。それは理性が一時、姿を消す激昂の中で起こる精神の同質化現象にほかならない。このような同質化は過去にも起こった。大戦前夜のドイツや日本を思い起こすとよい。それがどのような結果を招いたか。
 「ウォンテッド/デッド オア アライヴ」
 「われわれにつくか、テロリストにつくか、二つ  に一つだ」
 
 このような言葉は西部劇にはふさわしいが、理性の言葉ではない。怒りの言葉であり復讐の言葉だ。そして「復讐=報復」ほどキリスト教の精神から遠いものはない。報復は報復を呼び、憎しみは憎しみを生み出す。
 
 間もなく冬を迎える極貧国アフガニスタン、3年来の干魃により最早食糧もつきたこの国に報復は既に始まった。200万を超す難民が着の身着のままで山を越す。しかし本当の悲惨は、難民にもなれない極貧の人々にある。罪もない500万人が既に飢餓線上にある。その大半は母達であり子供達だ。国境を封鎖し「タリバンを食糧攻めにしてやる」と叫んだ時、ブッシュ氏の脳裏には20年来の戦乱の被害者であるこれら住民の姿が浮かばなかったのか。貿易センターの中に消えた6千人の尊い命に涙した世界は、今目前で絶たれようとしている数百倍の命を見殺しにするのか。とすると、それは彼等が異教徒だからか。貧しいからか。
 
 幸いにも米国内には、あの惨劇から10日にして甦った理性の動きが見られる。ジョン・レノンの「イマジン」は再び電波にのり、平和集会の輪は日毎に拡がっている。「何故アメリカは憎まれるのか?」が討議されるに至った。その中の一つの指摘「中近東政策の失敗」は確かに正しい。今回の事件の焦点はアフガニスタンにはなく、パレスチナにあるのだ。聖地エルサレムを廻る果てしない抗争の中、アラブ民族の目にはアメリカはイスラエルと重なって写っている。しかしこの討議は更に1300年の文明史の再考にまで深められねばならない。ブッシュ氏はうかつにも「十字軍」という禁句を口にした。これは欧米人一般の文明史観の歪みを象徴している。イスラム教徒から見れば十字軍とは11世紀突如襲ってきた侵略者なのだ。それとの戦いこそがジハード=聖戦であった。

アメリカはイスラムの「恨」(ハン)を直視せよ
 ここ300年、西欧はイスラム人を第二人類であるかの如く蔑視してきた。アラビアにおける12世紀ルネッサンスがなかったら近代ヨーロッパも生まれなかったのに。その貢献は歴史書から抹殺されている。この不当な扱いに対するイスラムの「恨」(ハン)は深い。テロは貧困から生まれるのではなく「不公平」から生まれるのである。世界のリーダーを自負するアメリカはこのことに気付かねばならない。そして、まずグローバリゼーションとはアメリカ化、アメリカの正義が世界の正義とする独善主義を改めるべきだ。
 
 核による自国のみの防衛、京都議定書からの撤退、人種差別反対会議からの退出等々、国際社会を無視したブッシュ政権も、今度は国際社会の協力を求めている。それ程この衝撃は大きかった。そして米国は今、これまで軽視してきた国連を必要としている。国連の場では異文化異文明の国々が討議を重ねるうち、必ずや理性が引き出されるであろう。
 
 勿論テロを容認してはならない。そしてテロとイスラムを同一視してはならない。世界に張り廻らされた暗黒のネットワークがあるとしたら、それには毅然として立ち向かわねばならぬ。小泉首相のとった態度はこの点での日本の国際協力の線を明確にした限り評価できる。しかし、われわれは更に考えなければならぬ。これは新しい形の戦争であることを。テロリストが身を棄て、一つの大義を掲げていることを。そして彼らは一振りのナイフで核大国を震撼させうることを示した。
 
 タリバンは崩壊し、オサマ・ビン・ラディンも程なく最後の時を迎えるであろう。しかし報復攻撃が多数の無辜の人命を奪うことがあれば、彼は殉教者となる。テロが姿を見せない報復であるのに対し、報復戦争は国家が姿を見せるテロである。恐ろしいのはそれが無数の潜在的テロリストを生み出すことだ。
 
 今は憎しみの連鎖を断ち切る時だ。私は第二次大戦の最中、ドイツ軍の空爆下のロンドンに集まった人びとを想い出す。彼らは「何故このような悲惨な戦争が起こったか」を問い、次のような反省に到達する。
 
 「われわれはお互いの文化を余りにも知らなかった。無知が偏見を呼び、偏見が憎しみを呼ぶ。戦争は心の中で生まれるのだ」。この真摯な理性の反省がユネスコの出発点だったのだ。
                    
 一歩間違えば文明間の戦争にも発展しかねない非常事態にあって、日本にはその「存在感」を示す大きな役割があることを知るべきだ。それは先進国の中で唯一つ、ヘブライ・キリスト教国家群とイスラム教国家群のいずれにも属さず、同等の距離をとり得る国として、双方に文化の多様性の重要さ、異文化の尊重を説き、「文明間の対話」を促す仲介者となることだ。それがアフガン国外、そして国内難民に対する人道的支援に徹することと相まって、この国が真に世界に貢献できる道だ。        
 
麗澤大学教授・国際比較文明学会理事・元ユネスコ首席広報官・目黒ユネスコ協会顧問

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