NO.183
2002.1.1

は つ ゆ め
 
目黒ユネスコ協会会長  加藤玲子
 ずっと前から、馬には惹かれる何かがあった。まず、姿がいい。瞳が優しい。そういえば、我が家には馬にちなむ品が多い。岩手県盛岡市で開催された日本ユネスコ運動全国大会(1969年)に参加した父母から当時三歳の彼らの孫への土産品、白い大きな「ちゃぐちゃぐ馬っ子」。北欧の青や赤の小さな馬たち。馬をモチーフにした皿絵、陶板等々。モンゴルの留学生のプレゼントの大きな油絵にも草野を駆ける馬が遠景に画かれている。古くから馬と人とのつながりは深い。そして今、アフガニスタンからの映像にも登場する。

 ユネスコは、第2次世界大戦の反省の上に設立され半世紀余を経た。昨年は、日本のユネスコ加盟50周年を迎えた。20世紀は残念ながら『戦争の世紀』だったが、次の100年は「平和の文化」の構築のためにと、希(のぞみ)を託して新世紀の幕は揚がった。しかし、その願いは空しく、悲しいことにこの地球は、また新しい戦いの場と化した。くしくも、国際連合は、その年を『文明間の対話年』と定めていた。
 いずれにしても、人類は、21世紀初頭に、またもや真の平和から遠ざかるを得ない現実に直面している。それは、ある意味では半世紀前の痛みと同じとも言える。違いは、国家間の争いから、一部は民族の、そして宗教観の違いによる争いに移行したことであろう。「文明間の対話」が急がれる。『平和』にしても『愛』にしても、民族や宗教観によって、当然のことながら内容に多少のずれがあることは否めない。だが、そこに、あえてユネスコの理念に近づける意識を秘めて欲しい。寛容な姿勢が欲しい。それぞれの立場に基づく理念が、ユネスコの掲げる理念とのすりあわせができた時に、そしてすべての人々が、それを認識した時にのみ、この地球に平和が実現するとしか思えない。問題は、宗教等のあり方と同時に、基礎教育の普及度にも関連する。

 ユネスコ世界寺子屋運動においても、「基礎教育とは、人権を獲得するためのものであり、読み書き計算ができるための教育」と捉えがちであるが、思うにそれは、基礎教育の一部分でしかない。大切な部分は、「人が共に生きるための姿勢のあり方の教育」言い換えれば「平和を愛する心の教育」である。基礎教育の目標は、読み書き計算と平行して、文明間の対話を可能にする人材の育成である。識字率の如何にかかわらず、ユネスコの理念の基に、すべての人々が徹底してこの教育を享受できる環境を整えることが急務でありユネスコの責務であると考える。教育家の、宗教家の、思想家の、識者の、為政者のリーダーシップと、子育て最中の家庭にそれを求めたい。
 荒野を駆け巡る勇壮な馬に託して「平和の種」が一粒でも多く蒔かれ、芽生えることを今年の初夢としたい。もうひとつ、アメリカのユネスコへの復帰も加えておこう。

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