NO.185
2002.3.13
この春 三冊の上梓によせて
目黒ユネスコ協会・会長  加藤玲子

 富良野をラベンダーの里として世に広めた富田忠雄氏の発声による乾杯で、そのパーティーはひらかれた。銀座四丁目の角ビル9階。鮮やかなネオンの中に、ひときわ存在を主張する服部時計店の大きな丸時計が窓越しに眼前に迫る。その宵は、日本最初の女性報道写真家、笹本恒子氏の近著「夢紡ぐ人びと」の出版を祝う会。近著は、18人の人びとの写真とその方にまつわるエピソードなどをちりばめた現代の人の物語。北海道新聞の連載をまとめられたとのことだが、それは年輪を重ねられた女史の歴史の一端でもある。女史は、開会に際し、控えめに初々しいまでの笑みをたたえながらスピーチに立たれた。女史との出会いは、都ユ連の大瀧会長のご紹介で、昨年12月に講演会(都教委/都ユ連主催)の講師をお願いしたことによる。お祝いの席には、新藤兼人氏をはじめとするその書に登場される著名な方々が大勢おられたが、その中にかねがねお目にかかりたいと願っていた母校の先輩、長岡輝子女史のお姿があった。「何年の卒業?」「私よりずっと若いわねぇ」言葉をかわさせていただいた私は、一瞬、青春時代の風を送られたように思えた。眼鏡の奥の瞳が温かかった。文筆家で、戦没画学生の思いを後世にと、信濃デッサン館・無言館館主の窪島誠一郎氏は、「この明るい街からは一刻も早く去りたい」とスピーチをされた。氏は、都会の虚の空間や、乾いた空気を拒否されるのであろう。戦争で思い半ばで逝ってしまった画学生の絵は、上田市の自然の懐に抱かれ、氏のもとで展覧されている。広島からかけつけられた森岡まさ子氏は90歳。平和の語りべとして今も請われて西に東に戦争や原爆の恐ろしさを語り継いでおられる方。
 そこは、笹本女史を軸にした頼もしくエネルギッシュな空間だった。あたかも50年前、初期のユネスコ運動がたくわえていたエネルギーがそのまま生きているようでもあった。

 同じ頃、帝塚山学院大学国際理解研究所所長・米田伸次氏から「地球市民が変える」と題した近著を頂いた。これは、同研究所が開催した国際理解公開講座・シンポジウムの収録。米田氏は、日ユ協連の元理事で一貫してユネスコ理念の基に国際理解教育にたずさわっておられる方。ユネスコ運動の活力を培うための一冊だ。

 最後に、日本・ユネスコ加盟50周年・都ユ連創設40周年記念誌「ユネスコ運動を拓く」が、いよいよ出版の運びとなったことをお伝えしたい。記念事業「世界遺産写真展」、講演会「昭和・あの人・あの時」〔講師:笹本氏〕の収録。外務省、文部科学省、都、区教育委員会やユネスコ関係者のメツセージ、青年の声、資料にユネスコ関係法律、都ユ連40年の歴史などを掲載している。そこには、半世紀間を通じてユネスコ運動を担った人々の溢れるような息吹を見る。

 「夢紡ぐ人びと」の意味がしっとりと心に染みる。いよいよ求められている私たちの関わるこの運動のために、あらためて足元を固めたい。一人ひとりが、希望を、そしてユネスコ運動を紡ぐ人となりたい。                           (書籍希望の方はP6参照)


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