No.188
2002.6.12

ユネスコ運動の原点をみつめて
目黒ユネスコ協会 会長 加藤玲子

 紫陽花の彩なす色と梔(くちなし)の甘い香りが漂う季節となった。今年は、日本がユネスコに加盟して51年目にあたる。第二次世界大戦後の民間ユネスコ運動の昂まりがもととなって、当時日本が国連に加盟するより5年も早くユネスコに加盟し、国際社会に復帰したことはご存知の方も多いことだろう。

 「ユネスコ」の誕生は、戦後の荒廃した世界の人びとの心の中に、一筋の光を見出した思いを抱かせたに違いない。世界で最初に民間ユネスコ運動が始まったのは日本だった。1945年ユネスコの設立を知った土居光知氏(仙台ユネスコ協力会の創始者の一人)は、ユネスコ(パリ本部)事務局長宛にメッセージを起草した。それは、日本の民間ユネスコ運動を世界に伝える第一報となった。それを機に、日本のあちらこちらで「民間ユネスコ協会(当時は協力会)」が誕生した。この民間運動は、日本を発信地として、今、世界118ヵ国、5000を越える協会(クラブ)を数える。心強いことだ。しかし、争いは、いっこうに絶えない。

 先月25日には、目黒ユ協の第49回総会(区立守屋教育会館)、31日には、第53回日本ユネスコ協会連盟総会(神戸市)が開かれた。それぞれ大きな課題を負って本年度の幕が開いたように思う。目黒ユ協は、2年後に創立50周年を迎えるが、うれしいことに、目黒区・教育委員会をはじめ関係各位のご尽力により、秋には独立した事務局(区立五本木小学校内)が誕生することとなった。長年の願いであり感謝である。この機に、ユネスコ運動の原点と照らしあわせ、ひとつひとつの活動を自ら検証する作業が必要と考える。

 そのあり方を互いに学びあい、明日にむけて組織の構築の強化が迫られる。具体的には、事務局および各委員会の運営体制の姿勢や方策に知恵をよせあい、段階を経て現場に移していくことであろう。会員各位のさまざまな形によるご協力と新たな会員のご紹介をお願いしたい。皆様の日頃のご協力に謝し、あわせて、共に襟を正して、また一歩から歩み始めよう。



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