特別講演会報告
 

「アフガニスタンの子供たちに未来を」
 
              
   アフガニスタン教育特別講演会  〜教育復興の現場から〜
                     主催:学校法人 文京学院、社団法人 日本ユネスコ協会連盟
                    後援:日本ユネスコ国内委員会、ユネスコアジア文化センター
                     日時:2002年6月6日(木)18:30〜20:30 会場:文京学院大学 仁愛ホール
 
 前ページ全国大会の記事中にある、サフィー教育大臣諮問委員長一行4名の特別講演会が開かれた。文京学院大学島田学長は開会挨拶でアフガニスタンが「東西文明の交差路で非常に古くから文化の発達したところ」であり、「日本に伝来した仏教をはじめ私どもが受け取ったものが如何に多かったか」について述べられた。日ユ協連の取材ビデオにより、破壊し尽くされた街並み、見渡す限りの難民の群れが紹介され、又日ユ協連が開始した寺子屋で学ぶ子どもたちの明るい顔が印象的であった。司会者に促され、ゴラム・モハマッド・ハジザダ教育省計画統計局長は、昔のアフガニスタンの良き思い出を語るうちに、24年前から始まった悲劇の時代のことにうつり、24歳以下の青少年は教育が全く受けられなかったこと、戦争と武器の事しか知らない事を述べ、その大事な時期に何も出来なかったことを、あたかもご自分の責任であるように吐露される言葉があった。廃墟から復興に向けて、重い責任を担う人の心の中に良心の輝きを見る思いであった。
 
以下、当日の取材メモより
 
 1979年以来の外国の侵攻やそれ以前からの長い内戦を経て今、ようやく平和が訪れようとしているアフガニスタンから4名の教育省の幹部の方々を日本へお迎えし、上記のような会が行われた。定員800人の会場には、文京学院大学の学生をはじめ、たくさんの方々が詰めかけた。まず、現地報告として子供たちや町の様子などをビデオで見、それからアフガニスタンからの各氏の話を聞いた。以下は、通訳をしてくださったファルク・アーセフィ氏(日本アフガニスタン友好協会)による各氏の話の一部である。

「教育復興の現場」  ロトフッラー・サフィ氏
(教育大臣諮問委員会委員長、ユネスコ・カブール事務所教育
 コンサルタント、元カブール大学教育学部教授) 写真左端
 戦争は悲劇と破壊である。アフガニスタンでは25年の長い戦争の中で子供も青年も手に武器を持ちつづけた。今、平和になろうとする入り口で何よりも必要なものは教育である。子供たちの持つ武器をペンや本など教材に代える時である。また教育に携わる教師の育成にも目を向けねばならない。残念ながら現在、教育の設備、教材など整っていない。教材となるテキストなども35年前の古い物の一部であり、不完全なものである。その中で、子供たちは教育を受けたいと願っている。我々は子供たちにいい教育を受けさせることで、アフガニスタンの復興を果たす責任を感じている。
写真はクナール州の寺子屋建設予定地 全壊した建物の一部を利用する予定
 
「都市カブールは、昔きれいだった。」
 ゴラム・モハマッド・ハジザダ氏(教育省計画統計局長)  写真上・右から2人目
 アフガニスタンは中央アジアの心臓部にあり、土地は日本の1,7倍で人口は約2600万人である。その昔、農業が中心で緑豊かな草原を持ち、多民族ながら統制がとれ、王制時代は教育は都市のみで公平な場は与えられていなかったが、1973年共和国となり、その後教育の場も普及した。識字率も上がり、近代化への道を歩んでいたところ、戦争となりあらゆる町は破壊され、今はむかしの面影もない。
 
 「日本での教育の現場を見て感じたこと」
 シェール・モハマッド・エテバーリ氏(教育省国際関係局長)  写真前ページ左から2人目
コンピューター使用の授業・給食のすばらしさと、手ではなく箸を器用に使う食べ方・教育の現場が整えられていること等々―。 アフガニスタンは長い戦争をしたものだが、戦争から学ぶべきことは何もなかった。人間は「生まれる」ということでは皆公平であるが、その後、知識が多くあるかどうかが、風土・習慣などの差があるとはいえ、国の平和につながるということを日本へ来て実感した。

 「夫は日本へ来ることを賛成した?」   
 ファヒマ・ハディ氏(マルヤム高等学校校長・教育大臣諮問委員会委員)   前ページ&下の写真も右端
 正直にいうと、夫は今回私が日本へ来ることにいい顔はしなかった。この訪日の前に3月頃アメリカからも話があったが夫が反対したので実現しなかった。その時、周囲から「あなたは27年も教育の現場にいた人なのに自分の権利はないのか。」と驚かれた。「家族が大事だから」と言い訳をしたものの、同僚・仲間からも指摘され、その時から私は抵抗を始めた。夫や家族に理解してもらうために何度も話をし、兄弟たちにも協力してもらい、策をこらしてやっと夫の理解が得られ、日本に来ることが出来た。タリバン政権での抑圧された黒い時代は女性の教育の実施の権利が奪われていたので残念。私は表向きは裁縫学校として、6人の仲間の先生と2週間毎に場所を変えながら秘密の場所で女子の学校を作り、60人の学生のための教室を続けてきた。今願いは実現するものだ、と思うし、なによりも世界が見守っていてくれるということが支えであった。                 
  写真:文京学院学生から花束を受けて           文責・芦田順子国際支援活動委員長


 
  日本ユネスコ協会連盟が目下進めているアフガニスタン支援は4月現在下記の通り
1.パキスタン内、アフガニスタン難民支援 イスラマバード郊外の難民スラムでの子どもを対象とした二校の寺子屋
  マスキナバード    4教室(男女各2教室、1教室40名) 160名
  キラ・ナスロ     6教室(男女各3教室、1教室50名) 300名
2.アフガニスタン内、寺子屋運動  4つの寺子屋パイロット事業
  1)カブール郊外   (中心) スタリフ村    調整中
  2)クナール州    (東部) マザル・ダル村  7月寺子屋開校予定
  3)マザリシャリフ郊外(北部)          調整中
  1)ヘラート郊外   (西部)          調整中
  この資料と2ページ「マスキナバードの寺子屋で」と3ページ「クナール州の寺子屋建設予定地」の写真は日ユ協連提供です


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