ショートニュース.190ー3

         ユネスコにおける教育の理念
 
ユネスコの二つの重要な教育勧告について
 
 第13回リトリート・レクチャーは、二日目、服部英二氏によって行われた。 ユネスコが教育の理念として発表しているものの中から重要な次の二つについてお話し下さった。以下その概要。
第一は「21世紀の教育」で、これは1997年ジャック・ドロール委員長のもとで、ユネスコが3年がかりでまとめた教育に関する勧告である。教育は学習を促進するものであるが、学習には四つの大きな柱がある。
  @ 「Learning to know」知識の学習のこと、皆さんが通常、大学で知識を学ぶこと
  A 「Learning to do」活動の学習のこと、社会でいかに行動するかの学習 
  B 「Learning to live together」共生(キョウセイ)の学習、社会で共に生きるための学習。
 このBの項目はこの委員会において、日本の天城氏の提案が受け入れられたものである。共生、キョウセイという言葉は今ではジュードーのように国際語として通用する。内容的には日本で古くから「トモイキ」ともいわれ、13世紀頃から浄土宗ほか宗教や思索の中にもよく見られる。 
 C 「Learning to be」は存在することの意味を考える学習で、これは前の三つの概念を統合した概念である。@ABを頂点として描かれる三角形の平面に対し、垂直に交わる概念と考えると理解しやすい。(図A参照)
  @ABだけでも、一応の結論となるのに加え、少し異質な概念であるCが加えられた意味は大きい。この「存在の学習」は「本当の存在」について示唆するもので、その哲学的背景にある、ガブリエル・マルセルの「存在と所有」を取り上げたい。
「存在と所有」は正反対の概念、或いは反比例する概念である。「神はなにも持たない・存在そのものである」という極から「所有欲の塊・人格皆無」という両極がある。
不幸なことに近代はモノを所有する方向に進んでいる。歴史上、良寛、アッシジのフランシスコ、インドのマザーテレサなどは神に近い方の存在と考えて良いのかもしれない。人を愛し、人に愛され、何も持たない、しかし豊かに生きた。その一方にアメリカのエンロンとか鈴木某さんとかのお金の亡者や、人間失格の現実が非常に多くある。所有欲の究極、欲望の果てに人類の滅亡がある。(図B参照)  私たちに「共生」の大切さを教え、更にその先に、もっと精神的なものによって生かされることが大切であると指摘しているのがこの「Learning to be」である。教育がこのような考えに沿って行われなければならないというのが「to be」の意味であり、ユネスコの考えである。目下の所これを超す勧告は無いと言っても良いくらい重要なものである。
 
第二は「文化の多様性に関する宣言」で、時間の許す限り、2001年11月のユネスコ総会での宣言に触れたい。これは「世界人権宣言」に次ぐ非常に重要な宣言であると考える。不幸にして現在までのところ、日本語として読みやすく、こなれた訳がないのが残念であり、是非目黒ユネスコ協会訳を作られることを提案する。
 世界の傾向はグローバリゼーションにあるが、これは「ユニフォーム化」ということで、非常に危険な方向である。この傾向に対し、ユネスコは「文化の多様性」は「人類の本質」であると見る。これは1995年国連大学でジャック・イヴ・クストーが「生物の種speciesが多いほど、その生態系ecosystemは強い」と発表したが、この自然界での法則が、じつは人類にとっても同じで、「文化の多様性」が「人類の本質」にとって重要であると置き換えられた。まさにこのことを述べているのがこの「宣言」の第一条である。
 非常に残念であるが、ここで残り時間がなくなったので、この宣言の原文を資料として皆さんに差し上げることとしたい。第二条以下もどうぞ読みこなし多くの質問をして下さることを期待する。
要約文責・広報委員長 奥澤行雄
 講義の全体は、研修活動委員会の中村正さんによってテープ起こしが完成し、間もなくホームページに掲載されます。
  又、「文化の多様性に関する宣言」も英文広報委員の宮本美智子さんによって日本語に訳されました。ホームページ資料編に間もなく掲載します。しばらくお待ち下さい



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