ショートニュース.190ー4 


世界中の人が知った  Beautiful WADAMURA
 
貴重な和田村施設の存続を切望する
 
  リトリート13年の足跡を振り返って
 
「緑濃き長野・和田村、夏の白雲と輝く太陽のもとに集った各国の若者達と、三日間共に語り合えたことは、私にとっても大きな喜びでした。一人一人が個性を発揮し、しかも自分が何ができるかを積極的に探す姿は感動的でした。」  ・・・・・服部英二・元ユネスコ主席広報官文化担当特別事業部長、目黒ユネスコ協会顧問
 


写真;2000年(第11回リトリート)

 夏の白雲と輝く太陽、Beautiful WADAMURAに集った青年は過去13年間に65ヶ国にのぼる。和田村の緑、信州の緑、日本の緑、その美しい自然に囲まれて、青年達は自分を語り、自国の将来を語り、世界の平和がどうしたら実現できるかを語り明かしてきた。
 1990年に国際交流学生キャンプとして始まったこの集いは、その後「リトリート」と名前を変え今年13回目を無事終了した。米、英、ロ、中、仏等国連安全保障常任理事の国からも、又国家として今はないユーゴスラビアからも、青年はこの和田村に来た。
 青年達は、日本での留学期間を終わると自国に戻る。発展途上国から国費で留学した青年は、通常責任ある地位につく。DNA遺伝子の研究やハイテク技術を学んだ学生も、自国の発展に寄与しているに違いない。いずれも日本の青年と親しくなり、和田村の思い出に花が咲き、明け方まで語り明かした青春の貴い経験に気づく。和田村で、リトリートで、ユネスコで学んだ平和の大切さを思い出す。
 今年のリーダーは、リトリートが終わったとたん海外に出かけていった。帰国早々今度はサブリーダーがクロアチアの青年と共に出国した。青年達の舞台は広い。国境を無意識に越える。世界は生活の一部のようだ。平和が身近にあってこその現実。地球上の全部がそうであって欲しい。
  和田村で世界の広さにこころ開き、アメリカやイギリスに留学した者がいる。国際結婚も実現した。かつてのリーダー同士が結婚し、その子どもと一緒に参加するケースが今年初めてあった。WADAMURA BABY第一号である。
 和田村の管理人一家の働きも大きい。「大きくなったね」「少しスマートになったんじゃない?」優しい言葉、心遣いに世界の青年はすぐにこころを開く。三年前までの管理人さんのお孫さんはリトリートの時だけやってきて、小学生なのにおとなしく、大人の講義を聴いてくれた。青年達が自分の国のことを熱心に語ることに興味をもっていたようだ。青年達のアイドルであった。
 
 和田村が今年で閉鎖になるかもしれないという話が伝わった。青年達は一様に、それはあってはならない事と受けとめたようだ。おそらく目黒区の施設の中で一番世界に知られた施設ではないだろうか。それも、世界の平和について語り合い、祈りあった、青年達にとって何よりも貴重な場所、生きた遺産として。
 和田村で目黒ユネスコ協会がこのような貴重な行事を続けてこられたのは、目黒区、目黒区教育委員会の絶大な協力と支援があってはじめて可能であった。心から感謝したい。そして今後ともこの貴重な施設を存続して下さることを心の底から切望する。    
                                                          
リトリートチーフアドバイザー・副会長 奥澤行雄
 
  写真注・参加者の国旗を掲揚し、自国の旗の紹介をするのが開村式のしきたり。この写真には中国と台湾旗が見られる。青年は「国」とはなにかを考える。国境は何時誰が引いたのか。自国の未来を語るとき白熱した議論は時に夜明けまで続く。世界に平和が絶対必要なこと。その実現のために学ぶことは多い。民間ユネスコ活動だからこそ可能なことがいろいろあることに気づかされる。

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