No.193   2003.1.1

明日へ・・・その1
   
目黒ユネスコ協会の設立
目黒ユネスコ協会会長 加藤玲子

 あけましておめでとうございます。新年は「独立した事務局」で初仕事です! これは、私たちの長年の願望でした。新事務局開設にご尽力いただいた関係各位に感謝し、この機に、地域にふさわしいユネスコ運動の役割、使命について、あらためて皆さまと共に確認いたしましょう。そして、原点から明日への新たなあゆみを踏み出したいと思います。まず、ここに、「目黒ユネスコ20年のあゆみ」(1975年3月31日発行)から、一部を抜粋してみます。
 2003年が健やかな年となることを願いつつ。

 「創立当時の思い出」より「・・・昭和28年7月、文部省に日本ユネスコ国内委員会が設立され、わが国もユネスコ国際社会の一メンバーとしてスタートしましたが、目黒ユネスコ協会を設立しようという動きが出始めたのは、翌29年の初頭でした。その最初の発案者は、当時の日本ユネスコ国内委員会事務局次長の釘本久春氏と、日本ユネスコ協会連盟書記長で、糖業協会常務理事であった中村誠司氏でした。私も、日本ユネスコ国内委員会事務局に勤務していましたが、釘本先生と中村先生とは、仕事上密接な関係もあり、その上ともに目黒在住者というわけで『目黒ユネスコ協会をつくろう!』と、とんとん拍子に進んだわけです。そして、協会設立までの10ヶ月、釘本先生の自宅などで準備うち合わせ会を精力的に重ねて、広く各界、各層からの約50名を発起人としてお願いするなど一歩一歩進めていきました。
 それと並行して、目黒区教育委員会とも密接な連絡を保ちながらすすめ、10月3日、目黒区議会議場で、創立総会を開催しスタ一トしました。その際の設立趣意書および規約の原案は、釘本先生がつくられたものでした。」     (初代事務局長 正法地幹雄)/現相談役

 「編集にあたって」より「・・・20年の活動の足跡は、草創期からひきつづき17年の長期にわたって事務局長を担当された正法地幹雄氏により、5冊のノートに克明に記録されて今日に受けつがれてきました。赤茶けた古いノート、特にT〜Vは風化寸前ともいえそうでした。私は、その第1ページを開いて、ハッと声をのみ、そこにたたずむ思いにかられました。
 万感の想いを託してつづられたその古びた大学ノートには、淡々たる、会議の記録メモひとつにも先人の方々の魂のみなぎりが感じられて、ページをくりながら、心がひきしまるような思いがいたしました。20年の重みとは、このようなものなのでしょうか。・・・ 」
                           (副会長 加藤いさ子・当時)/第5代会長(故人)

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