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ユネスコ文化講座 「日本の国際教育協力政策について」
 

講師 上別府 隆男氏 東京女学館大学教授
日時 2003.3.24(月) 18:30〜20:30  場所 中目黒GTプラザホール

 上別府氏は、文部省在任中、バンコックのユネスコ事務所において開発途上国の教育開発プロジェクトに従事された。退任後アメリカに留学。現在、大学で開発途上国への教育援助の科目を担当されている。今回は、はじめに日本の中央官庁で国際教育協力・援助政策が、どのように形成されたかを審議会の流れと援助の具体的な内容について解説。次いで1970年代から2000年初頭までの、政策の形成及び協調の流れについて分かりやすい説明があった。以下その要旨。
 国際教育協力・援助構想は、佐藤首相の提案により始まり、1970年の諮問機関報告を受けて文部事務次官の私的懇談会から具体化した。これは、当時日本の高度経済成長による黒字貯めこみへの批判と、植民地からの独立に伴う開発途上国の増加による南北問題への対処策として出てきたもの。実際は1990年頃まで日本のODA(政府開発援助)による教育協力は、外務省を柱とする関係各省(通産、労働等)を含む1974年発足のJICA(国際協力事業団)中心のものと、文部省中心のものとに二極化した。外務省・JICAは、通産、労働によるハード面(学校建設等)と職業教育の充実を志向。文部省は、留学生とユネスコを中心とした。これは、各省の教育協力の理念が微妙に異なっていたためである。外務省は、教育を外交の一部として認識し、文部省は、教育そのものとして認識していたためと思われる。
 しかし、1993年以降、各種研究会、懇談会がJICA、文部省(文科省)双方に設置され、現在は連携した政策協調の流れになっている。これは、国際的な教育面での基礎教育・ソフト重視の流れを受け、教育ノウハウを持つ文部省と援助手法を持つ外務省が連携しないと効果的な教育援助が期待できないという理由による。
 現在、国際教育援助として、日本の培ってきた教育経験・知識の紹介が取り上げられようとしているが、援助を受ける側のニーズ、環境もよく調査した上での適切な教育協力を行いたいものである。
 説明後いくつかの質問とディスカッションがあり、なかでも、当日ご出席の当協会田島、笹岡両顧問から審議会や大学の状況の補足説明は、ご自身の体験に基づくものだけに講座の理解を深めるために貴重なものであった。民間の立場から世界寺子屋運動を推進する私たちにとって大変興味深い講座であった。
写真 上別府氏   研修活動委員会 中村 正 記

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