50歳のユネスコ 
ユネスコ学校運営委員会
 目黒ユネスコ協会が発足して50年という節目を迎える。一口に50年と言うがその間の時間は大変な長さだ。ここまで協会を維持育成されてきた多くの先駆者たちの努力に思いを馳せると、改めて頭が下がる。
 いつもの歳ならば過ぎ去った時を振り返り、翌年に託す希望を述べるのが恒例であるが、今回ばかりはこれが甚だ筆が重く容易には述べ難い。昨今の国際情勢とそれに対応した国内の急激な保守化傾向の現実を目の当たりにすると、到底おめでとうなどと口には出しにくい。
 ユネスコ憲章前文には、相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、このためにしばしば戦争となった。政府の取り決めのみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。したがって、すべての人に充分な教育と、そのための平等な機会が与えられることが重要であると述べられている。
 ユネスコ学校は当協会の多様な活動の中でも(東が丘荘在住の)中国残留帰国者家族を対象とする限定した活動であり、他の活動とは若干趣が異なる。
 その東が丘荘への入居者は近年の厚生施設再編整備計画によって帰国者家族が転出したあと、同様の家族を充てることはなくなったため、ユネスコ学校の勉学者数は減少の傾向にある。これら帰国者家族の人々は個別的には事情も異なり、日本語勉学の意欲はまちまちだが、勉学の機会は常に提供されていることが必要であると考えている。希望者が1人でもいる限り継続しなくてはならないものと思う。
 こうしたことをも含めて、 50周年と云う年はユネスコ憲章をじっくり読み噛みしめ、そして考える機会となりそうである。    
                
  ユネスコ学校運営委員長 斉藤 孝

日本語教室から「あけましておめでとうございます」
 目黒ユネスコ協会の日本語教室は1988年に祐天寺駅前の銀行の一室で始まりました。日本語を学びたいという外国の方の願いを受けとめた先人の暖かい心が出発点です。そしてそれは現在、進度に合わせた小人数クラス編成という姿で継承され、近年では各期(春期・秋期・冬期)共約130名の参加者が集う大所帯となっていますが 「生徒」「先生」の関係というより平等の立場の人間同士の助け合いという姿は創立以来今なお保っております。 
 世界数十ケ国から集まった参加者が 日本に住み・日本語を話し・友人を作りたいという心で繋がり、宗教・政治・習慣の違いを超え、共に学ぶ姿は“世界平和は国際理解と協力があってはじめて可能となる”と提唱しているユネスコ憲章を正に実現している場所の一つとなっていると確信しております。
 最近では日本語学習に止まらず、ユネスコ活動にも積極的に参加する機運が教室参加者の間に生まれています。その一つ、別項の「交流活動委員会」の行事は、進んで委員になった方々と日本人会員との合同活動の例です。更にユネスコスペイン語講座では講師を務めたり、コンサート等の催しの折にはお国の衣装を着て会場に華やかさを添えたりと、目黒ユネスコ協会の活動に参加する形も多彩になっています。本年度は区内の小学校から国際理解教育への協力参加のお話( ページ参照)も頂いておりますが、きっと、いろいろなお国の方々のご協力が得られるものと思います。
 目黒ユネスコ協会創立50周年にあたる本年、日本語教育活動に携わる会員(約30名)は長い歴史を支えて下さった先輩の方々に感謝し、フレンドシップメンバーと共に日本語学習のみならず、ユネスコ憲章の実現と国際交流の道を益々豊かなものにしたいと願っています。本年も多くの方々に御指導・御協力を頂けますようよろしく御願い致します。                                                                     
写真:2枚とも  普段は小人数クラスだが講座最終日は全員で懇親を深めます 上の写真は初心者クラスの紙芝居

日本語教育活動委員長 加藤光子


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