No.211ー4

式典当日のプログラムから
ユネスコと民間活動
 「戦争は、人の心の中で 生れるものであるから人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」
これは、ユネスコ憲章の前文冒頭の言葉です。ユネスコは第二次世界大戦の反省から、1946年に誕生しました。(ユネスコの前身は、国際連盟の諮問機関として設置された国際知的協力委員会です。日本の新渡戸稲造は、国連初代事務局次長としてこの事務を担当しました。)
 ユネスコは、教育・科学・文化の協力と交流を通じ、国際平和と人びとの福祉の促進を目的とした国際連合の専門機関です。(本部はパリ。1999年には、松浦晃一郎事務局長が誕生)日本でのユネスコ活動(ユネスコの目的を実現するために行う活動)は、国、地方自治体および民間のそれぞれの立場で協力し合い、または独自に、活発に展開しています。民間ユネスコ協会は、1947年に世界にさきがけて日本の仙台に誕生し、京都、奈良、神戸と続き、やがて全国に波及しました。民間から起ったこの運動は、政府、国会を動かし1951年のユネスコ加盟を迎えます。これは日本が国連に加盟する5年も前のことでした。いま、日本には約300の協会がありますが目黒ユネスコ協会もそのひとつです。
 日本の民間ユネスコ活動は、アジア連盟、および世界連盟の結成に尽力し、両連盟の初代会長国は日本でした。いま、世界には約5000のユネスコ協会・クラブがあります。過去から現在まで、ユネスコ運動と日本との関係は、官民ともに深いつながりがあるのです。
目黒ユネスコ協会
 目黒ユネスコ協会の創立は1954年10月3日です。設立総会は、目黒区役所議場でおこなわれました。創立者は、釘本久春氏(当時日本ユネスコ国内委員会事務局次長)、中村誠司氏(当時:日本ユネスコ協会書記長)、初代会長は赤松裕之氏、事務局長は正法地幹雄氏。発足時からの会員には、香取正彦氏(人間国宝)、井高帰山氏(初代)、亀谷了氏がおられ、現名誉会員岡見ふく氏もそのお一人です。歴代会長は、山本為三郎(第二代)、水上達三(第三代)、原田三千夫(第四代)、加藤いさ子(第五代)の各氏です。
 現在の目黒ユネスコ協会の活動は、すべてボランティアによりますが、当初からの研修、交流、文化、広報・青少年活動の他に、国際協力のひとつとして日本語教室(1986〜)、中国帰国者のためのユネスコ学校(1985〜)、国内外支援のためのバザー(1983〜)、コンサート(1974年〜)など多岐にわたつています。近年は、学校教育への協力(外国人会員の参加を含む)や地方からの修学旅行生の受け入れも盛んになりました。
 目黒ユネスコ協会は、独自な活動のほかに、創立当初から目黒区及び区教育委員会との協働活動により今日を迎えました。「ユネスコ活動に関する法律」に基づくとは言え、長きにわたるそのお支えに、あらためて御礼を申しあげます。
 目黒ユネスコ協会は、この半世紀間、一筋の道を歩み続けてまいりました。そして、今、その道の延長として明日のために新しい道が拓かれようとしています。『平和』への道程は、さらに険しいかとも思います。しかし、私たちは協会創立の初心を胸に、目的へむけて、たとえ小さな一歩であろうとも、また明日から謙虚に歩み出したいと思います。
 ここに、先達、そして多くの皆様への溢れるばかりの感謝とともに、今後の更なるお力添えを切にお願い申しあげます。

      ユネスコ講座
 

セルビア・モンテネグロの実情−世界遺産−
 
主催:目黒区教育委員会  主管:目黒ユネスコ協会
      講師:駐日セルビア・モンテネグロ大使館一等参事官 スロボダン・プロシッチ氏
      日時:10月6日(水)18:30pm      仏語通訳:栗田美智代さん(会員)
      会場:目黒区立守屋教育会館
13世紀から14世紀ごろ建築された修道院の数々、その内壁を飾る壁画や聖画がプロジェクターで写しだされると、その美しさは息をのむほどであった。 ロマネスク様式とビザンチン様式が融合したコソボの美術の特色を丁寧に説明し、その一部の修道院は世界遺産に登録されていること、又内紛によって破壊されたものに対してはユネスコが修復する事を決定したこと等々、80枚を越える写真によって解説して下さった。セルビア・モンテネグロという、世界から関心をもたれている地域でもあり、質問も多岐にわたったが、ときにフランス語、時に英語で丁寧なお答え。
「13世紀は日本では鎌倉時代ですね、私は京都が大好きです」とも付け加えられた。文化の大切なことに触れることの出来た講座であった。






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