No.211ー5

目黒碑文谷(ひもんや)散策
 
 9月23日、目黒ユネスコのウォーキングツアーに行きました。 わたしたちはすずめのお宿緑地公園に行きました。公園の中に古民家案内があります。きれいな所です。後で、二寺院とサレジオ教会を見ました。たのしい見物でしたね。                ワンサイ・ヤーニン(タイ)  (原文のまま)
 
 ユネスコのこうりゅうサロンにさんかして、とてもたのしかったです。わたしは古い家がだいすきです。先生はみなさんとてもしんせつで、わたしにいろいろとせつめいしてくれました。わたしは日本来て、まだ1か月だけなのでまだわからないことがたくさんあります。わたしはわかるようになりたいです。じぶんの国とちがうこともたくさんあって、おどろきました。にほんのおいのりはタイのとはおなじではありません。日本は二回おじぎして、二回手をうって、一回おじぎする。タイはすわって三回おいのりします。日本のたけはばらばらにはえますが、タイのたけはまとまってはえます。とてもちがうので、びっくりしました。
                          クワンジラー (タイ)     (原文のまま)
 
 9月23日朝の都立大学駅前は普段の土曜日より少し賑やかだった。いつもは何気なく通り過ぎる碑文谷の街を、この日は目黒区郷土資料館の学芸員である横山昭一さんの解説を聴きながら散策をして見ようという、目黒ユネスコ協会交流活動委員会主催の街歩きの当日であった。寝坊して不参加となった2人以外が午前10時に集合して歩き始めた。参加者は総勢で20人だった。
 まずこの都立大学駅が、その昔は踏切のある平面交差の駅で、当時は目黒通りが東横線の上を跨いでいたという話から散策が始まった。
 15分ほど歩いて、環状7号線を渡ると「雀のお宿緑地公園」に着いた。江戸時代には練馬大根(練馬)や小松菜(小松川)とならんで、目黒の筍が名物だったという話にうなずきつつ、今昔の感を深めながら、江戸時代中期に建てられ、緑が丘からこの地に移築再建された【古民家】を訪問して、囲炉裏を囲みながら鉄瓶で沸かした美味しいお茶を味わった。
  続いて秋のお祭りが終わったばかりの【碑文谷八幡宮】を訪ね、
 写真:後列左から四人目、目黒区郷土資料館の横山昭一さん  碑文谷の名前の起こりといわれる[碑文石]を見た。(石碑の多い谷間が名前の元だという言い伝えも別にあるという。)
 桜並木の参道を通り、次に訪れたのは【円融寺】。都区内でもっとも古い木造建築で美しい曲線の屋根を持つ釈迦堂のほか、文化財として重要な黒い仁王像や梵鐘などを見学した。折から秋の彼岸で、墓参りの人が多かった。
 【サレジオ教会】では「江戸のサンタマリア」と名付けられた悲しみの聖母画像を拝見し、華麗なステンドグラスに感嘆しながら退出した。
 最後に立ち寄ったのは「ダイエー」の駐車場裏にある、あまり目立たない黒塗りの長屋門だった。昔の格式ある旧家はこの様な門を構えて、立派な屋敷に住んでいたのだと、歴史を語りかけるような佇まいだった。
 皆で一緒に食事をと言うことになり、目黒通りの「バーミヤン」で食事後解散となった。
 膝が痛むのを理由に、自分だけ自転車で参加したので帰りが楽だったが、他の人達にはご免なさい。  皆さんお疲れ様でした。                      交流活動委員会   横山 彰一郎 記
《目黒区観光マップA:学芸大学・碑文谷周辺、めぐろのさんまはどこだ?》が参考になります。
 

目黒区立五本木小学校で異文化交流
 
 9月29日(水)五本木小学校ミーティングルームで6年生を対象に国際理解教室が開かれた。ナイジェリア、タイ、ネパールのフレンドシップメンバー6名と日本人スタッフ3名が参加した。
 それぞれお国ぶりを紹介するために持参のビデオを使ったり、習いたての日本語で一生懸命のお話。ナイジェリアのフィロミナさんはなんと妊娠9ヶ月の堂々たるお姿で
「1.5人分」の存在感で親しみをもたれたようであった。
 右の写真はタイの「ソードアン」という楽器でチャヤニンさんが手を取って教えても「ムズカシイ」の連発であった。
 2時間があっという間に過ぎ全員で給食を頂いてお開きとなった。フレンドシップメンバーによる国際理解教室の実績は区内に限らず既に相当な回数になっているが、事務局のある地元の五本木小学校では初めての試みであった。
参加者はタイ:スバポーン、ヤニン、チャヤニン
       ネパール:ギャヌ、アヌ
      ナイジェリア:フィロミナ の皆さん。



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