ひろば
鎌倉ユネスコと点字入り名刺
田村 耕一郎
鎌ユ理事が鎌ユの点字入り名刺を差し上げると、点字のお蔭で初対面の方と会話が弾むことがあります。10年前、鎌倉市健康福祉部長にご挨拶の折、初めて見る点字入り名刺を頂きました。さすが市の部長は一味違うと強い印象を受け、点字入り名刺のアイデアを私にもとお願いしました。後日、この名刺を作っている「NPO法人e-ライフサポート、障害者雇用開発ネット ワーカービー」に案内頂き同NPO平塚恵一理事長の快諾を得ました。点字入り名刺は珍しく、その上お値段も手頃で、鎌ユの多くの方が注文しています。
この名刺の生みの親は元鎌倉市健康福祉部長で本年鎌倉ユネスコの新理事に就任された小川研一様です。小川様に感謝を込めて!
「減量作戦」
林 伴親
5月の半ば、筑波CCでのプレー中、突然ふくらはぎがつり、プレーが出来なくなりました。屈伸したり、冷却スプレーをかけたりして、誤魔化しながらプレーをしましたがそのうち太腿までつり始め、「これはやばい!!」と思いながら、アイアンを杖代わりにし、何とか18ホールを周りました。体重80kg・・・体重過多の原因は毎朝の三杯のご飯。結果として脚に負担をかけていたようです。そこで5kgの減量を開始。朝食はレタス、胡瓜、トマトにチリメンジャコを振りかけたサラダにポン酢とオリーブオイルのドレッシング・・・ご飯は一杯。昼食は牛乳、パンにサラダ。夕飯は焼酎の水割りと酒の肴、ご飯はなし。
カレンダーに体重を記録することが毎朝の日課となり、3ヶ月経過した今、体重は4kg減・・・ズボンのベルトは穴二つ減りました。これだけで、ふくらはぎはつらなくなりました。次の目標は腹廻りに浮輪の様に付いた贅肉を取り除くことがテーマです。「ガンバルぞー!!」
私の人生
矢部 基子
創立会員として、渡利さんを中心に数十人の若さと情熱で立ち上げました。その後、会長、理事の皆さん、そして現会員の努力によって鎌倉市の誇れる市民団体に成長し、嬉しく思っています。
私は姑、母、主人と三人の介護に追われ、自分自身が事故で三か月入院、医師に車椅子生活を宣言されショックでした。しかしリハビリを努力して背中は曲がっても元気バアサンになれました。今は自分の体力と能力に合わせ小さな活動、大きな夢を持ち、頑張っています。
社会、福祉のためのドレス、また大人の着せ替え人形の楽しみを作りました。着物の良さ、日本の絹の良さをもう一度、世界に発信できればと思い、古い着物を活かしております。
「美しさ」との出会い、私の生きがいとなり、鎌倉ユネスコでも、お役に立てたいと思っています。
忘れえぬ神父さま
鴇澤 武彦
私の洗礼を授けてくださったE神父の話をします。彼は昭和12年、シベリア鉄道経由で来日したドイツ人でした。東京で日本語など学んでいるうちに戦争は激しくなり広島の長束修道院に疎開し、特に原爆投下の翌日、教会の焼け跡を整理に行き放射能を浴びたそうです。その後米国に留学、倫理神学の学位(博士)を得て日本に戻り、上智大学で教鞭をとりました。同時に大学生対象のカトリック教理入門講座を開講。私は講座を手伝い、学生寮第1期生として神父さんとは近い距離にいたので、いろいろと影響を受けました。彼は晩年、放射能の所為でしょうか、喘息に悩まされ、ドイツに帰国。時は流れて昭和62年ハイデルベルグ地区のロータリーのメンバーの団長として来日、学士会館で教え子たちに会い、語り合ったのです。1週間後に、もう一度会う約束でしたが、実際は会えず、フランクフルトに帰国した翌朝、帰天したのです。日本への旅は「お別れの旅」でした。