ユネスコサロン
~「インターネット時代における諸問題:教育現場から」~
鎌倉ユネスコ協会主催による講演会が、12月2日(金)カルチャースペース鎌倉で開催された。大学教員の立場から、私 山田ますみの見解を述べさせてもらった。
参加者の中に慶応大学情報環境学の学生も参加し発言していただいたことで会場は盛り上がった。
筆者は2001~2003年米国コンコーディア大学講師、2004年~清泉女子大学、2005年~聖心女子大学の講師を兼務。
自己顕示欲?昔と今
近年、若者のスマホ文化は彼らの価値観、生活様式全てを変えてしまい、その変貌ぶりは親の世代の常識を超えている。
歴史に残る一種の「サイバー革命」と呼んでも良いであろう。コンピューターの小型化に伴い、インターネットによるサービスが提供され、その質と量の飛躍的な進化(1990年代)が人々の生活様式をより便利に、効率良いものに向上させた革命である。
我々親の世代(現50代以上)は「サイバー革命前時代」に青春を送った人々であり、子の世代は「革命後時代」に生まれてきた人々である。スマホ一つで世界中の情報が一瞬にして入手でき、そのスピード感による満足感は、親の世代では味わうことが出来なかった感覚であった。時間をかけ苦労し、人生の意味を考え模索する、或いは一途に情熱を注ぎ己を信じ燃焼する覚悟で挑戦する――その様な「先の見えないもの」に対する一種の冒険心が我々親の世代の青春時代であり「自我の確立」に貢献していた。
一方、スマホ世代の若者は、まず検索し情報収集し「差し当たり先が見えるもの」からこなす。そして彼らの計算された集中力は効率よく好結果をもたらし、SNS(ソーシャルネットワーク)サービスを駆使した彼らは、自分の行為を「格好良いもう一人の自分」に仕立てる。一種のナルシスト的な快感を彼らは覚える。つまり『これをすると皆、良いね!と賞賛してくれるかな?』と言うスター気取りの「もう一人の自分」である。この作業がスマホ時代の若者の「自我の確立」に貢献する。
このスマホ時代の若者が「イメージ造り」に翻弄され「本来の自分=実体」に気づいていない点に、教育現場にいる我々は、彼らを「エゴの肥大化したアンバランスな人間」として懸念する。その解決法に光を見出そうと我々は模索し、研究している。最近その解決法として、スマホ時代の若者の問題点から打開策を考えるのではなく、彼らの生きる「サイバー革命後の社会」はどこに向かうのか、その時代全体を読み取る研究、つまり一本の木を見るのではなく、森全体を見て彼らに仮説的なシナリオを提示、示唆を与えていこうとする研究が始まっている。ではその一例を紹介する。
解決法は発想の転換
最近の世界的ベストセラー「100年寿命の人生」【邦訳ライフシフト】にそのシナリオが克明に描かれている。ロンドン大学(ビジネススクール)リンダ・グラットン博士とアンドリュー・スコット博士の共著によると、人生の寿命がテクノロジーへの莫大な投資により医療サービスが飛躍的に進化し100歳まで生きる事が普通になっていくと指摘している。
その為にも健康で明晰な頭脳を保つ事が必要とされ、老後は「リクレーション=のんびり過ごす」から「リ・クリエーション=再生への新たな準備をする」ことが求められると提言している。
ティーンエイジャー(13歳から19歳)の従来の解釈は、100年寿命時代では、18歳から30歳に変わると説く。つまり長い青春時代を過ごすのである。心身共にスマホ依存症で疲弊している現代の若者(慢性睡眠不足、慢性眼精疲労、毛様体筋調節緊張症)には驚くべき体力の持久力が求められ、その為の入念な「長期健康管理」が彼らの人生を左右する。
人間の寿命が長くなれば、それだけお金もかかり複数のキャリア構築も求められ、結果、若いうちから根本的に自己意識を変えない限り100年寿命の人生準備は出来ないと両博士は警告する。
惰性で日々スマホと共に時間を費やす現代の若者達にこのシナリオはどう映るのか? いち早く人生を100年設計にシフト変換する柔軟な発想こそが、スマホ文化で自分を見失いかけている若者達に、「自立への道」へと導いてくれるのではないかと期待するのである。
これで解決かというとそうはいかない。教育を中心にあらゆる面で、模索はまだ続くからである。