文化講演会
~「平山郁夫 人間・文化への情熱」~
2016年10月27日、鎌倉大仏殿高徳院客殿で前田耕作先生の司会のもとに約100名が集い開催された。まず佐藤会長の挨拶で平山先生の初代会長としての功績を紹介された後、東京芸大教授・宮廻正明先生の「平山郁夫先生と私」のテーマで講演会が始まった。長い間ご指導を頂き、仕事の合間によくお話をを聞いたが話題は決して同じものでなかった。度量の大きな先生だった。若いころ板橋の貧しいアパートで学んだ「人間観」は、その後ヨーロッパやシルクロードの国々を歩き回った際にも実感として常に先生の根っこにあったようである。日本画の生命は線にある、という思いは敦煌壁画や法隆寺金堂の壁画の模写においても常にその根底にあった。先生はバーミヤンや莫高窟の壁画を見て法隆寺壁画の源流は、ここにあると確信した。西の文化がシルクロードを経て徐々に変容しながら日本に到達したものと解釈できる。絵を上手に描くということはデッサンの線を上手に描くことが必要であり、その上に塗る色は多少ぼけても絵になる。先生は話の節々で大切な事に触れた。
続いて東京芸大特別顧問で元NHK報道局長の玉井賢二氏による「シルクロードを平和の道へ」の講演があった。平山先生の原点は広島における被爆である。
17年かけて、インドに渡った玄奘三蔵を吾が身に置き替え、1959年「仏教伝来」が生まれた。その後三蔵法師の追体験の道に入る。日本の仏教が中国、インドさらに西方の影響を受けているのは常識だが、それを自分の目で確かめるべく殆ど中東を旅した。そして2000年玄奘三蔵の行跡を辿る絵画が薬師寺に収められた。
また広島平和公園を訪ねた時「やはり避けて通れない」との切迫した気持から「広島生変図」が生まれた。シルクロードは今までに複数の文化遺産が登録されている。さらに東には最後の到達点日本がある。九州から奈良まで越境的、包括的な登録が今後期待されると結んだ。(光永)