スポットライト

人びとの「知的・精神的連帯」で民間ユネスコ運動が残した70年の足跡

その歴史の中で、「平和は、失われないためには、人類の知的・精神的連帯の上に築かなければならない」とのユネスコ憲章前文に応えて、日本の民間ユネスコ運動が成し遂げた幾つかの足跡を振り返ってみました。次なる道標への糧となることを願って・・・。

◆やがて大河になる一滴
一年近い準備を経て世界で最初のユネスコ協力会が仙台に誕生したのは1947年7月でした。創立者達はユネスコ精神で平和国家再建をめざすとの趣旨を込めた「発会声明」を英訳し、UNESCOに送りました。その年11月、メキシコでのUNESCO第2回総会では早速この声明文が披露され、日本で広がる民間の動きを高く評価した総会は、日本は未加盟国ではあるけれどUNESCOの事業を日本にも適用しようとの決議を採択。折しもこの総会開期中の11月17日には、東京日比谷公会堂で第1回ユネスコ運動全国大会が2000人を集めて開かれていたのでした。講師陣にはその後、日本ユネスコ協力会連盟の初代会長に就く仁科芳雄はじめ森戸辰男、新居挌、湯川秀樹などが顔を揃えていました。
◆占領下、日本の加盟実現
ところで人びとの連帯がもたらした最大の成果は、占領下でありながら国連UNESCO総会での日本政府代表団加盟よりも5年早く、日本のUNESCO加盟が叶ったことでしょう。戦後日本の国際社会復帰第一号でした。
当時すでに100を超えるまでに増えていた各地のユネスコ協力会を筆頭に、大学、・高校内のユネスコクラブ、さらに日本ペンクラブはじめ様々な文化・学術関係NGOが一体となっての加盟促進運動のうねりが、GHQやUNESCOの認めるところとなったのでした。1951年6月、第6回総会(パリ)での承認で、日本代表団には民間代表として藤山愛一郎日ユ協連第二代会長も加わっていました。
◆世界連盟への道
前述のメキシコでのUNESCO総会では参集した政府代表に、それぞれの国でも日本に習い民間運動を促進するようにとの要請がありました。以後、欧米、アジア、中南米さらにアフリカで民間運動が広がりました。
1981年6月、それらNGO代表がUNESCO本部に集まり、世界ユネスコ協会クラブ連盟(WFUCA)の設立総会を開きました。1984年にはWFUCA第1回世界大会を日本で開き、その折の広島訪問を契機に「ヒロシマ」写真展がヨーロッパを巡回。またその年をもってUNESCO脱退を通告していた米英に翻意を促す国際円卓会議をマドリッド、ソフィア、東京の三都市で相呼応して開いたWFUCAでしたが実効はなく、ただ米英の動きに追随するかのように脱退をほのめかしていた日本政府の動きに対しては日ユ協連と連帯して抗議の声を寄せたWFUCA加盟団体の行動は心強いものでした。
◆民際協力をめざして
日ユ協連が国際支援活動に取り組むようになったのは1960年に開始したヌビア遺跡保存のための募金推進団体になったのが端緒でした。朝日新聞の協力も得て民間募金協力では世界でトップの寄与ができました。また1970年からは、それまで文部省が主管していた途上国支援「ユネスコ・ギフトクーポン」の主管団体になり、
全国ユネスコ協会や市民協力で募金活動を開始(のちに「ユネスコ・・コーアクション」に名称変更)。
ただし特色は「顔と顔の見える民際協力」を日ユ協連は標榜し、UNESCO指定の支援リストにこだわることなく、日本独自の支援先をUNESCOとの協定で立ち上げたことでした。まだUNESCO未加盟のベトナムやカンボジア難民キャンプでの教育復興という独自路線を開拓して大きな成果を挙げました。これが1988年に読売新聞の協力を得てスタートした現在の「ユネスコ世界寺子屋運動」へと発展しました。
◆パリに揃った「被爆の記憶」
広島と長崎の「被爆の記憶」がUNESCOの敷地内で永久保存さパリに揃った被爆の記憶れる運動が実現したのも民間ユネスコ連帯の結果でした。
1976年長崎浦上天主堂の「被爆天使頭像」が、99年には「被爆した広島天安橋の石」が、パリ本部に建設中の「瞑想パビリオン」の床石にと、両市長から寄託されました。安藤忠雄設計によるパビリオンの建設費は民間ユネスコによる募金が充てられました。
◆ユネスコの心と出会う場を
振り返ると、70年の民間ユネスコの歴史の中で、先人たちが心がけたのは青少年対象の活動であったかと思います。1952年に始まった高校生ユネスコ全国大会、1969年に始めた国際こどもキャンプを初めとし、二国間あるいは多国間YOUTH交換計画、支援先へのスタディツアーほか。
先日、民間ユネスコ70年を記念しての座談会で、私にとっては孫世代に当たる2人の若者と同席しました。2人とも、ユネスコとの出会いは子どもキャンプであったり、地元ユ協の少年団活動だったとのこと。そしてそうした場で感じ取ったユネスコ精神は、まるで息をするように日常生活の中にあるのだとも。何の気負いもなく爽やかに語る2人の背景には千人の仲間がいると。熱く固い握手を交わしての別れでした。
(尾花珠樹)
―写真は日ユ協連刊「民間ユネスコ運動60年史」より

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