ひろば
世界遺産支援絵はがき
山田ミヤ子
2001年6月に第Ⅰ集、2004年に第Ⅱ集、2010年に第Ⅲ、Ⅳ集、と平山郁夫画伯の絵葉書を発行してきた。その都度多くの方のご協力を頂いた。特に第Ⅰ集の時デパートの平山画伯の展覧会で売らせていただき、多くの会員が売り子として手伝ってくださった。第Ⅲ、Ⅳ集の時は経費節約のため袋折り、袋詰めを大仏殿の客殿をお借りして、すごく多くの会員が集まって作業した。最近では見られない位のまとまりと盛り上がりだった。この絵葉書も2016年度をもって終了になった。電子メールという便利な手段が普及して、葉書を出すことも少なくなったのでしょう。時代の変化を感じます。会員がまとまり盛り上がるためにも、何か企画があればと思います。
張りが出るNPOの活動
小泉寿男
モノのインターネットIoTが話題になっています。シリコンバレーで起業した友人の飯田秀正さんから7年前にIoTの話を聞き、もっと学ぼう、若人に語ろうと発奮し、2011年に私が理事長になって友人達とNPO法人M2M・IoT研究会を設立しました。以来、IoT人材育成、技術交流活動をしています。学生、技術者の発表会や著名人の講演と我々の提言が合わさると張りが出ます。藤沢駅北口スルガ銀行ビルの飯田さんの会社に本部を置き、会員は大阪支部を含めて250名、賛助会員10数社、事務経理は理事達で分担です。主たる活動員20数名の大半は熟年者ですが、張りが出ると苦にならず元気も出ます。
受け継ぐ教え
加藤智子
ユネスコひろばへの寄稿をさせて頂きますが、主に母が携わっている会ですので、母の教えで私が胸に刻んでいる事を記したいと思います。それは当にユネスコ会員の皆様が日々実践されている事ではないでしょうか。「何かして頂いたこと(感謝の気持ち)はいつまでも覚えていなさい。自分が人の為にしてあげたことは直ぐ忘れなさい。」という教えです。自国の利益だけを求め利己主義に走る昨今の世界情勢を鑑みる時、この言葉の重さが響いて来ます。目に見えぬ人へも思いを馳せ、多くの人を心に住まわせ、微力ながらも世の中に貢献が出来るように生きていかなければならないと深く自省し、筆を置きます。
文化外交と私
堀尾 藍
長年、私はザンビアの初等教育について研究している。大学院時代には、修士論文を執筆のためパリのユネスコ本部を訪れ、いつかユネスコで働きたいと胸を躍らせた。修士号取得後は、イギリスのSOAS(ロンドン大学)に留学をしたが、ほぼ毎日、大英博物館に通い、異国の文化に圧倒されると同時に戦利品として敗戦国の文化遺産が常設されることに対し、疑問も抱いた。これまで、外務省所管の独立行政法人に勤務をし、文化外交に従事してきたが、9月からは国際協力の専門家として大学に勤務する。「心の中に平和を築く」というユネスコの理念を基に文化の魅力を学生に伝えていきたい。
惜別 鴇澤武彦編集長
こんなにも早く永別の日を迎えることになろうとは。本誌編集長を実に25年間、一度たりとも遅刊・休刊なく発行してくださった鴇澤さん。「ちょっと食欲、気力がなくて」と7月1日号の発行を1ヶ月先にと申し出られたのが2ヶ月前。再起の日を心待ちにしておりましたのに。本誌が100号を迎えた2年前、固辞なさるのも押してのインタビューに「会報は後世に活動を伝える記録誌」「僕を支えてきたのは使命感かな」と。四年間にわたる理事長時代にはペルーとブラジルへと2回、識字支援スタディツアーの団長に。その磊落なお人柄で現地の方からも会員からも慕われました。愛用のバイクで颯爽と取材に駆け回っておられたお姿を偲びつつ、御霊の安らけきことを祈って。(尾花珠樹)