ユネスコサロン

鎌倉をもっと知るシリーズ第一弾「流鏑馬」

講師:芸州武田氏正統師範 金子 家教氏金子家教氏

2002年11月28日(木)夜、生涯学習センター第6会議室において講師に芸州武田氏正統師範 金子家教氏を、対談相手に劇作家の湯山浩二氏が登場してサロンは始まった。

アメリカ現大統領が来日したとき、日本の伝統文化の代表として、流鏑馬を披露し、鎧姿で大統領と握手をした写真を大切にしている話題から入り、馬との関係は、昭和4年父親が陸軍士官学校から馬をもらってきて長男である家教氏が世話をすることになったのが始まりとか。

馬が好きで獣医になり、戦争も軍馬と一緒で中国を転々としたが、命が助かったと述懐された。

さらに、流鏑馬の歴史をさかのぼり流鏑馬のはじめは欽明天皇の時代に、九州豊前国宇佐の地(現在の宇佐八幡宮)で天下泰平、五穀豊穣、国民安堵の祈願をした際、神前で馬上から弓で3個の的を射たのが起源とされている。

その後、宇多天皇は右大臣源能有に命じられ「弓馬の礼法」を制定、代々源氏の家系に伝わり、義光の子、武田太郎信義と弟小笠原次郎遠光に受け継がれ、武田流、小笠原流の両司家となった由。

いわば、両派は兄弟流派。 金子氏は35代目の師範とのこと。

質疑に入って、和鞍と洋鞍の違い。和鞍は足に重心を乗せているし、洋鞍はお尻に重心をかけることが基本的に違うと。

さらに詳しく鐙(あぶみ)の角度まで、スリッパのような鐙でも急に走り出しても、この角度のおかげでスピードについていけると説明され納得した。

名馬の相の見分け方は、目と目の間の少し下につむじがあるのが良い馬で、上にあるのは荒い馬とのこと、初めて聞いた話だった。

名馬の条件は「従順で、敏感で、耳の短い馬。」と聞いてなるほどと思った。馬の絵を時代別に比べると、白河天皇が描かせた絵は、いまのアラビア馬のようにスマート。

徳川時代の馬は顔が大きく胴が長く足が短い。馬は一度通った道は覚えていて宿舎に必ず戻ってくるとか。

日本独特の弓の弓返し(ゆがえし)は流鏑馬のような馬上とか、船上ではおこなわない。

鏑矢の目的は戦いの宣言であったとか、弓矢の殺傷射程距離は30から50メートル。

海外遠征の場合スポンサーはどんなところかなど面白い話が次々展開されて楽しいサロンだった。 (鴇澤)

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