情報ア・ラ・カルト
~中国残留日本人孤児支援にいのち懸けて~
昨年12月20日、東京地裁に提訴後、
総決起大会で議長をつとめる菅原さん
“中国残留日本人孤児集団訴訟を陰で支えるボランティア”のタイトルで朝日新聞“ひと”欄で菅原幸助さんが紹介されました('02、12月22日朝刊)。
菅原さんは鎌倉ユネスコの第2代理事長をつとめ現在も理事のお一人。
残留日本人孤児637人が、国に損害賠償などを求めた集団訴訟は、昨年末東京地裁に提訴となったが、ここに至るまでの道のりは長く険しかった。
菅原さんの孤児支援活動は20余年に及ぶ。引き揚げてくる孤児たちの身元保証人になり、就職や生活のお世話、名付け親、すべてを手弁当でやってきた。日本語を勉強していたんでは食べていけない、かと言って働いていたのでは日本語を覚えられない。
3kでも何でもやって早く自立したいと願いつつ、孤児たちは老齢期へと入る。
生活支援を求めての国会請願署名運動は2年間で11万人の署名を集めたけれど不採決。最後の手段としての集団訴訟の難関は弁護士探し。
無償協力、日本語が不自由な原告、国相手の裁判の難しさ。病後の体躯を杖に頼っての行脚の記録が、菅原さんが3ヶ月に1回発行している会報にある。
光明は2001年11月、及川信夫弁護士の仲介で始まる。及川さんは鎌倉ユネスコ第3代理事長。
準備会を重ね弁護団は183人に増えた。1月、鎌倉ユネスコ新年会には、菅原・及川両理事が顔をそろえた。菅原さんは言う。「正義と公平、人道と人権を重んずる弁護士が、こんなにたくさん駆けつけてくれた。ここまでくることができて感慨無量です。
でもまだ裁判所の門をくぐっただけ。本当の勝負はこれから。僕が生きているうちに結果が出るかどうか判らないけど」と。その表情は明るかった。カンパご協力は菅原さんが作った“中国帰国者福祉援護協会”(tel 045-664-4166)へ。
~聖地ルンビニでの寺子屋チョードリ夫人とその一家~
聖地ルンビニでの寺子屋 長引 く不況で、鎌倉ユネスコの識字支援活動=ユネスコ世界寺子屋運動も影響を受けています。
献品が少なくなり、加えて激安店やリサイクルショップの進出でバザー収益も以前ほどの盛況からはほど遠く、本誌4ページでバザー委員長の久保理事が書いているように、工夫こらしながら、それでも会員は元 気に活動続けています。
そんな中でも鎌倉ユネスコは、今年度、ペルーに新しい寺子屋をプレゼントし、アフガニスタン難民キャンプの子らの識字教室への支援を実現しました。
もうひとつ、お釈迦さま生誕地ネパールのルンビニに開校した寺子屋にも50万円の寄付をしましたが、このほど、同地を訪れた日ユ協連事務局荒井千香子さんからレポートが届きました。以下、概要をお伝えします。
ルンビニはインド国境まで5キロのタライ平原に位置し、地平線まで平らな大地が広がっています。
世界中から仏教の聖地巡礼の人びとが訪ずれ、ユユネスコ世界遺産にも登録されています。
この地で識字教育を実施しているのは“ネパール寺子屋委員会”で、総責任者はm・サキヤさん。ユネスコ・バンコク事務所で30年以上にわたって識字教育を担当し、祖国ネパールに戻ってからは識字教育にとりくむNGOを設立。
いま、ルンビニにはプロジェクト事務所を設置し、ネパール人職員11人が働いています。
村に住む人びとは、聖地ルンビニから5キロも離れていないのに、ルンビニが世界遺産であることも、世界遺産が何であるかも当初、知りませんでした。貧困ラインぎりぎりの生活の中で農業を営む人びとだったのです。
寺子屋建設の敷地を提供して下さったのはチョードリさん一家でした。村役場に隣接する一等地です。ご主人が亡くなったあともチョードリ夫人が夫の遺志を継ぎ、息子さんたちと一緒に地元の発展のために教育施設の用地寄付を続けています。
「自分のような非識字の女性や学校にいけない子供たちが寺子屋で教育を受けられるのはありがたいことです」と、夫人は語っています。 ・・・・荒井さんの手紙は「用地を無償提供してくださるチョードリ一家のような方々も、日本から募金してくださる方々と同じように、寺子屋の銘板にその名前を刻み、後世にネパール・日本の友好の証を残したいけど如何でしょうか」と。
もちろん賛成! 近い将来、スタディツアーでこの地を訪れたとき、鎌ユの名と共にチョードリさんの名を、確かめられるとしたら素晴らしいではありませんか。 (尾花)
~ギドン博士に光 教育改革のモデルに~
バザーへと寄せられた夏物のこども服や群馬大泉町在住の大澤満雄さん献品のスポーツウエアをいっぱい詰めたダンボール4個を、ブラジルの世界遺産セラ・ダ・カピバラ国立公園の周辺で学ぶ子どもたちに昨年暮に送り出しました。
思いのほか早く、1月下旬に、現地で寺子屋学級を運営しておられるニエデ・ギドン博士からEメールで礼状が届きました。
「子どもたちは皆さまからのプレゼントをとても喜んでいます。皆さまのまたの来訪を待っていますとのことです。そして何時か、自分たちも日本に行けるだろうかと聞いていました。
2003年がいいお年でありますように」というギドン博士のメッセージは、続いて嬉しいニュースを伝えています。 ギドン博士がルラ・ブラジル新大統領に会いにピアウイ州都に出掛けたところ、文部大臣とピアウイ州知事は州の教育改革にギドン博士のプロジェクトをモデルにする考えであること、また、環境大臣は、博士らによる国立公園運営をモデルに飢餓撲滅運動プログラムを実現化すべく博士に協力要請があったと。
暴力や無理解に抗して子どもたちの教育に献身してきたギドン女史に、光射す朗報でした。
~野田の湯さん舞台に広がる寺子屋協力の輪~
「また入っているようですよ」との野田の湯の奥さんの報せに、会員3人がはせ参じると、番台に置いていただいている募金箱に6、688円が。これで銭湯のお客さんからの募金は4回目。
ところが今回は見慣れない募金箱がもうひとつあって5、250円が入っていました。これは野田の湯さんが市との協力で週2回開いている半日介護予防サービス“デイ・セントー”に集まる皆さんからの募金。
呼びかけてくださったのは大澤育子会員のご主人からユネスコの話を聞いた武田なかさん。踊りの名手だという。
野田の湯さんを舞台に広がる寺子屋協力の輪に感謝と感動でいっぱいです。 (久保)