学生会員報告

私の挑戦

木村 真紀

東南アジア青年の船 2002年9月17日、「東南アジア青年の船」(SSEAYP)は日本とASEAN10カ国の青年の様々な思いを乗せて横浜港を出航した。

この事業は日本とASEANの青年達が一つの船に乗り込み、二カ月間の船内生活や寄港地活動を通じて交流を深めることを目的としている。

私は大学で国際政治を勉強しており特にアジアにおける日本の役割に関心があった。

SSEAYPは将来その国を背負っていく青年達が本音で語り合える場、だから私はこの事業の中で、アジアにおける日本の本当の位置を自分の目で確かめたいと思っていた。

船にのって二週間たった頃、私は何か物足りなさを感じていた。しかし、船に乗る前の自分自身のSSEAYPに対する思いを再認識した私は、自ら行動に出た。

自分のディスカッションのメンバーに直接質問を投げかけたのだ。私の突然の投げかけに少し驚きながらも、みんな率直に自分の考えを教えてくれた。

それがその国の全ての意見だと考えることはできないが、「日本がアジアのリーダーとしてアジア地域をひっぱっていくことを私達は期待している。」という言葉を私はとても嬉しく思った。

そして、受身ではなく自分で何か行動していく大切さを身にしみて感じた。

参加青年一人一人がこのプログラムを築き上げる、それこそがSSEAYPだった。 船中の夕食で、一つのテーブルを囲みながら私はふとあることに気が付いマレーシアのホストファミリーとた。みんな驚くほど一緒なのだ。顔立ちだけではない。みんな同じように笑い、悲しみ、感動を共にし合える同じアジアの仲間なのだと。

そして、私には私達が違う国から来たこと自体、不思議に思えた。 帰国後、私のもとには毎日船の仲間からのメールが届く。それは、29年間絶えることなく続いてきたSSEAYPのネットワークがここにも生きている証拠なのだ。そして、私はこれからもさらにこのネットワークを広げていきたい。

~ベトナムから学んだこと~

蓮見 朱加

ベトナムでの10日間は本当に学ぶ事が多かった。

訪問地の中で一番印象に残ったのは北部ライチャオ省で、飛行機とバスを8時間近く乗って行った。道の途中では朝早くから男女を問わず落石した石を砕いては道を作っている光景を何度も目にした。中には幼い子供もいた。私はこういう人々が国の土台を築いているのだと始めて知った。

寺子屋では民族衣裳を着た子供達が薄暗い教室で真剣に学んでいた。勉強は好きかと聞くと全員が口々に楽しいと言っていた。将来は先生や医者になりたいと言う子もいた。そんな子供達の夢が早く実現できるような社会にするためにもベトナム政府は努力をしなければならないし、私達は一人でも多くの人に寺子屋運動を知ってもらい、一枚でも多く書き損じハガキを集められるよう活動していかなければならないと痛感した。

ホームビジットはザオ族の家で半日を過した。私は同じ年の女の子と仲良くなり、ベトナム語を2時間以上教えてもらった。私が下手な発音をすると回りにいた子供達は大笑いをし、一緒に発音してくれた。

北部にはハノイには見られなかった金髪の子が多くいた。これは栄養失調のためだと知ってはいたが、目の前で明るく笑う子供達を見ると胸が痛んだ。けれど彼らは昔からの伝統を持続する力を持ち、また家族の結び付きが強く、今の日本から失なわれつつあるものを沢山持っている。

ある意味とても豊かだ。だが、30%の人々が4,5ヶ月間、何も食べる物が無くなってしまうのも事実だ。 豊かさとは何かと考えた時、私は少なくとも子供達が健康に暮らせる社会を作ることだと改めて実感した。そのためには、社会の基盤である教育が重要な役割であることをベトナムに行き自分で見て考える事で理解できた。

まさに百聞は一見にしかず。私はこの体験を自分の中でとどまらせること無く多くの人々に知ってもらうためユネスコ活動を一生続けていきたいと思う。

最後に、日ユ協連主催のこの高校生ベトナムスタディツアー参加にあたり鎌倉ユネスコの会員の皆さんが激励や応援してくださったことに感謝でいっぱいです。

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