ひろば
「道」
高柳 英麿
松籟の松並木が松喰い虫で消えた若宮大路に、昭和49年(1974年)の春、町に潤いをということで桜の木を植えた。段葛から海に続く大路に、桜による緑の整備を考えたからだ。そして「若宮大路の明日へ」という町づくりプランも地元で創った。それが実って、県の緑化プランが松も加えた大路として、今日ある。年一度のグリーン・ゾーンのクリーン運動にはユネスコの人々の協力も大きい。路、道は、市民のもの。市民も、町の基幹の道への関心を深めてゆきたいものだ。
無用の用
小山田 隆
私の好きな言葉の中に「無用の用」がある。孔子より二世紀後に生まれた思想家の荘子の言だが、荘子は有用性だけを追求しようとする功利主義にあきたらず、一般には無用とされているものまでも視野に入れる、多面的な、いわば複眼の価値観を持つことの重要性を説いている。効率とか有用性だけを念頭に置いている人間にはゆとりがなくなる。味わいのない人間になってしまう。目先の利益だけを追求することなく、一見無駄と思われるるものにも思いを凝らして行くことが大事だとつくづく思うこの頃である。
私とユネスコ
寺崎 誠
2月の日本ユネスコ国内委員会の折に、たまたま鴇澤さんの隣に座ったのを機会に鎌倉ユネスコの事を知り入会しました。私とユネスコの関係は毎年パリの本部でパリの本部で開催されるIOC(政府間海洋学委員会)に専門家として出席していることです。IOCでは地球規模の海洋観測計画海洋汚染、津波な ど海洋科学の全般にわたる事項が加盟国によって審議 されます。 国内委員としては自然科学小委員会と、文化活動小委員会に所属しています。鎌倉ユネスコのことについてはほとんど知りませんので、宜しくお願いします。
自己紹介
王 保和
中国出身の私にとって、初めての鎌倉ユネスコとの“出会い”は、1999年9月でした。それは、深沢公民館で中国家庭料理・餃子の講師として頼まれたことです。以来、エンジニアの仕事をしながら、中華料理店(王家菜館)を経営し、ユネスコ活動に参加してきました。これからもユネスコの活動を通して、日中両国の食文化交流に役に立ちたいと思っています。 中国遼寧省出身、来日13年目。
秘湯鶴の湯
長島 京子
春の彼岸の頃しんしんと雪が降り積もる雪見の露天風呂、秋田県乳頭温泉郷秘湯鶴の湯温泉へ行った。手軽に予約しにくいから憧れるのか。混浴露天風呂に入ってみたいがその時を狙っていた。前夜のうちに新しく降り積もった雪の上を素足が冷たいがチョコチョコ足跡を作りながら進み、湯に浸かった。片手で傘をさし、降り続ける雪をよけ、肩まで沈まなければ寒くて耐えられない。朝早くまだ他の客の姿はない。ここも秋には紅葉になる。 開湯350余年、大切なものを大事に守ってきた人々の努力がある。
「本場」って何だろう
吉田 康彦
ヤンキース入りした松井秀喜選手が活躍している。イラク戦争に疑問 を抱き、日本政府の対米追随に割り切れなさを感じていた人びとも、野球の「本場」での松井の活躍には溜飲が下がる思いをしているに違いない。イチローも野茂も負けず劣らず活躍、日本選手の快進撃が続いている。しかし、それにしても松井の全打席をテレビで再現、三振や凡打まで解説する必要があるのか。「本場」はそんなに権威があるのか。一挙手一投足を全国向けニュースで伝えるほど重要なのか。こんなことだと「本場」の権威がますます高まり、日米の心理的格差が広がることにならないか