ハーイ、こんにちは
~鎌ユ会報表紙エッセイ 三木卓さん~
“ああ いきものというものは だ んだん こわれながら死へちかずくが ある日 まったく別なものになってし まう だれも さわることもできない それがわかったとき ぼくは 心のな かで 鍵がまわるのがわかった”
この詩は、三木卓さんが第1回高見 順賞を受賞した詩集『わがキディ・ラ ンド』のなかの「去ったものたちから 」の一節。
三木さんほど多ジャンルでの文学賞 受賞作家は珍しいのではないか。
詩の分野では高見賞の前に第17回H氏賞 を。1973年には「鶸」で芥川賞。以来、『馭者の秋』で平林たい子賞、 『小噺集』で文部大臣賞、『路地』で谷崎潤一郎賞、最近では『裸足と貝殻』で読売文学賞。さらに児童文学の分野では『ぼたぼた』で野間児童文学賞・・・・。
いやもう、文学賞総なめの形。でありながら、三木さんにはそんなことで近寄りがたくさせる風情は少しもない。
第二次大戦の敗戦を中国大陸で10歳で迎えた。“数多くの死と肌を接して”帰国した三木少年は、“早く大人になろう、早く”と願った。と同時に“おれは大人になれるだろうか”と呟いた。
三木さんは今も少年の面影と心情を濃く漂わせながら、鎌倉の町を過ぎていく少女や動物や風景を眺めている、ようだ。
月刊誌『かまくら春秋』に10年にわたって連載中の「鎌倉その日その日」は、その潔い人柄を映すエッセイで人気を集めている。『鎌倉日記』と題して上梓されたエッセイ集は“平成初頭の鎌倉をイキイキと映し出す資料として価値ある一冊”と評判。
インターネットで三木さんの著作を検索すると、たちどころに120冊ほどが出てくる。けれども、名著『海辺で』さえもが入手不可とあって残念。
三木作品に通底して流れていた“永遠と死”の色調が微妙に変わったのは1994年、心筋梗塞に倒れて以来だろうか。『生還の記』に、“軽薄に人生と肉体を扱い、考えることはもうできなかった”とある。
鎌倉ペンクラブ会長時代、子どもたちの歴史理解を深めるためにと「鎌倉かるた」を編纂発行。落語の世界に居心地のよさを感じるという作家は、雪ノ下に仕事場を持ち、時には宿酔いに悩みながら鎌倉を観察していらっしゃる。
本誌連載開始のエッセイに期待