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「文明の衝突」はあるのか?

昨年末に10回シリーズで放映されたNHK-BSドキュメンタリー「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」(「The Untold History of the United States」:米国Showtime 2012年制作)は、民主主義の代表国を任ずる米国の、自国に脅威を与える相手には手段を選ばない欺瞞的な裏の顔を、これまで色々と言われてきたこともあるが、映像の証拠で衝撃的に告発した。
その一つは、2001年の9.11同時多発テロに直面したブッシュ大統領が、米国世論を対日開戦へ踏み切らせた真珠湾攻撃に匹敵する絶好の機会であるとして、イラクがテロ支援国でありかつ大量破壊兵器を保有していることが間違いないと国民に説得、イラク攻撃の支持を取り付けた場面。この動きは、ブッシュ大統領の側近を固めたネオコン(新保守派)の、「野蛮な国家と対決して自由と平等を柱とする西欧近代の文明を守ることに米国の使命がある」との頑な信念に基づいている。その危機感を裏付けたと思われるのが、他ならぬ1996年発行のサミュエル・ハンチントンの著作「文明の衝突」(鈴木主税訳,集英社)。東西冷戦後に、「イデオロギーの対決」から今や「文明の衝突」が世界平和の最大の脅威となっている、との指摘である。

9.11同時多発テロの背景
しかし実際は、「そこで野蛮な国とみなされる側は西欧流の近代化に従うよりも土着的な文化や民族的,宗教的な文化の独自性の意義を訴えている,すなわち「文化的個別主義」,それに対して西欧・米国の側は西欧近代の文明には普遍性があると主張する,すなわち「文明的普遍主義」,という違いがあるだけで,野蛮とみなされる側が一方的に「悪」であるのではない」(「人間は進歩してきたのか」佐伯啓思,PHP新書)。
あるいは、9.11同時多発テロに則して言えば、「イスラム原理主義者集団の米国に対するこのテロ攻撃は,チェチェンのロシアに対するテロ攻撃などと同根であり,西欧先進国の巨大な画一化圧力に抵抗するために,後進地域がその文化的アイデンティティに集団としての一体性を感じてナショナリズムを強めた結果として,米国の心臓部に切り込むという,とてつもなく大きなエネルギーを生み出したのである」(「文明の衝突から対話へ」山内昌之,岩波現代文庫)。

ハンチントン「文明の衝突」批判
一方で、上記著書「文明の衝突」に対しては、世界の文明分けを8つに集約しているのは雑駁である(例えばアーノルド・トインビーの「歴史の研究」では21文明を比較研究)、西欧文明擁護の視点である、というような基本的な問題の指摘を始めとして、これまでに多くの批判が出されている。「宗教を根幹にして文明をとらえている上に,著者の宗教無理解のためにその宗教は「戦う宗教」,ヘブライズムをモデルにしていることが問題である」(「「対話」の文化」服部英二&鶴見和子,藤原書店)、「諸文明の間に見られる差異が,衝突を不可避とするほど本質的である,という前提が独断的である」(「文明の衝突という欺瞞」マルク・クレポン,白石嘉治訳,新評論)、など。

「文明の衝突」を超えて
いずれにしても、別に真の原因があるこのようなテロを「文明の衝突」で説明しようとするのは論点のすり替えである。「シルクロードが「文明間の対話の道」であったように,異なる文明は共生し交流し合ってきたが,16世紀以降,西欧列強の力による征服で西欧以外に対し精神の隷属を強いた結果,世界に文化の歪みをもたらしたのである」(「文明の交差路で考える」服部英二,講談社現代新書)。また国際法に基づく国際社会の平和を実現する立場からは、「われわれが知るべきなのは,「諸文明」は,固定されたアイデンティティを守ろうとして,それぞれの文明が内向することから生成するのではなく,交換の継続,絶え間のない対話の維持から生成するということである。そしてこの対話が明かすものこそ,おそらく人類の単一性にほかならないのである」(上掲「文明の衝突という欺瞞」)。
その意味で、9.11同時多発テロからわずか2ヵ月後、2001年11月に開催されたUNESCOの総会で「文化の多様性に関するユネスコ世界宣言」が採択されたことには極めて大きな意義があり、それが大国の論理で形骸化されることがないように守っていくことが、私たち民間ユネスコ活動に携わる者の責務であると考える。
(石田喬也)

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