No.206                        2004.4.15

明日へ・・・・(その7)発展の時代(1975年〜1986年)
「日本語教育研修講座」はじまる
目黒ユネスコ協会会長 加藤玲子
目黒ユネスコ協会は、1980年から数年間、国際交流基金の要請により「海外日本語講師短期研修講座」の参加者を迎えて、ホームステイ、ホームビジット、そして、日本文化紹介をテーマとした交流会(「ようこそ日本へ〜ことば色々・日本の味・遊び」等)を開催した。1984年8月、この年の海外参加者お別れパーティーが国際交流基金の一室(紀尾井町/当時)で開かれた。この席上での日本語教育学会の先生方との語らいの中から、目黒ユネスコ協会の日本語教育活動が芽生えた。当時は、日本の第一次日本語ブームの直前で、「日本語教育活動」の地域からの発信はまれであった。
 約半年の準備期間をへて、翌年1985年5月、窪田富雄先生(東京外語大教授/当時)ほか日本語教育学会の諸先生のご協力と教育委員会のご理解のもとに「ユネスコ国際文化理解交流講座/日本語教育研修講座(入門)」開講となる。応募要項※には、次のように記した。「目黒ユネスコ協会は、広い意味で、やがてユネスコ活動の推進の一助になるであろう日本語教育の専門家及びボランティアを養成するべく日本語ならびにユネスコ国際理解・国際協力等に関する研修講座を企画しました。」と。
目的は、次の通りであった。
(1) 日本語教師専門家の資質の向上の場。
   (一般)日本語教師は、単に日本語の教授法の知識だけでなく、日本人として     
   広い国際的視野をもち、ユネスコ精神の理解者であることがのぞましい。 
(2) ユネスコ会員の(専門家としてばかりではなく)基礎知識の習得の場。
   専門のいわゆる日本語教師でなくとも、日本語教育についての知識を少しでも蓄えて
   いることは、ユネスコ活動を推進する上に望ましい。
(3) 母語としての日本語を(客観的に)学ぶ場。

 これは、一般の日本語教師養成講座として開催したのではない。目黒ユ協の他の活動がすべてそうであるように、ユネスコ活動理解の講座であり、ユネスコの理念に基づく平和へむけての働きであった。守屋教育会館の研修室に溢れるばかりの受講者に対し毎回「ユネスコについての5分スピーチ」を組み込んだのもそのためであり、その後多くの方々に入会いただいたことも印象的であった。
 この講座はその後も精力的に取り組みが進められ、10年間に235回{学習時間470時間)の開催となる。ただ、この時点では、後に目黒ユ協主催の「日本語教室/ユネスコ学校」を開催することなどの計画は皆無であった。上記の応募要項文の『広い意味』と言う言葉は、ユネスコ運動の原点の一つであり、常にそこに立ち返る精神として記憶されるべきものであろう。
・・・  目   次  ・・・
 
  明日へ・・・・(その7)発展の時代 「日本語教育研修講座」はじまる        ・・・・・P1
  通常総会 及び 特定非営利活動法人設立総会の開催
  書きそんじハガキ回収キャンペーン終了報告・ インドスタディーツアーに参加して    ・・・・・P2
  目黒ユネスコ交流サロン 「インドを知ろう!」                  ・・・・・P3
  珍しいポスターが見つかりました                        ・・・・・P4
  ポスター・クイズ
 
第34回目黒ユネスココンサートのお誘い子どもの詩 募集中             ・・・・・P5
  第51回目黒ユネスコ協会通常総会ほかお知らせ               ・・・・・P6
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