盛岡ユネスコ協会 会長 工藤 昌雄
当協会は、第二次世界大戦後の1949年6月24日、ユネスコ憲章の精神に基づいて民間団体として設立されましたが、ユネスコ精神に則り三四半世紀75年間の永きにわたり先達が数々の活動を続けてきた歴史とその功績に対して心から敬意を表したいと思います。
現在、世界ではウクライナやガザ地域への軍事侵攻など平和を破壊する行為が生じていますが、今回の75周年記念式典等を契機に、改めてユネスコ憲章にある「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という原点に立ち戻り、戦争のない世界の平和の実現に向けて「Peace for Tomorrow」の合い言葉のもとに活動を展開し、さらにステップアップしていきたいと思います。
また、同時に2030年までに貧困や飢餓、教育、環境、気候変動などの喫緊の世界的課題の解決をめざし、「誰一人取り残さない」「よりよい地球をつくるために」SDGs(持続可能な開発目標)を達成する私達の活動のさらなるステップアップが求められています。
私達盛岡ユネスコ協会としては、「過去・未来」の学びを深め、ユネスコ精神に則り、私達ができることに全力で臨み、共にあることを伝え広げる活動を強く推進していきたいと思います。創立75周年を契機に、未来に向けて力を結集し新たなステップアップをしていきましょう。
盛ユ創立75周年記念式典 会長挨拶
3階「青雲の間」にて行われた記念式典では、司会の千葉星子さんから開会の言葉があり、参加者全員で「ユネスコの歌」を斉唱した後、工藤昌雄会長から「1949年創立以来の先達の功績を称えるとともに“Peace for Tomorrow”の実現のために活動の継承と発展を推進していきたい」との力強い挨拶がありました。
続いて、本協会事業へ多大な貢献された個人と団体等へ、また会員の永年表彰者へ感謝状と副賞の贈呈が行われました。個人や団体等の表彰者の皆様は、岩手日報社様、下橋中学校様、野口晃男様、北日本銀行様、岩手銀行様、櫻山神社様、盛岡レオクラブ様、わしの尾様、鮨懐石重兵衛様、朝島りんご生産組合様です。会員の永年表彰者については、46名を代表して西野賀世様に感謝状が贈呈されました。受賞なされた皆様、誠におめでとうございます。
盛ユ創立75周年記念式典 感謝状贈呈
盛ユ創立75周年記念式典 会員永年表彰 感謝状贈
感謝状贈呈後の来賓祝辞では、内舘茂盛岡市長様に替わり小原由香副市長様から長年にわたる本協会の活動に対して身に余る賛辞を賜りました。衷心より御礼申し上げます。
式典の最後に、本協会のこれまでの活動を写真と音楽でまとめたスライドショーで紹介させていただきました。改めてご出席いただきました皆様に心から御礼申し上げます。
記念式典後、会場を「鳳凰の間」に移動し、2024年度ユネスコ運動岩手県大会が開催されました。三田地宣子岩手県ユネスコ連絡協議会会長より「今こそ平和の構築のために一層の力を尽くす時、皆さんで『過去・未来』の学びを進め、結集して参りましょう」とご挨拶をいただき、来賓を代表して、小澤則幸岩手県教育委員会生涯学習文化財課総括課長様より県のユネスコ活動に対する祝辞を賜りました。
その後、県大会の司会を務めていた本協会理事で県ユ協の事務局長でもある佐々木嘉直さんから「3.11―その後<2011-2024>『三陸・海・まち』」と題して活動報告がなされました。
県大会 活動報告
東日本大震災からの復興の様子をご自身で取材した記録写真やデータで構成したスライドショーを用いて丁寧に紹介していただきました。大変ありがとうございました。
副会長 田中 耕之助
私は1995年に入会し、約30年間、数々の活動に参加を通じて、多くの気づきをいただくとともに、思い出を積み重ねてきました。
特色ある恒例行事、活動の原点を回帰させる各種大会、著名人を招いての講演会やステージ、今では別世界へ旅立った先輩方との睦まじい交流など、懐かしさと共に思い出の数々が浮かびます。
ユネスコ活動は、世界的視野で物事を考え、地域から自分の足場に立って行動することができる拠点であり、その活動は小さなものであっても、かならず前向きな変化につながり、新しい出会いと交流が生まれる場と考えております。
今後もユネスコが目指す価値を尊重し、自分らしく行動していきたいと思っております。今回のこの栄誉に感謝しております。そして、多くの思い出をありがとうございました。盛岡ユネスコ協会の益々のご発展を心から祈念申し上げます。
30名を超える(会員ではない)一般の方も、本間先生のお話をぜひお聴きしたいとおみえでした。
宴のフィナーレは、盛岡ユネスコ協会恒例の参加者全員での「盛岡音頭」輪踊りです。会場に大きな人の輪が作られ、音頭に合わせて身振り手振りよろしく踊り、皆さん、笑顔いっぱいでの閉会となりました。
「本間先生は大谷翔平と並ぶ水沢のスーパースターよ」と水沢出身者の言葉。
演題は「…ブラックホール…」。名前は知っていても実はよくわからない。先生の講演は、歴史から始まり巧みな話術で聴衆を引き込みます。
「重い重力」に引きつけられてブラックホールとなる。心が浮き立ち、遠い文学が少しだけ近くなった気がしました。
ちなみに本間先生はとてもハンサムでした。
和田 照子
とにかく、ドラマ仕立ての舞台をみているようでした。
重低音の太鼓に導かれ、念仏を唱えながら華やかに踊る様子は、中世の踊りの特色を残していると。
圧巻の大笠振りは、演者が修行のごとく台座の門を振りかぶり荒々しく舞い納めるが、耳を澄ましていると遠い昔の先祖の招魂とか鎮魂の音色が響いている気がする。
千葉 代子
たからもの絵画展審査委員 野口 晃男
狭い一本道、私の前を、お母さんと3年生くらいの女の子が歩いていました。向こうから、若い女の人が近づいてきました。
お母さんが、そっと脇によけました。後ろを歩いていた女の子も、そっと脇によけました。若い女の人は、つんとすまして、お礼も言わずにすれちがって行きました。
女の子が言いました。
「お母さん、あの人、随分礼儀知らずだね」
お母さんが言いました。
「そうだね。こんな時は、ちゃんとお礼を言うんですよ」
「うん、わかった」
お母さんと娘さんとの、実に微笑ましい光景です。お母さんが、娘さんに、きちんと礼儀の指導をしています。礼儀の指導は、このように日常生活の中で指導するのがもっとも自然で、かつ有効です。
「うん、わかった」と言った女の子のくりんとした表情が今でもはっきり目に浮かんで来ます。ところが、しばらくして私の心の中にあったあの爽やかさが消えていました。
原因は、お母さんの一言にありました。「こんな時は、ちゃんとお礼を言うんですよ」が心に引っかかったのです。
「あんな人になってはいけません」とか「きっと、急いでいたんですよ」とか「何か考え事をしていたのかも知れないね」など、これらはすべて、あの女の人の態度はよくないという決めつけが根底にあります。
この決めつけによって私が抱いていた爽やかさが消滅してしまったのです。
そこで、「お礼を言われたくて道を譲ったのではないのですよ」の言葉が加わるとどうでしょう。この言葉が加われば私が感じた爽やかさが消えることはありません。実は、この言葉には、人間の心を豊かにする最も大事な考え方含まれているのです。